日本語で検索してもヒットしない場所へ 『奇界遺産』佐藤健寿に聞く、奇妙なものを撮影し続ける意味

 「奇界」という言葉は、世界各地に点在する「奇妙なもの」を撮り続けている佐藤健寿氏による造語である。それは単に私たちの世界に存在する「奇妙なもの」を指すのではなく、それらが堂々と存在している世界そのものが奇妙だ、という意味である。そうした奇界を写真集としてまとめた『奇界遺産』が出版されたのは2010年。それまでにあまり類を見なかった大型の美術書を思わせる写真集ながら、反響とともに人気を博し第2集が同じ判型で2014年に。そして2021年5月19日、第2集から7年を経て『奇界遺産3』が上梓された(3冊ともにエクスナレッジ刊)。

 今回、新作の『奇界遺産3』について、著者の佐藤健寿氏に1作目を出版した当時から今に至るまでの背景や旅のエピソード、また写真家としての考えなどを訊いた。

新型コロナ禍で踏ん切りがついた第3集制作

ーー第2集から7年を経て今回『奇界遺産3』が出版されましたが、7年という期間には意図したものがあったのでしょうか?

佐藤健寿:(以下、佐藤)実はもっと前から第3集の制作は企画されていて、メールを見返したら2016年ごろに最初の打ち合わせをしていたみたいです(笑)。ですが、旅を重ねるなかで写真集に追加したいスポットも増え、「どうせなら行きたいところは全部行ってからまとめよう」と考えるようになりました。そして2018年に北朝鮮へ行くことができて、表紙の構想も含めてあらかた整いました。その後もダラダラと旅に出ていましたが、そうしているうちに新型コロナウイルスの流行が始まってしまい。

 さすがにどこへも行けませんし、「とうとうこの時がやってきたな」と(笑)。制作の過程を振り返ると作業開始から出版まで、ちょうど1年かかりました。コロナ禍がなければ、出版はあと1〜2年は延びていたかもしれません。

ーーもともと、写真集として『奇界遺産』のシリーズを出版することになったきっかけは何だったのでしょうか?

佐藤:2007年に出版した私の初めての本は、紀行文というカタチを選択しました。そのときは写真集を出すつもりはなかったんですが、もともと美術大学に通っていたときに写真をやっていたこと、旅をして写真を撮っていくなかでかなりの枚数が溜まっていたこともあって、自然とそれらを本にしたいと思うようになったんです。

 書籍化しようと考えたとき、大型図鑑のような写真集をイメージして、いろいろな出版社に相談しました。今でこそ、このようなタイプの写真集は比較的目にするようになりましたが、2010年ごろはあまり類書がなかったので難しかったと思います。そうしたなかで、当時エクスナレッジさんが「これはいけるかもしれない」と話に乗ってくれたんです。「10年は残るような立派な仕様の写真集にしたい」という私のワガママも聞いてくださいました。結果、出版後10年経ってみて、いまも増刷されているので本当にこのフォーマットにしてよかったなと思ってます。

「死」にまつわる儀式の取材が多くなっているワケ

ーー第3集までの期間で、旅や写真集づくりの中で気づきや意識の変化などはありましたか?

佐藤:第1集には、ひたすら内容の面白さを追っていて無邪気な印象があったと思います。それが2、3と進むにつれて、行く場所のハードルも上がってきましたし、いろいろと考えることもありました。

 2010年に第1集を出した年の12月にチェルノブイリへ行ったんです。その写真を第2集の一発目に載せようと思っていたんです。その時はチェルノブイリといえば、日本ではほとんどの人がその存在も忘れているような状況でした。それが、翌年3月に東日本大震災が起きて、一気に日本でのチェルノブイリの意味が変わってしまってしまったんですね。その後も他の撮影を続けながら、「科学って何だろう」みたいなことを考えていましたね。たとえば原子力は、事故が起きると瞬時に大量破壊につながってしまう恐ろしいものに変わってしまいます。一方で、同時期にもともとは大陸間弾道ミサイルとして作られたロケットは、冷戦を経ていま宇宙開拓に不可欠なものとなっている。もともと大量破壊兵器だった技術が人類の希望を切り拓いているわけです。そうした科学の二重性のようなところにも関心があって、第2集はロシアのバイコヌール宇宙基地を表紙にしたりして、少し重めのテーマになりました。

 そして第3集は、「前回考えすぎたかも」という反省も踏まえ、シンプルに面白いところへ行こうと思って撮影を進めました。この10年、ネットやスマートフォンが普及したりして、いろいろな変化が起きていたことが興味深かったです。たとえばロシア極北地方の先住民族・ネネツ族を取材したときのこと。彼らは電波が入らないのにスマホを持っていて、街に出たときに使うんだそうです。その子供たちも、住んでいるテントの中でジェネレータで充電して中国製のスマートフォンでゲームをしていました。ネットや情報によって、内側から均一化されている、それがこの10年におけるグローバル化なんだなと思いました。

 一方、今回の表紙にも使った北朝鮮は何もかも印象的でした。いまでも鎖国のような状態だしネットもケータイも使えないゆえに、そうしたグローバリズムから奇跡的に取り残されている。日本のすぐ隣にありながら、これだけ強烈な景色が残されていることに衝撃を受けました。これまで3冊を作ってきて、自分では「時代」というものを意識していたつもりはないんですが、知らず知らずのうちに反映されていて、結果的に通奏低音のように時代性は反映されていると思います。

北朝鮮のマスゲーム (C)佐藤健寿

ーー編集はどのように行われましたか? また、そのなかでストーリーはどのように考えますか?

佐藤:掲載する写真の順番など、編集はほぼ自分で考えました。撮影そのものが編集作業のようなところがあり、台割(本の設計図)が頭にあって制作過程で「この要素が足りないな」と思ったら撮影の旅に出かけるようなことをやっていました。まるでパズルを組み上げていくというか、究極の同人誌を作っているような感覚です。

 今回は「再生(ルネッサンス)」というキーワードを盛り込んでおり、見返してみますと「死」にまつわるものが多いなと自分でも感じています。実際、シリーズを通して死にまつわる儀式は出てくるんですが、平たく言えば「死」は一番文化的に皆が真剣になる部分なんですよ。たとえば結婚式は流行があったり派手なパーティなども含めてそこまでシリアスになる必要もない。でも死にまつわるものは、どこの国でも、民族でも、当然ながらシリアスだし、歴史的な方法が尊重されている。だから当然その土地の歴史や宗教、風土など文化的なものがぎゅっと凝縮されていることが多いんです。

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