『電影少女』のリアルな描写は少年たちを成長させたーー恋愛漫画の金字塔、その作風を考察

 『電影少女』は、桂正和が『週刊少年ジャンプ』で1989年に連載を開始した、作者自身初の恋愛漫画である。桂正和という作家にとって大きな分岐点となったこの作品は、個人的に日本の漫画史上に残る、『ジャンプ』でも屈指の名作の1つだと思っている。今回はなぜこの作品が名作なのか、そして桂正和の分岐点なのかということについて考察していきたい。

 まず、桂正和といえば出世作の『ウイングマン』(これもまた名作であり、いくらでも語り倒せるのだが)からも明らかなように大の特撮/ヒーロー好きである。特撮好き故のヒーローものというテーマに、元来持ち得ていた画力、特に女性キャラクターを可愛く、かつ肉感的に描いたことがヒットにつながった。以後もヒーローをテーマにした作品を発表していた作者が、編集部からのオーダーにより『電影少女』の連載を始めるわけだが、ここで作者は初めての恋愛ものとは思えないほどの完成度を誇る作品を描き上げてしまうのだから、その才能には敬服するしかない。

『電影少女』以前の恋愛漫画にはない心理描写の繊細さ

『ウイングマン』文庫版表紙

 『電影少女』のストーリーを簡単に説明すると、恋愛に自信を持てず失恋した主人公・弄内洋太の前に、1件の不思議なビデオ屋が現れる。そこで借りたビデオを再生すると、画面から少女が現実世界に飛び出してきた。あいと名乗る少女は失恋した洋太をなぐさめるために尽力するはずだったのが、再生時の不具合で、心を持ってしまうことに。やがて洋太とあいの間には愛情が芽生え始めるが、そこには数多くの困難が待ち受けており……といった具合である。

 まず着目したいのはこの作品設定である。ビデオから飛び出す少女という桂ならではSF要素、むしろこの場合は藤子F先生の”すこし不思議”要素を取り入れることで、通常の「困難な恋愛成就へ向かう」恋愛漫画には出せない多層的な構造と登場人物の複雑な心理の絡まり合い、すれ違いを生み出すことに成功している。この作品は主人公の洋太が自身の”本当の恋愛”を成就するために成長する物語であり、人ならざる存在であるはずのビデオガールのあいが、人を愛する気持ちを持って、その思いを成就するために人間になる物語であり、洋太の親友である貴志とヒロインの1人、もえみとの三角関係の物語であり、それらの人物の成長の物語でもある。登場人物の誰もが他者を思いやり、他人のために傷つき、迷い、すれ違い、悲しみや苦しみを積み重ねて、少年、少女から大人になっていく。あいは最終的に自らの思いを成就させるが、その一方で電影少女としての本来の目的である「なぐさめてあげる」「応援するぜ」に関しても、関わった全ての人物に影響を与え、次の一歩を踏み出すきっかけとなっている。

 おそらく『電影少女』以前の少年誌の恋愛漫画でここまで繊細な心理描写を描き、思春期の恋愛模様をリアルに描いた作品はなかったであろう。そしてなにより、「電脳世界から現実世界に飛び出してきたバーチャル少女」という設定を、平成初期にすでにアイディアとして持ち、具現化していた先見の明には脱帽である。VRと現実の境界線が曖昧になってきている昨今、技術を駆使すれば、VRによるビジョンと恋愛SEX用アンドロイドを組み合わせた形の電影少女(作品的には電影少女の本来あるべき形)も実現できてしまうところまできている。むしろ時代が電影少女に追いついたというべきだろう。

 また物語の設定、構造とともに特筆されるべきは、やはり作者の”絵”である。作者はこの作品から明確にそのタッチを変えた。以前は目も大きく、輪郭のラインも漫画としての80年代の美少女アプローチだったのが、この作品からそのタッチはよりリアル方向にシフトしていく。『ウイングマン』の頃から女性の肉感的な描写には定評があった作者なだけに、本来の作者が持つ観察眼と画力をリアル方向に舵取りしたら、描かれる人物はより可愛く、より艶めかしくなるし、恋愛マンガを読んでいるというよりも恋愛ドラマを観ているかのような、一瞬現実に存在すると錯覚させるくらいのリアリティで読者の視線を釘付けにする。作者は絵のアプローチと並行して、性的な描写の部分でも少年誌のギリギリ限界を攻めるアプローチを試みる。

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