芥川賞受賞作、高山羽根子『首里の馬』が問いかける永遠とは? 継承される意思・使命
うどんの人。高山羽根子の名前を見るたびに、そう思ってしまう。第一回創元SF短編賞を受賞したデビュー作「うどん キツネつきの」の、タイトルと内容にインパクトを感じたからである。その作者が『首里の馬』で、第163回芥川賞を受賞した。今度は、どんなインパクトを与えてくれるのだろう。
主人公の未名子は、沖縄でひとり暮らしをしている女性だ。人づきあいの得意ではない彼女は、中学生の頃から沖縄の歴史を集めた個人の資料館に入り浸り、ボランティアで整理を続けている。持ち主である、在野の郷土史家だった順さんとの関係は良好だ。心配なのは順さんが年老いていることくらいである。
その一方で未名子は、きちんと働いている。ただし奇妙な仕事だ。カンベ主任という男性の面接をクリアした彼女は、スタジオと呼ばれるビルの一室で、ひとりでオペレーターをしている。その内容は、遠く隔たった場所にいる人たちに、オンライン通話でクイズを出題することだ。どのような意味があるのか分からないが、この仕事に未名子は満足している。
ヴァンダ、ポーラ、ギバノなど、オンラインで話をする相手との、さらっとした関係も好ましい。しかし台風の翌日、家の庭に、今の沖縄では幻となった宮古馬が蹲っていたことから、未名子の生活は変わっていくのだった。
本書を読んでいて、「孤独」と「情報」が、物語を読み解くキーワードになると感じた。しかし未名子とカンベ主任の会話を見て、そんな簡単な話ではないと確信できた。ちょっと引用させていただこう。
「あなたはこの仕事にとっても向いていると思っています」
「孤独だからですか」
カンベさんは数秒の間をおいて、軽く笑ったようだった。
「いえ、いえ。孤独だからなんていう要素が理由になる仕事は、厳密には世の中にありません」
なるほど、たしかにそうだ。仕事だけでなく日常生活だって、他者とのかかわりがなければ成り立たない。未名子は極端に接する人が少ないだけ。無人島で自給自足の暮らしでもしないかぎり、真の意味での孤独など存在しないのだ。物語の後半で、ヴァンダ、ポーラ、ギバノの居場所が明らかになると、そのことがより明確になる。だから未名子の「孤独」に関しては、その内実を精査する必要があるのだ。