写真家・石川直樹が見つめる、”東京”の変化 「いまこの写真集を出すことに意味があると思った」
2020年12月21日に発売された石川直樹の『東京 ぼくの生まれた街』(エランド・プレス刊)は、世界の様々な街や地域を旅してきた石川が20年にわたり、短い「東京滞在」のなかで少しずつ撮りためてきた写真をまとめた作品である。石川にとっての生まれ故郷である東京と、「世界のあちこちにある地方都市の一つ」である東京。そんな石川の東京観、心象風景を見ることのできる一冊だ。
2020年、新型コロナウイルスは多くの人々の生活様式に影響を及ぼしたが、石川にとっても、新たな作品制作の試みや思考が発動した年になったという。そうした意味で同書は、再開発など目まぐるしく移ろい続けてきた新型コロナ以前の時間と、それ以降の時間とを紡いだ、まさに今だからこそ出版すべきだった東京の記録と言うこともできるだろう。今回、同書を出版することになった経緯や石川の東京観、作品制作へのアプローチなどについて話を訊いた。
なお、表紙の裏側には東京のマップが印刷され、撮影地である街の名前が石川自身の手で記入されている。こうした部分も、この写真集を楽しむためのポイントの一つになっている。
これまでで一番、東京について考えた一年だった
ーー石川さんといえば、海外の山をはじめ、様々な地域で風景や人物、その土地の風俗などを撮っている印象がありますが、今回東京をモチーフにした写真集を緊急で出すことになったきっかけや経緯についてお聞かせください。
石川直樹(以下、石川)いつでもシャッターを切れるように常に何かしらのカメラは持ち歩いているので、旅に出ているときに限らず、以前から東京にいる間もポツポツ撮っていました。もちろん旅先のほうが体が反応することは多いですけど、東京にいてもそうした瞬間はいくらでもありますし、断続的に撮り続けてきました。十数年前から最近まで撮りためていたものをまとめたのが、今回の写真集になります。
東京の写真は、発表する前提で撮っていたわけではありません。そんな折り、新型コロナの影響で海外はおろか国内の移動もあまりできなくなっていたときに編集者の九龍ジョーさんから連絡をいただいたんです。「こんな年だし、今出版しましょう」と。
東京は生まれ育った街で慣れ親しみ過ぎた部分もあって、まとめていいものか、最初は色々考え、逡巡していました。でもこの20年間でこんなに長く東京に滞在することはなかったし、今までで一番東京について考えた年だったからこそ、2020年にこの写真集を出すことは意味があるんじゃないかと思い直し、作業に入りました。
東京に閉じこもっているときは、本を読み耽りながら新作の構想を考えたり、時間がなくて手を付けられていなかった新しい試みに着手しました。外出自粛期間中、家の中でいろいろ撮ってみようと考えましたが、あらためて撮ろうと思えるものもない。そこで部屋に遮光シートを張り巡らせて真っ暗にして、シートに小さな穴を一つ開けたら外の風景が部屋のなかに入ってくる(投影される)実験、つまり「カメラ・オブスキュラ」を部屋に作ってみたんです。子どもの頃から使ってきた実家の自室なのに、外の風景を取り込むことによって、まったく別の空間に変化しました。そうした体験を踏まえ、東京に長く滞在するなかで、近所で何か撮れるものはないだろうか、とも考えるようになりました。
ーー以前から知っている東京と、「一番東京について考えた年」である今の東京に関して、感情の変化はありますか?
石川 東京はぼくが生まれた街ですが、元々特別な思い入れはないんです。雨風しのげればそこがホーム、それがぼくの考え方なので。パリやニューヨーク、ジャカルタ、ナイロビ、リマなど世界中の都市を廻ってきて感じるのは、東京もスペシャルな場所ではなく、そうした都市の一つでしかないということです。東京特有の何かを感じるというよりは、無色透明、或いは混淆しすぎて何も見えなくなった白い部屋のようなイメージが自分にはあります。
近年はオリンピックの関係で再開発が行われ、一週間くらいでどんどん違う姿に変化していく。目まぐるしいスピード感があって、ある色がぼんやり見えてきたと思ったら、すぐに違う色に変わってしまう。だから無色透明かな、と。何でもありそうでいて、何も無い。都市の極北でありながら、荒野。そんな印象ですね。
新型コロナ以降は、オリンピックという祝祭に至る梯子を外された虚しさを感じます。写真集にも収録されていますが、渋谷で一年にわたってネズミを撮っていて、とくに夏の時期にセンター街などを歩き回っていると、オリンピック関連の応援歌みたいなのがずっと流れてくる。延期が決定しているのに、こうした応援ソングのようなものが予定通りに流れ続けていて空虚だな、と。なんか洗脳されるみたいに、メロディーが頭にこびりついてしまいましたね。
またインバウンドに備えて外国語表記が増えたり、工事によって街の導線が大胆に変化したり、カタカナの名前のビルがたくさん建てられたり。すべてが新しく刷新されていくなかで、コロナが流行して、人が消えていく。そうなってからは、外国人も見かけなくなり、いろいろな場所で閑古鳥が鳴いている。オリンピックが2021年に実施されたとしてもされなかったとしても、いずれにしても言いようのない虚しさはつきまとうんじゃないか。そうした東京を歩き回って写真を撮っているうちに、逆に妙な愛着も少しずつ湧いていきました。
ーー写真集の中には小笠原の様子も収録されていますが、どのような意図があったのでしょうか?
石川 小笠原は、行政区分上は東京都だからということもありますが、自分自身が若い頃を振り返るにあたって小笠原の存在は大きかったんです。
高校生のときに、イルカと泳いでみたいと思って、初めて小笠原へ行ったんです。そこで、イルカのひれのような「モノフィン」という道具を着けて泳いだのですが、これでドルフィンスイムをするとすごくスピードが出る。ただ両足が固定されてしまうので、泳ぎに慣れていないと、溺れてしまうんです。泳ぎには自信があったものの、イルカの群れを見てそこに入っていく段階ですごく焦ってしまって、実際溺れかけたこともありました。当時、イルカと泳ぐために呼吸法とか潜水の練習とかを、自宅の小さな風呂でブクブク潜ってやっていました。「今日は3分、明日は4分」みたいにやっていた自分を思い出して、この写真集にも小笠原の写真を入れようかな、と。
『グラン・ブルー』という映画を見て、ジャック・マイヨールのことや素潜りのことを調べたりもして、次はクジラと泳いでみたいと思っていたんですが、クジラは大きいしパワーがあるので、ひれによる水流が強く、それに巻き込まれたら死んでしまう。あきらめてはいないのですが、なかなかクジラと泳ぐ機会はやってきませんね。