永山瑛太が明かす、カメラを手に“撮る側”に回る理由 「僕、自分の芝居で満足したことがないんです」

 俳優・永山瑛太の撮影による写真集『永山瑛太、写真』(マガジンハウス)が1月20日に発売された。本作は、ファッション誌雑誌『GINZA』にて2016年からはじまった連載をまとめた一冊で、永山瑛太自身が、気になる人物に自らオファーを出し、撮影を行なっている。

 俳優・菅田将暉、シンガーソングライター・岡村靖幸、キックボクサー・武尊、芸人・クロちゃん(安田大サーカス)、YouTuber・はじめしゃちょーなど、被写体として名を連ねているのは、あらゆる分野の第一線で活躍する面々。どこでどんな風に撮り、それをどう見せるか。撮る相手ごとに変化する自由な演出に、永山瑛太の写真への向き合い方が見える。

 ドラマや映画に出演する傍ら、約6年間続いた”人を撮る”連載は、永山瑛太にどんな影響を与えていたのだろうか。写真へのこだわりと変化、また、カメラ遍歴についても聞いた。

永山瑛太の“撮り方”

――約6年間の隔月連載が一冊の写真集に。数ページの連載も6年分まとまると、かなり膨大ですね。

永山:写真集を出す目的ではじめた連載ではなかったのですが、こうして形になったのを見るとやっぱり達成感がありますね。改めて、協力してくださったみなさんには感謝しかありません。

――普段、”撮られる側”に立つ機会が多いなか、連載で”撮る側”に回ってみていかがでしたか?

永山:プロのカメラマンさんには遠く及ばないとはいえ、僕なりに、毎回こだわりを持って撮影に取り組めたので、すごく充実感がありました。ドラマの撮影の合間に、あの人を撮るのにどのカメラを使おうかと、次の撮影について考えるのが息抜きになっていて。正直なところ、連載を重ねるにつれて機材への物欲はどんどん高まっていきましたね。ある意味、新しいレンズを買うのが仕事のモチベーションになっていたほどです(笑)。

 それに、この連載がなければ、俳優として息が詰まっていたかもしれません。僕、自分の芝居で満足したことがないんですよ。でも写真を撮ったときの、あの”撮れた”という感覚には、どこか満足感に浸れる部分があって。いい意味で、役に思い悩んだときの気分転換にもなっていましたね。

――キャスティングからロケハン、取材、そして撮影まで、全て永山さん自身で行われたと。毎回の撮影に向けて、何を意識されていたんですか?

永山:限られた時間のなかで、いかに相手の表情を引き出せるか。それに尽きますね。基本的には、被写体の”その人らしい部分”に近づけるよう、本人が行きたい場所、したいことに委ねて撮影をしていました。映画好きの瀬戸(康史)くんは映画館で。(柄本)佑は、お花見に行きたいと言うので一緒に出かけて。

 あとは、被写体の方がプロのカメラマンさんにどう撮られているかを事前に研究して、わざと今までにない写真を狙ったところもありました。

――写真を見ていると、みなさん、あまり“撮られている”感じがしないというか。とても自然体な印象を受けます。やはり、撮影中は会話をしながら撮ることが多いんでしょうか?

永山:そうですね。大体、僕が喋っています。相手にもよりますが、撮りながら思いっきり笑ったり、変な動きをして見せたり、下ネタを言い続けたり……。そうやって、写真を撮っているのか喋っているのかが分からなくなってきた頃が、いちばん、写真が面白くなるタイミングな気がするんですよね。(石橋)静河の横顔は、まさに喋り続けて会話が途切れた瞬間に撮れた憂いのある表情。僕自身、お気に入りの一枚です。

 逆に(森山)未來は、「こんな感じで撮ってみる?」とディスカッションを交えながら撮っているんですけど、お互いにめちゃくちゃ笑っていて。「お前、ふざけてるだろ!」なんて言いながら、普段の未來らしさが出るよう演出していましたね。

――相手に合わせて演出や表情の引き出し方を工夫されているのは、写真からも明らかです。永山さんが相手に何を感じているか。そこに永山さんが撮る意味、本作の醍醐味が詰まっているとも感じました。

永山:僕が”撮られる側”に立ったとき、カメラマンの方が被写体である僕をどう見ているか、その意識を強く感じるんですよ。僕に興味がなく、何も見ようとしていないなってカメラマンさんもいれば、「あの作品、良かったよ」と、わざわざ気持ちを届けてくれるカメラマンさんもいます。“撮られる側”からすれば、写真は対話です。撮影中は、あがりを気にして表情を作るのではなく、目の前でレンズを向けている方の空気感を受けて、表情が作られているんですよね。ほんの数時間の撮影だったとしても、前者と後者では、撮れる写真がかなり違うはずです。

 それが分かっているからこそ、“撮る側”に回ったときは、必ず被写体に対する想いを現場に持っていきます。意識的にというよりは、僕自身が丸裸になって敬愛を示さないと、逆に失礼じゃないですか。肩肘張ってカメラを構えても、わざわざ“撮られる側”の方から“撮る側”の殻を崩そうなんて、思うわけがないですし。

――おっしゃるとおりですね。

永山:僕は、顔が撮りたいんですよね。その人が持つ二面性や生き様は、全て顔に出ると思っています。その顔を撮るには、まず“撮る側”の僕が歩み寄らないと。実際に、対話を重ねるほど「僕以外、誰にも撮れない顔が撮れたぞ」といった確信が生まれるのを、何度も実感していますよ。

――流れで変化を追うと、連載を続けるにつれ写真がシンプルになっていますよね。写真の色も、カラーよりモノクロの割合が多くなってきています。個人的に、モノクロの方が、顔のシワやホリが印象的に見える感覚があって。「顔を撮りたい」と聞いて、その変化を妙に納得しました。

永山:もともとこの連載は、タイトルが「年下の男、カタルシス」で、菅田将暉くんや村上虹郎くんなど、年下の素晴らしい俳優さんたちの”今の顔”を撮っておきたくてはじめたのですが、途中で「永山瑛太、写真」にタイトルを変え、年下の男以外の人も撮るようになりました。そう言われると、確かに年上の方を撮るなかで色のない写真に魅了されていった部分はありましたね。

 ですが、相手次第ですね。カラー写真だと引きで景色も見せられますし、色の情報が増えてこそ被写体が際立つ場合もあるので。現に、アラーキー(写真家・荒木経惟)さんを撮らせていただいたときは、絶対にコレで決めようと、カラーフィルムだけを持って行きました。今後、撮る写真がモノクロに傾倒するわけではないと思います。

カメラ遍歴とこれから

――そもそも、写真に興味を持ったきっかけは何だったんでしょう?

永山:子どもの頃、母親が、僕や兄弟の写真をよく撮っていて、たくさんアルバムに残っているんですよ。それで、生活の一部にずっと写真があって。

 自分で写真を撮りだしたのは、中学生の頃、使い捨てカメラで学校の友達を撮ったのが最初だったと思います。当時、使い捨てカメラ自体は数百円と手軽に買えたものの、現像代はかなり高くて。写真はそういうものだって認識で育ってきたから、いまだに一枚を撮る重みは考えてしまいますね。スマホどころかカメラ付き携帯もない。ガラケーに光るアンテナが付いていたような時代でしたから(笑)。

――今は撮り放題ですもんね。スマホもそうですし、デジカメも撮り直しがききます。

永山:今や、高い機材を持つ意味は所有感にあるのではないかとすら思います。その気になれば、スマホでいくらでもきれいな写真が撮れてしまうし、フィルム調のフィルターが入ったアプリを使えば、フィルム独特の光漏れも簡単に再現できる。それでも、本物のフィルムを使って、お金をかけて現像する行為に、何か意味がある気がするから、こだわって使い続けているんですけど。

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