立花もも 今月のおすすめ新刊小説 中田永一による初の児童向けラブコメ、同人誌から宝塚で上演された話題作も
河崎秋子『清浄島』(双葉社)
こちらも史実にのっとった一冊。かつて北海道の礼文島で蔓延したエキノコックス症――寄生虫による伝染病を根絶させようと戦った研究者たちの物語である。
腹が妊婦のように膨れてやがて死に至るという、島の人々が呪いとも呼ぶエキノコックス症。なぜ礼文島の住民ばかり発症するのか。昭和29年、北海道立衛生研究所の研究員・土橋義明は調査のために単身島へと派遣される。原因をつきとめるためには、ネズミやキツネだけではなく、イヌやネコも解剖しなくてはならない。突然やってきたよそ者が、人々を救うためという大義名分をかざして、島の秩序や文化を乱すことに反発が起きないはずもない。
土橋は慎重に人々と交流しながら島に溶け込んでいくのだが、コロナ禍において行動を制限されたことを理不尽に感じ、今も憤る人たちがいるように、万人が納得するような対策を講じることなどできるはずもない。土橋が、そして遅れて島にやってきた研究員たちが、どれだけ心身を削って島のために尽くそうと、恨みは買う。それでも〈今、良いことだと信じていることを何もやらないままで良いわけがない〉と役目を背負う土橋の姿が切々と描かれていく。
誰が悪いわけでもない。そもそもエキノコックス症が島に持ち込まれた経緯からして、そのときはそれが最善と選択された結果だった。であるならば、自分たちが今良かれと思ってしていることは、本当に正しく、後の世のためになるのか。疑いだしたらキリのないなかで、土橋だけでなく、島の人々もみな、信じて闘っていくしかない。〈患者に、直接何かできるわけでなくとも、あなたの仕事をして下さい〉。土橋に向けられた島の医師の言葉が、刺さる。
藤野可織『青木きららのちょっとした冒険』(講談社)
何が正しくて、何が間違っているのか。そんなのは、誰にもジャッジできない。だからこそ、誰かから提示された「普通」や「常識」をうのみにせず、迷いながらも自分の選択を重ねていくしかないのだなあ、と思う。それがどんなに、はたから見て奇妙で理解しがたいかたちであったとしても。自分の心をできるだけ殺さずに、最悪と思える世界を生き抜いていくしかない。
本作に収録される9編には、すべて「青木きらら」という人物が登場する。同じ名前だけれど、最初と最後の短編をのぞいて、すべて別人だ。「トーチカ」では主人公にとって輝かしい推しであるし、「スカート・デンタータ」では痴漢に鋭い刃で反撃をはじめた最初の一人であったし、「愛情」では現実に存在しないはずの〝ママ〟の夢を見続ける少女であった。
誰かから刷り込まれた「そういうものだ」という認識は、人から選択肢を奪う。〈戦ってなにかを勝ち取らなければならない世界なら、戦わない者が戦わないことのツケを払わざるを得ない世界なら、青木きららは生まれなくてよかったのだ〉と、生まれることのなかった我が子に向けて、「消滅」の主人公は思う。でも「生まれてこなくてよかった」なんて世界であっていいわけがないし、生まれてしまった者は理不尽だらけの残酷な世界を生き抜いていくしかない。その渦中で負った傷も痛みも誰かと共有することはできないし、私たちはみんな、孤独だ。けれど誰もが、同じ「青木きらら」として手をとりあえる瞬間もきっとある。そんな、祈りにも似た小説であった。