日ハムの新球場が狭かった問題 難解すぎる野球規則はどうして生まれた?

公認野球規則はどうやってできたのか。写真=Photolibrary

 北海道日本ハムファイターズの新本拠地「エスコンフィールド北海道」(北広島市)のグラウンドサイズが「公認野球規則」の規定に足りないことが問題となっている。

 ことの是非は経緯や事実関係がわからないので、何とも言えない。ただ、めずらしく社会で「公認野球規則」なんてものが話題になったので、ちょっと解説してみようかと思う。
 要するに野球の公式ルールブックなのだけど、その成り立ち自体が野球を考える上で、ちょっとおもしろいからだ。

ベースボールはクーパーズタウンから生まれたの?

 最初に、野球の歴史に微妙な誤解があったところから話ははじまる。

 「野球(ベースボール)は1839年に南北戦争の英雄、ダブルデイ将軍がニューヨーク州のクーパーズタウンで考案したんだぞ!」

 20世紀前半、多くの人がそう思っていた。いろんなものには起源があり、同じくアメリカの人気スポーツであるバスケットボールなどは、「1891年にYMCA(キリスト教青年会)の体育の先生が冬に体育館でできるスポーツとして考案した」との記録がある。野球だって、そんな逸話が必要だったのだ。

 そして、その野球の輝かしい歴史を称えるために、クーパーズタウンには野球殿堂が建てられ、今も立派にそれはある。

 でも、野球は人気スポーツ。歴史や成り立ちを調べる人も出てくる。すると、矛盾が見つかってしまう。

「あの、ダブルデイ将軍って、そのころクーパーズタウンにいなかったみたいですが……」

 さらに、あちこちの歴史、特にイギリスに「野球みたいな遊び」が散見されることがわかる。500年以上前にあった、椅子にボールを投げて打者が打ち返す「スツールボール」というスポーツは、クリケットの起源っぽいし、かつ野球の起源でもありそうだ、と考えられるようになる。1700年代の本には、「ベースボール」という言葉も出てくる。

 結局、野球はダブルデイ将軍がバスケットボールのように急に考案したわけでなく、諸説あっても、いろんな人がやっていた「野球みたいな遊び」から発展したのだろうね、と考えられているのが現在だ。

遊びの延長だった野球のルールはどうやって決められた

 ただし、そのままでは野球はあちこちで遊ばれているローカルな遊びだっただろう。

 だが、「野球みたいな遊び」をちゃんとルールを決めてやってみようぜ、という人が現れる。ニューヨークのマンハッタンで消防団をつくったアレクサンダー・カートライトだ。

 彼は消防団の体力づくりのために「ニッカポッカー・ベースボール・クラブ」という団体をつくり、「野球みたいな遊び」をやる。だが、あちこちでいちいちルール決めするのが面倒になった。そこで、1845年に紙数枚、20条程度のルールをつくった。これが、現在考えられているアメリカ野球最初のルールとなる。日本では江戸幕府で水野忠邦が天保の改革に失敗したころだ。

 このカートライトさんのルールは、「先に21点取った方が勝ち」という、今の貧打に泣くチームなら絶望するほどの内容だったが、当時の野球はどんどん点を取り合って遊ぶもので、今とは全然様子が違った。最初の1条なんかは「メンバーは決められた時間に集合すること」であり、7条は遅刻してきた人への配慮。草野球チームの決めごとみたいな感じだ。

 でも、15条の「スリーアウトでチェンジ」という基礎的なところはすでにできていたし、現在の「第3ストライクルール」(いわゆる「振り逃げ」)がこの時点で存在するなど、彼のルールがそのまま残った部分も多い。

 少し乱暴にはなるが、現在の野球ルールはカートライトさんのルールを下敷きに、不備を見つけるたびに、書き換え、書き足し続けて成り立っているともいえるのだ。

 そして、そのアメリカ版のルールブックを翻訳し、さらに毎年アメリカ側が書き加えるルールを、国内関係団体で協議し、だいたい翌年に反映する形で運営しているのが現在の日本野球のルール「公認野球規則」ということになる。

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