鈴木涼美「AV出演には、深い理由はないケースが大半」 グレイスレス=品のないとされる業界で生きる悲哀

 作家・鈴木涼美にとって2冊目の小説となる『グレイスレス』(文藝春秋)は、閑静な鎌倉の屋敷で祖母と暮らしながら、ポルノ業界で化粧師をしている「わたし」を主人公とした純文学だ。対極の世界を行き来する主人公の目線で、“値段を付けられる身体”を持っている女性同士の関係性を描き出す本作は、元AV女優である著者の経験を活かした描写も読みどころとなっている。前作『ギフテッド』に続いて芥川賞候補となった本作について、鈴木涼美に話を聞いた。(編集部)

ポルノに出演するのに、明確な理由はない

鈴木涼美『グレイスレス』(文藝春秋)

ーー前作『ギフテッド』は、歓楽街の片隅のビルに暮らすホステスの「私」が、重い病に侵された母を引き取って看病し始めるという、母と娘の関係性を描いた物語でした。今作『グレイスレス』は、ポルノ業界で化粧師をしている「私」が主人公で、鎌倉の閑静な邸宅で祖母と一緒に暮らしています。一方、母は海外にいて、ときどき手紙で「私」とコミュニケーションを取っている状況です。前作と今作に対する、意識の違いは。

鈴木:『ギフテッド』はオーソドックスな母娘の物語で、文体も普段の私のデコラティブなものではなく、努めて抑制的なものにしました。一方の『グレイスレス』は、私がかねてより書きたかったポルノ業界の話と、私が育った家をモデルにした建築の話を軸としていて、その意味でより私的な小説になっていると思います。文体も普段の私に近いものにしました。というのも、『グレイスレス』の主人公は割とスノッブな家庭に育っていて、大学がくだらないからと言って辞めてしまうような子だったからです。前作の主人公よりもインテリで、言葉を知っている。

 また、主人公は鎌倉の静かな家に住みながら、ポルノ業界の縁で働いていて、どちらの価値も同等に見ているというか、価値判断ができていません。そういう状況を、どちらのシーンも同じ文体で書くことで表現したくて、普段の私の文体に近いものを意識しました。

ーー『ギフテッド』と『グレイスレス』の主人公は、どちらも性風俗に近いところで働きながら、自らは脱がないという共通点もあります。

鈴木:『ギフテッド』の主人公は、母に付けられた火傷の跡があって、それを刺青で隠しているから脱がないという理由があったけれど、『グレイスレス』の主人公の場合はもっと曖昧です。『グレイスレス』の家には元々、父の叔母がカトリックだったために十字架がかけられていたけれど、お母さんが外しちゃうんです。だから主人公たちは信仰を持っていなくて、倫理規範が希薄なところがあります。単に元彼がビジュアル系だったから人に化粧をするのが上手くなって、とりあえずポルノ業界で働いているけれど、精子で肌荒れするからと言って出演者にはならない。彼女はポルノ業界で、女優たちがこの世界で生きなければいけない理由を探しているところがあるんだけれど、結局、その生き方を肯定も否定もできず、仲が良くなったギャルの女優が辞めるからといって、なんとなく辞めてしまいます。

ーー鈴木さんは以前、作家の島田雅彦さんと社会学者の宮台真司さんとのトークイベントで「普通に生きていたらみんなが娼婦になるのだけれど、でもそれぞれになにかしらのバリアが張られていて、多くの人はそうならずに生きているのではないかという感覚があります。そして、言葉や論理を尽くしても大したバリアにはならないんです」と仰っていました。(参考:鈴木涼美×島田雅彦×宮台真司『ギフテッド』鼎談【前篇】「娘を使って自己実現を図ろうとする行為は毒親的でありつつ私小説的」

鈴木:夜の街にいながらギリギリのところで裸にまではならない子には、何か特殊な能力があるのではないか、という話ですね。今回の主人公は、なぜ自分はポルノ女優にはならないのかを探っていて、その点では私自身と興味関心が近い。ポルノ女優が深く傷ついたりするのを見ることができれば、やっぱりそういうことをしてはいけないんだと否定することができるかもしれないと思っているんだけれど、最後まで「理由なんてあまりないよね」という結論しか出せずにいる。仲が良かったギャルの女優も、単に体調不良で辞めていくわけで、信仰がなければ、やはりそういう個人的な理由しか見出せないということを書きたかったんです。一般的に、何かしら劇的な理由があってポルノ女優にならざるを得なかったという物語を想像しがちだけれど、実際はキャバクラから風俗にいって、気づけばAVに出ていたという感じで、深い理由はないケースが大半だと思います。私の場合、夜の仕事をはじめてから一年後くらいにはAVに出演していたので、心理的なハードルが低い人はポロッと出ちゃうんじゃないかな。

宙ぶらりんな主人公の立場

ーーときどき主人公に手紙を送ってくるお母さんも印象的な人物でした。主人公の仕事に対して「いかにも脇役っぽい仕事ね」「社会の際を見てみたいなんていう好奇心は、若い人にはあまりにも当たり前で、大事なことだしね」と、肯定も否定もせずに俯瞰的な意見を述べるだけという。

鈴木:『グレイスレス』の母親は、実際の私の母親に近いと思います。こういう風にグサグサくる手紙を送ってくる人で、主人公にとってアイデンティティのひとつとなっていることに対して「それ、みんな同じだから」と相対化してしまうような感じ。私自身、親から「こういうことをしてはいけない」という倫理を教わった記憶があまりなくて、実際に信仰みたいなものがないと教えにくいものだと思います。私が読者の方などにポルノ女優になるリスクを聞かれたときは、「誰かしらに嘘をつくことになるし、嘘をついている以上、それをもとに脅迫されるリスクは常にある」とか「若さが価値を持つ業界だから、だんだんと自分の価値がすり減っていく」といった具体的な話を挙げられるけれど、普通の親はあまりそういうことを教えてくれないと思うんです。

 今回、不在の母親のほかに、一緒に暮らしている祖母も登場させたのは、ものをはっきりと言うタイプの母親と二人だけの関係だと、もっと突き詰めて考えざるを得なくなるから。母親も祖母も、相手に価値観を押し付けるタイプではないけれど、それぞれ違う方向性を向いているというのが良かったんです。両親を登場させるという形も考えたけれど、やはり女同士の関係性ーー値段を付けられる身体を持っている同士の関係性を描きたかった。そして、祖母と母と娘という三者の構造によって、より宙ぶらりんな主人公の立場を表現できるのではないかと考えました。

関連記事