松重豊が語る、複雑怪奇な「俳優」という生き物の性 「改めて自分は変人だなと思います」
俳優・松重豊が初著書となる小説&エッセイ集『空洞のなかみ』を出版した。テレビドラマ『孤独のグルメ』シリーズ、『アンナチュラル』『きょうの猫村さん』、映画『アウトレイジ』シリーズ、『ヒキタさん! ご懐妊ですよ』などで、実力派として高い人気を誇る松重が書き下ろした本著は、連作短編小説「愚者譫言(ぐしゃのうわごと)」と週刊誌『サンデー毎日』で連載中のエッセイ「演者戯言(えんじゃのざれごと)」の2部で構成。現在、向井秀徳をはじめ11人のミュージシャンと共作する、本書の読み聴かせ朗読ムービーを収録したYouTubeチャンネルも公開中だ。
「57歳にして色んなものに初挑戦中」という松重に、執筆の際の胸の内を直撃。「俳優とは表現者として歪みを抱えている」と語る松重の魅力が詰まった本書にまつわるエピソードに始まり、「俳優は空っぽな器」との役者論、その気づきに出会った40代前半の出来事など、多くを聞けば聞くほど、俳優・松重豊という“器”のユニークさが伝わってきた。(望月ふみ)【記事の最後にサイン入りチェキのプレゼント企画あり】
自粛期間に小説を執筆し、「最初に出そう!」と最速出版
――本書は、連作短編小説「愚者譫言」と、エッセイ集「演者戯言」の2部構成になっています。小説部分は、新型コロナ禍による自粛期間があったから生まれたとか。
松重豊(以下、松重):まさにコロナの自粛で、ステイホームで何もすることがなくて、書いちゃったんです。でもきっとみんな暇で、こういうのを書いている人もいっぱいいるでしょうから、秋から冬口くらいに雪崩を打って出てくるぞと思ったので、「最初に出そう!」「埋もれてなるものか!」と急いで出しました。
――(笑)。自粛期間に書かれてもう出版ですからね。
松重:「先を越されたか」と思う奴が大勢いると思います。とにかく暇だから、みんなが何をやっているのか気になるし、ひょっとしたらものごい表現が出てくるかもしれない。僕は書くだけじゃ物足りなくなって、「朗読してYouTubeに出そう」とか、だったら「ミュージシャンも巻き込んじゃえ」とかやり始めてしまいました。今はそれが非常に面白くて、日夜YouTuberとして充実した日々を送らせてもらっています。57歳にして、いろんなものにデビューさせていただいていますね。不謹慎ですけど、自粛期間があったからこそです。
俳優は表現者として“歪み”を抱えている
――小説、エッセイともに楽しませていただきましたが、特に小説パートは変化球といえる構成で驚きました。
松重:僕は直球のつもりで書いてるんですけどね(笑)。世間一般の方はきっと、「俳優が何を書くんだろう」と思われるでしょうね。
――俳優である主人公「私」の自己問答になっていて、それぞれの短編が「はて、私は今何の役を演じているのだろう」といった具合にスタートします。読みようによっては推理モノのようでもあり、とても新鮮でした。
松重:改めて自分は変人だなと思いますね。いわゆる素直ないい子の俳優さんではなく、非常にひねくれているんですが、いい意味で変態なのかなと。俳優というのは、ミュージシャンとか絵描きさんとかとは違って、自分の表現したいものを100%表に出すことはない。脚本だったり監督だったりと、色んなフィルターを通したものを、自分の言葉のように喋っているだけ。そこに表現者としての“歪み”というものがあるんです。年齢とともにどんどん蓄積されて経験値としても溜まっていったそうしたものを、ひとつひとつ掘り下げていって遊んだのが、これらの短編小説です。
――俳優さんが、俳優を主人公に小説を書くというと、たとえば役作りの苦しみとか、現場でのエピソードといったものが綴られそうです。しかし本書はそうではなく、「私」がまるで記憶喪失のような状態でポンと現場に放り込まれます。
松重:よく作品のインタビューで、「役作り」について聞かれますが、僕はもともと役を作らないタイプの役者で、「この役はこうだから」といったことを考えないようにしているんです。それが究極になると、「俺、今日は何の役をやってるんだ?」となる。昔、丹波哲郎さんが「俺は良いモンか、悪いモンか。君はいい奴か、悪い奴か」みたいなところからセリフを言われていたという話を聞きますが、それで素晴らしい演技が出てきたりもする。その裏付けのなさみたいなもの、“空っぽさ”というのを、僕は俳優の在り方として悪くないと思っているんです。
――究極の役者論でしょうか。
松重:それが正解かどうかは別ですよ。今回の「私」も誤解の中で失敗してますからね。でもこの仕事をやっていて、そこの面白さも含めて、俳優業というもののバカバカしさ、くだらなさというのが、魅力でもあるかなと思うんです。
ひたすら自分の歪みと向き合う時間は幸せ
――“空っぽ”という言葉が出ましたが、衣装や共演者、状況設定などで役が作られていく様が感じられて面白いです。
松重:役と向き合って自分を追い詰めることで何かを生み出していくみたいな、そういう方もいらっしゃいますけど、そういうことばかりじゃない。役者ってすごく外枠でできているし、その外枠に縛られたりして、戸惑っている日常があったりするんです。でもそういったことは、あまり知られていないので、読み物として面白く出せればと思いました。
――“空っぽ”という状態を伝えようとすることによって、より松重さんのキャラクターが見えてきます。毒を吐いたり自虐的だったり。それらがユーモアに包まれている。執筆されていて、ご自身が見えてきたりは?
松重:ステイホーム中だったので、向き合うものは自分しかない。自身の性格の悪さとか、性根の曲がり具合とか、今までは人と作業をすることで折り合いをつけてきたものにも折り合いをつけなくてよくて、ひたすら自分の歪みと向き合えばいい。非常に楽でした(笑)。さらに小説というフィクションですから、野放しに自分の歪みと向き合えるわけで、非常に幸せでした。この本が売れてくれれば、まだいくらでも書くことはあります。
――そうなんですか! 1日1編のハイペースで書かれたと聞きましたが、まだいくらでも書けると。
松重:そうですね。こういった妄想を24時間考えていていいよと言われて、そこで物語を紡いでいくというのは非常に楽しい時間です。
小説だから何でもアリ。ハリソン・フォードと共演も!
――後半に収録されているエッセイ部分をもともと書かれていたことは、小説を書く助けになりましたか?
松重:エッセイのお話をいただいたとき、最初は“聞き書きで”というオファーだったんです。でも「いやいや、自分で書きます」と、自分で書き始めました。そのエッセイをそろそろ本にしますかという話が出たのがコロナ騒ぎコロナ禍の直前でした。何かを足して本にしましょうということで、「インタビューを入れますか?」とか打ち合わせしてるうちに、ポンっと家に篭らされちゃった。書くことが自分のなかで苦痛じゃないと分かっていたので、「じゃあ何か書くか。フィクションだな」と。ノンフィクションだと書いちゃいけないこととか、書いちゃいけない人とかいっぱい出てきますが、フィクションならなんでもありですからね。それこそ『スター・ウォーズ』でもハリソン・フォードでも書いちゃえばいい。
――まさに作中で共演されていました(笑)。小説ですからね。
松重:自由です。それが楽しくて楽しくて。家に居ながらユニバーサル・スタジオに行けました(笑)。エッセイを書かせていただくうちに、「もっと出したい」「もっと書ける」という欲求が出てきた。もっともっと世間の反感を買うような怒られるようなこともどんどん出てくるぞと(笑)。それで小説を。自分本来の性格の悪さと変態性が如実に出ましたね。
勝手に「タイトルは26文字で」との縛りを決めて
――後半のエッセイ部分も楽しく読みましたが、各章のタイトルにも目が行きました。「背が伸びる秘訣をと問われたらとりあえず牛乳と答えるよ」とか「定食屋の奥に並ぶ宇宙人の眼差しにライス大盛りを完食す」など、すべて26文字で書かれています。
松重:エッセイって、何マス何行でというのが連載のときに決まっているんですが、そういう縛りが僕は意外と悪くない感じがするんです。それでそれぞれの題名に関しても、何文字と決めて書いてみようと。そこに面白みを感じてしまうんですよ。
――では松重さんご自身が考えられた縛りなんですね。
松重:はい。勝手にやりました。26文字に詰めて行こうと。人から与えられるセリフではない、自分で作る言葉遊びを、書くことによってやってみようと。その遊びが非常に面白かった。
――縛りがあるからこその遊びですね。今回、エッセイでも小説でもご自身の過去を振り返られたと思いますが、「こんなこともあったなぁ」と特にしみじみしたエピソードはありますか?
松重:いろいろ振り返って、本当に書けないことがいっぱいあるなと再確認しました(笑)。フィクションとはいえ、この思いをしたことはさすがに書けないなとか。これは完全にオフレコだなとか。そういう話がいっぱいありまして。何しろドロドロした暗黒の世界なので。
――ええー! そうなんですか!?
松重:キレイなところばっかりじゃないですからね(笑)。でもだからこそ面白いんですよ。魚はキレイな水の中ばかりには住めない。僕らはある程度の濁りのなかで生きているので。その濁りの面白さというのを、ほんの少し、少しだけ掬ってお見せできたらと。
――これで少しなんですね(笑)。ちなみに建設現場の話が出てきますが、実際に働かれていた時期があるとか。そこは俳優としての経験ではない、過去の仕事経験を持ってきて書かれたわけですか?
松重:そうです。建設現場に、役者としてではなく、仕事として入っていたときの経験ですね。でもそこにも役者をやるうえでのヒントになる人がいっぱいいました。腕のいい職人に1日付いていくという経験値は、僕のなかで非常に役立っています。