【伊集院静さんが好きすぎて】気鋭の放送作家・澤井直人が語る “聖地巡礼旅” そこで思うこと
今回このテーマを伊集院さんのエッセイにしたのは理由があった。
先週、大学の同級生の美優(女性)が自宅に遊びに来た。私の家人も同期なのもあり、三人が揃うのは久しぶりだった。私はその後、テレビ局で対面の会議があったので話し足りないとは思いつつも……急いで家を出た。
帰宅すると、家人が深刻な顔で「亡くなっちゃった……」と言ってきた。私が自宅を出た後、美優から聞いたのだという。
まだ私が20歳くらいの頃だろうか。大学の同級生だった、Nちゃんという同級生がいた。明るくて、いつも僕をイジっては笑ってくれる愛嬌のある子だった。(私、家人、Nちゃん、美優は仲が良かった)
家人と最初に付き合ったのも同じ20歳の頃、このNちゃんのアシストなしにはなかったことだ。
以前、家人にこう言われたのを覚えている。「Nちゃんと久しぶりに電話したらね。癌と闘病中だって……。何て言葉をかけてあげていいか分からなくなって。でも、Nちゃんのテンションは昔と変わらずに明るいの……」
家人とNちゃんは、東京と関西で離れていながらも、たまに電話やLINEで連絡をとっていたのだ。
家人は闘病の話を聞いて以降、Nちゃんのことが心配で小まめに連絡を入れていたのだが、プツンと連絡が途絶えていたという。
美優によると……
亡くなる直前まで、旦那さんが目の前で我慢できずに涙を流して哀しんでいる中「私はやりたいことも出来たし、好きな人とも結婚出来たし」と言って、人前では涙を見せず明るく振る舞い続けていたという。
それから、Y山さんは執刀医のいる京都へ行き、手術を受けた。店が何十年も続いたのは、彼の奥さんのA子さんのお陰である。Y山さんの体にはA子さんの肝臓が入って、底力になっている。女性の肝臓の一部でこの大男の肝機能が回復し、働き続けることは千にひとつだった。
しばらく、うどんを食べていると……店内の奥の方に人の笑い声がする。覗いてみると、そこにいたのは紛れもなくY山さんだった。椅子に腰掛け、常連客であろう方と笑顔でお話をされていた。
その笑顔を見たとき、「生きていることが嬉しい」そう聞こえてくるような気がした。
今、私には1歳半になる娘がいるのだが、その娘を公園に連れて行ったら二時間休む間もなく歩き続けている。
「わたしは自由を手にした~!」という表情でこちらに向かって走ってくる。
“歩くのが嬉しくてたまらない。”のが伝わってくる。それをジッと見ていると不思議と涙が出てくる。
若くして事故や病気でなくなったことを「不幸だった」で終わらせるのではなく「どんな人にも、生きている輝かしい時間があった」そう思うようにしている。
「出逢えば別れは必ずやってくる。それでも出逢ったことが生きた証であるならば、
別れることも生きた証なのだろう……」
伊集院さんの言葉を噛みしめながら、店を出た。