大橋裕之 × 吉田靖直(トリプルファイヤー) 特別対談:等身大の才能と低カロリーな情熱

「『手のなる方へ』みたいな歌詞を書いていた」(吉田)

――大橋さんは吉田さんの初の著書『持ってこなかった男』をどんなふうに読みましたか?

大橋:めちゃくちゃ面白くて、仕事も残っていたのに一気に読んじゃいました。吉田くんとは一緒に飲んだこともありましたけど、音楽の悩みとかはそんなに聞いたことがなかったので、「音楽のこともバンドのことも、いろいろ悩んだり考えたりしていたんだな」と感じましたね。あとトリプルファイヤーに鳥居(真道)くんが入る前のこともあまり知らなくて、吉田くんがギターをやっていたことも知らなかったんですよ。

吉田:あまり人に言う機会もなかったですね。

大橋:でもこの本を読んだ感じだと、かなり弾けるんだよね。

吉田:普通にライブハウスに出ているバンドぐらいは弾けますね。

――この本に出てきたトリプルファイヤーの活動初期の映像は手元に残っているんですか?

吉田:ライブ映像は誰かが持ってるかもしれないし、昔はYou Tubeにも上がっていたと思います。でも今はもう上がってないですね。僕が「消して」と言ったのかもしれないです。

大橋:検索したんだけど、鳥居くんの加入前の動画は出てこなかったね。吉田くんは見たくもない感じ?

吉田:今は逆にちょっと見たいです。

大橋:じゃあ人に見られるのは?

吉田:嫌ですね。1年間で399回ぐらいしか再生されていなかったし、本当にきついんですよね。歌詞が嫌なんですよ。

大橋:変にカッコつけてる感じだったの?

吉田:「思ってもいないことを思っている風に言う」みたいな歌詞でしたね。

大橋:例えばどんな歌詞なの? 単語でもいいけど。

吉田:ニュアンスでいうと「手のなる方へ」みたいな感じです。

――J-POPのステレオタイプっぽすぎる歌詞ですね(笑)

吉田:その単語そのものは使ってないですけど。僕は「手のなる方へ」と思ったことはないし、「本当にそう思ってるのかよ」って思っちゃうので、そういう歌詞は嫌だなって思っていて。でもその頃は、そういう嫌さの歌詞というか、なんか詩的な雰囲気を漂わせた歌詞を書こうとしていました。

――そういう歌詞のほうが人気が出ると思ってたんですか?

吉田:あと「文学的」と言われたいと思っていました。それで「バンドの歌詞ってこういう感じかな」と思いながら書いていたんですけど、俺だけ全然上手く書けていないというか、「何か俺が書くと歌詞が変になる」という違和感もありました。

――吉田さんがJ-POPに寄せて無理やり書いていた歌詞、すごく読んでみたいです(笑)。

「自分が発想を転換できたときの高揚感を思い出した」(大橋)

大橋:あと『持ってこなかった男』では、幼稚園の頃から偉人のマンガを読んでいて、天才に憧れてたって話があったけど、本当にそんな早熟な子供だったの? それとも「いま思い返すとそういうことも考えてた」って感じ?

吉田:「うちの親はテレビとか出ないし、普通の人なんだな」みたいなことって、子供の頃に思うじゃないですか。それで僕は「自伝が出るような普通じゃない人にならないと」と思ってました。あと、その自伝マンガには質問に答えていくと自分が誰タイプか分かるページがあって、僕は「豊臣秀吉タイプ」だったので、ああいう感じを目指そうかなと。

大橋:そうだったんだ(笑)。あと前に会ったときに、「書きながら自分で泣いちゃった部分もあった」って言ってたよね。それはどこなの?

吉田:自分のことをいろいろと諦めて、「自分が持ってるもので頑張るしかない」と決意したあたりですね。泣きながら書いた文章はメチャクチャ修正したので、もう原型は残ってないです。

大橋:それは当時のことを思い出して涙が出てきた感じだったの?

吉田:そうですね。「頑張れ!」みたいな気持ちでした。

『遠浅の部屋』(カンゼン)

――大橋さんの自伝的マンガの『遠浅の部屋』にも、大橋さんが「あ…そうか。俺みたいな人間が主人公の話なら描けるな」と思いついて、マンガを描きはじめる場面がありましたよね。その場面は、吉田さんがいま話した決意の場面と重なると感じました。

大橋:そうですね。その部分を読んだときは、自分のなかに発想の転換が起こって、「こうすればマンガを描けるんじゃないか」と気づいたときの高揚感が蘇りました。

――大橋さんは「こうしたらマンガっぽくなる」「こうしたら売れそう」みたいな狙いで描きたくないマンガを描いていた時期はあったんですか?

大橋:僕はそういうことは考えてなかったというか、それ以前の「どうしたらマンガとして成立するか」という部分で苦戦してました。マンガを描き始めた18歳くらいの頃は、ギャグ4コマを描いていて、吉田戦車さんの『伝染るんです』とか和田ラヂヲさんみたいな感じで連載を持てたらいいな……と思ってましたけど、まず書き込む努力があまりにもできませんでした。あと「コマは定規で引くのか」「スクリーントーンは使わないと通用しないかな」とか、そういう部分で悩んでましたね。

「『こんな絵でも受け入れてくれるなら』という感覚」(大橋)

大橋:あと『ゾッキ』シリーズには自費出版をはじめた頃の初期作品も収録していて、そのあたりは今でも何とか読み返せるんですけど、その数カ月前の作品は恥ずかしくて読み返せないです。何というのか、シュールにしようシュールにしようと頑張ってる感じとか、あからさまに奇をてらって変な人物を登場させたり、おかしな言動をさせたりしているのがもう辛くて……。当時はいろいろと考えすぎていたんだと思います。

――吉田さんの場合は、それこそ1冊の自伝になるような人生の紆余曲折があって、今のトリプルファイヤーの音楽にたどり着いたわけですが、大橋さんにもそうやって悩んだり迷ったりした時期があったわけですね。

大橋:僕も賞に応募してもまあ引っかからなかったですから(笑)。それで受賞作を読むと大体つまらないし、「俺のほうが面白いな」とか思ってたんですけど、「ここまで何も引っかからないということは、自分も何かマズいんじゃないか」と考えるようになって。そこで「奇をてらいすぎてた」と気づいて、それを薄めていったのかもしれないです。

商業誌デビュー作「世界最古の電子楽器 静子」『ゾッキC 大橋裕之作品集』(カンゼン)

――吉田さんの本では「才能」を「自分がそうなろうとしてもいないのに勝手にそうなってしまうもの」と定義していた文章がありました。その定義に従うと、「自分みたいな人」を主人公にしている大橋さんは、自分の才能をナチュラルに生かしてマンガを描いているのかなと感じました。

大橋:どうなんですかね……。僕については、友達と少しバンド的な活動をしてみたり、お笑いも好きで「芸人もやれるならやってみたいな」と考えたりもしたんですけど、そのなかでマンガが一番やりやすかったというか、「こんな絵でも受け入れてくれるなら」という感じで続けることができたんですよね。それこそダウンタウンのコントだったりとか、今まで見てきたり、感じてきたりした好きなものや、ふだん生活していて面白いと感じたものを集めてマンガを描いている感覚なので、自分が新しいことをしている意識は特にないんですよ。

関連記事