『無理ゲー社会』橘玲が語る、自由な社会の生きづらさ 「自分らしく生きられる世の中になったからこそ、利害が対立する」

デジタル時代の新たなる「評判格差」とは

ーーそうした一見自由な社会は「メリトクラシーのディストピア」であると論じていました。この社会は、人が努力によって獲得できるとされる「メリット」、すなわち「学歴」「資格」「経験」の3つで評価されることが公正とされる。しかし、現実には知能格差は広がっていて、それが経済格差にも直結していると。

橘:知識社会が高度化して仕事に求められるスペックが上がっていけば、当然のことながら、そのハードルを越えることができない人が増えます。アメリカは60年代の公民権運動により、個人を属性で評価することが差別と見なされるようになり、純化したメリトクラシー社会になりました。

 従業員から差別だと訴えられて巨額の賠償金を支払うような事態を避けるには、採用や昇進にあたって、人種、性別、年齢などの「属性」を基準にしてはならない。そうなると、評価の基準として許されるのは「学歴」「資格」「経験」で、これが「メリット」です。

 メリットは「能力」と訳されますが、1958年に著書『メリトクラシーの興隆』でこの言葉をつくったイギリスの社会学者マイケル・ヤングは「知能+努力」と明確に定義しています。これは、教育で知能が向上すると信じられていたからで、メリット(学齢、資格、経験)はどれも本人の努力によって獲得できるのだから、個人の属性ではないとされていたのです。

 ところがヤングは、半世紀以上も前に、これが幻想だということに気づいていた。大学教授夫妻の子どもが優秀なのは、家に本がたくさんあるからではなく、両親から遺伝子を受け継いでいるからです。しかし知能を「属性」にしてしまうと、もはや個人を評価する公正な基準がなくなってしまう。

 こうしてリベラルな社会は「教育によって学力はいくらでも向上する」「努力すればどんな夢もかなう」という神話をひたすら唱えつづけるしかなくなった。ところが、階級、人種、性別による差別がなくなればなくなるほど、知能による格差が拡大していく。

 アメリカではこのことはずっと保守派の知識人が指摘してきましたが、リベラル派は「差別主義者」のレッテルを貼って封殺してきた。ところが、「白人至上主義者」の熱狂的な支持でトランプ大統領が誕生すると、メリトクラシーの矛盾からもはや目を背けることができなくなって、マイケル・サンデルのような“リベラルなコミュニタリアン(共同体主義者)”までがメリットの専制(邦訳は『実力も運のうち』)を批判するようになった。ところがこの本で提案された解決策は「ハーヴァード大学の入学者をくじ引きで決める」で、そんなことでメリトクラシー社会を変えられるのかはなはだ疑問です。とはいえ、この問題を解決できた人は世界で誰もいませんが。

ーーさらに昨今は経済格差に限らず、評判格差というものがあるそうですね。

橘:進化論的にいうなら、ヒトは共同体から評判を獲得することで幸福感を得られるように「設計(デザイン)」されています。大きな評判を持つ者はより有利な性愛(男なら複数の若い女性、女なら権力をもつ男性)を獲得できるから、「利己的な遺伝子」にとってきわめて都合がいい。

 富が重要だったのは、それを顕示する(見せびらかす)ことで大きな評判を得られたからです。ところがSNSによって、「評判を可視化する」というとんでもないイノベーションを実現した。そうなれば、お金よりも直接、評判を獲得する方がずっと「コスパ」がよくなります。こうして現代社会では、富の顕示で評判を得るのではなく、大きな評判から富が生み出されるようになりました。あまり指摘されませんが、これも人類史上はじめての大変化です。

 経済格差は、お金を持っている人から持っていない人に分配することで、理論的には解決可能です。こうしてベーシックインカムなど、さまざまなアイデアを提案する人が出てくるのですが、評判格差には(おそらく)原理的に解決方法がない。イーロン・マスクの個人資産はトヨタの時価総額に匹敵する約30兆円ですが、国家が徴税のような“暴力”を行使してそれを分配することは可能でしょう。しかし、彼の6000万人以上のTwitterのフォロワーは分配できないですよね。

 理想主義者は、経済格差が問題なのだから、ベーシックインカムによって経済格差をなくせば世の中はよくなると言う。貧困で生存の危機にある人たちを国家が支援するのは当然ですが、仮になんらかの方法で経済格差を解決できたとしても、次にやってくるのはよりグロテスクな「評判格差社会」だと思います。なぜなら、富よりも評判の方がはるかに(少数の者がすべてを独占する)ロングテールになりやすいから。あまり希望がない話ですが。

橘玲『裏道を行け ディストピア世界をHACKする』(講談社現代新書)

ーー橘さんが考える理想の社会とは?

橘:私は、どうすれば理想の社会を実現できるかという発想をあまりしないんですよね。人生をある種のゲームと考えれば、理想を求める以前に、まずは自分がどのような世界に投げ込まれて、どういうルールでプレイしなければならないのかを理解しなくてはいけない。

 もちろん世の中には理想を追求する人も必要でしょう。でも読者が私に求めているのは、「もうすこし豊かになりたい」「もうすこし幸福になりたい」すなわち「どうやったらこの世界(ゲーム)を攻略できるのか」というアドバイス(ヒント)だと思います。

 一所懸命に頑張ってよい大学に入り、「一流企業」に就職できれば一生安泰という昭和の人生設計はもはや破綻してしまいました。これは欧米も同じで、人生がどんどん「無理ゲー」化するにつれて、システムを「ハック」するしかないと考える若者が増えている。12月に講談社現代新書から『裏道を行け ディストピア世界をHACKする』という新刊が出ますが、ここではそんな話を書いています。私のなかでは、『上級国民/下級国民』、『無理ゲー社会』に続く三部作の完結編になります。


関連記事