山崎まどかの『一度きりの大泉の話』評:萩尾望都が竹宮惠子に向けていた眼差しとその痛み

『トーマの心臓』『小鳥の巣』と『風と木の詩』

『トーマの心臓』(小学館文庫版)

 萩尾望都と竹宮惠子、二人の作品は確かに一時期、似たような題材を扱っていたかもしれない。少年同士の関係もそのひとつだ。それぞれの本を読むと「少年愛」や今のBLに対する思いは違うが、女性の表現者に、もっと言うと女性そのものに押しつけられた物語からの脱却を、二人が少年同士のつながりに求めていたのがよく分かる。

 しかし本人たちやファンが気にするほど、『トーマの心臓』『小鳥の巣』と『風と木の詩』は本当に似ているだろうか? 

 かつては私もそう思っていたかもしれない。中学生の頃は、『風と木の詩』は『トーマの心臓』を扇情的に、コマーシャルに作り替えたものだと信じていた。そう思われることこそが、竹宮惠子が恐れていたことだったのだろう。業界やファンの間では逆の噂があったのだと、萩尾望都の方は語っている。

『風と木の詩』( Kindle版)

 今の自分の目で見ると、それぞれの作品は全く違って見える。(自分の好みは別にしても)『風と木の詩』は竹宮惠子にしか描けない作品であり、ドラマとして完成度が高く、時間の経過に十分耐えうる名作になっている。もちろん、同じことが同時期の萩尾望都作品にも言える。あんなに若く、そして人間としても未熟だったはずの二人が、これだけの作品を生み出していたという事実が素晴らしい。それぞれ食い違う発言や、二十代の時の二人の個人的な関係よりも、作品の方がはるかに萩尾望都と竹宮惠子の本質を物語っている。

 「大泉サロン」解散後、辛い経験をしながらも、萩尾望都が表現を諦めなかったことに読者として感謝したい。プライベートにおける竹宮惠子との再びの邂逅は望めないかもしれないが、創作者同士の青春の絆と悔恨、和解についてもう彼女は「十年目の毬絵」(『10月の少女たち』 収録 )で描いているのだ。

 『一度きりの大泉の話』は興味深い本だが、萩尾望都の創作物よりも寿命の長い読み物ではないだろう。この本をきっかけに彼女の作品に様々な解釈が生まれるにしても、作家のアイザック・シンガーが言う通り「解釈の方は腐る」。しかし作品そのものは腐らないし、傷つかない。ただ、それを生み出した人間は傷つくということは覚えておきたい。

■山崎まどか
コラムニスト。近著に『ランジェリー・イン・シネマ』(小社刊)『優雅な読書が最高の復讐である』『映画の感傷』(共にDUブックス)

■書籍情報
『一度きりの大泉の話』
萩尾望都 著
定価:1,980円(税込)
出版社:河出書房新社

関連記事