『鬼滅の刃』はなぜ「完結」したのか 物語の続け方/終わらせ方を考える

「失われていく時代」の物語

『鬼滅の刃公式ファンブック 鬼殺隊見聞録』

 加えて、しばしば指摘されることだが『鬼滅の刃』には「大正時代」という時代設定の妙がある。日本が近代化を目指した明治から、敗戦と戦後を経験する昭和に挟まれた14年間、という短い時期。従来のフィクションでも題材にされにくかった、スキマの時代でもある。

 そうした社会で「鬼退治」が描かれる意味は様々に語れるが、実は設定に大きく関わる部分が『鬼滅の刃』連載前の前身、「鬼殺の流(ながれ)」の第1話ネームで具体的に表現されている(『鬼滅の刃公式ファンブック 鬼殺隊見聞録』収録)。

 『鬼滅』の作中でも、鬼殺隊は「政府非公認の組織」なのだと軽く触れられるが、そうなる理由は特に説明されなかった。しかし「鬼殺の流」では、鬼殺の剣士たちの人間離れした身体能力ゆえに、警官などが遭遇しても「迷信だ」と見て見ぬフリをされるのだと解説されている。

 そして「鬼殺隊を認めれば鬼が存在することになる」と、「残酷な殺人事件」で済んでいた鬼の活動が、本当に怪異の仕業なのだと公認することが恐れられている。「鬼殺の流」の導入は「明治時代」というナレーションから始まるため、『鬼滅』の連載前に年代が修正されたようだが、こうした社会のイメージは確かに「大正時代」こそがしっくり来る。

 例えば、哲学者の井上円了が『妖怪学講義』で妖怪などの迷信を科学的に批判しようとしたのが明治26年(大正元年の19年前)。それまで完全に否定しきれていなかった「迷信」を、少しずつ忘れようとしていたのが明治より後の日本なのだ。

大正11年に出版された版の『妖怪学講義』

 神懸かりした人間や鬼の存在を認めることは、近代化からの逆戻りを意味していた。だからこそ、鬼殺隊や炭治郎の戦いは子孫以外には語り継がれなかった。「失われていく定めの物語」となる『鬼滅の刃』の方向性は、時代設定の時点で決まっていたとも言える。

 鬼を妖怪のまま「信じられる」前近代でもなければ、超常現象を科学的に「研究できる」現代でもない……。現代で「植物学者」となった伊之助の曾孫(嘴平青葉)が「青い彼岸花」を絶滅させたというのは、実在していた「迷信」が失われ、現代の視点で取り戻せなくなったことを知らせている。

 その最終話において、竈門家と煉獄家の子孫が高校生離れ(?)した身体能力を見せたり、鬼の愈史郎が珠世の絵を描き続けているのは、「失われていく時代」の残り香をわずかに伝えているのみなのだ。そう、「(あなたが)憶えていてくれるだけでいい」(23巻p223)と、かの者たちが願ったように。

■泉信行
漫画研究家、ライター。1980年奈良生まれ。2005年頃から漫画表現論の研究発表を始め、現在は漫画、アニメ、VTuber他について執筆。共著に『マンガ視覚文化論』、『アニメ制作者たちの方法』など。@izumino

■書籍情報
『鬼滅の刃』23巻完結
著者:吾峠呼世晴
出版社:集英社
価格:各440円(税別)
公式ポータルサイト:https://kimetsu.com/

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