なぜ日経はデジタルシフトに成功した? メディア関係者の必読書『2050年のメディア』を読む

 『2050年のメディア』というタイトルだが、未来のことは書かれていない。2000年代以降の日本のニュースメディア興亡史を書いたノンフィクションである。レガシーと新興勢力の駆け引きが存分に描かれており、そのどちら側にいる人間にとっても必読の一冊となっている。

多数の証言を元にした生々しいディテールが魅力

 新卒以来、文藝春秋社に勤めていた著者は、2017年、人事異動によって国際局長を解任されて呆然としていた折、この10年余りで新聞の部数が1000万部も減っていることを見つけて目を疑う。この本は、いかにしてそうなっていったのかの過程を、日本経済新聞社、読売新聞社、Yahoo!JAPAN、共同通信社の4社の関係者取材を軸に掘り下げていく。

 誰でも思いつく紙の新聞衰退の理由は「スマホが台頭した結果、ニュースを紙の新聞でわざわざ取る必然性を感じられなくなったから急減した」ということであり、また、紙の世界の覇者はイノベーションのジレンマゆえにデジタルメディアの台頭に適応できなかった、ということだ。

 本書の「結論」はその誰でも思いつくことと大差がなく、その点での意外性はない。しかもYahoo!はスマホシフトに乗り遅れ、ニュースアプリとしてはSmartNewsやGunosyに後塵を拝している。著者も指摘しているように新聞の部数急減はスマホ台頭以降なのだから「スマホが台頭する前まで新聞とネットニュースは共存できていましたね」という話になるべきだが、そうとは書かれない。あたかも「Yahoo!が紙の新聞を殺した」かのように見える筆致である。もっとも、本書が記すように、各新聞社はYahoo!ニュースに配信されることで1PVあたりいくらという契約で収益を得ており、その金額がバカにならないことがデジタルでの有料課金へのシフトを遅らせたことは間違いない。とはいえ単純に「ウェブへ無料でニュース配信を始めたことが新聞を凋落させた」のではなく、PCでウェブニュースを読む時代にはさほどの部数減をもたらさなかったことが、スマートフォン普及の影響を新聞社の経営陣に軽く見させてしまった、という2段階の変化であった点はほとんど顧みられない。しかもYahoo!以降に登場してきたスマニュー、Gunosyといったプレイヤーについての取材はない。いささか「問いに対する答え」のズレ、飛躍を感じる構成ではある。

 とはいえそうした欠陥を補ってなお本書を魅力的にしているのは、取材の積み重ねで得た事実のディテール、商業出版物においては本書が初出となる情報、証言の数々である。読売新聞の法務部が自社の利益を損ねる存在にはスラップ訴訟まがいのことも辞さない強権的な存在であること。Yahoo!の社長を務めた宮坂学の褒め殺しに近い持ち上げと巧みな条件交渉によって各新聞社がYahoo!へのニュース提供に陥落していくさま。軽薄なエンタメ情報やユーザーコメントをも取り込んだYahoo!ニュース編集部と、Yahoo!内部の都合や要望すらはねのけ公共性を志向した硬派なヤフトピとの緊張関係。あるいは、新聞の折り込み広告一枚の相場がいくらで、販売店の売り上げはいかになり立っているのか、はたまたYahoo!が1PVあたりいくら各新聞社に払っているのかという生々しい数字。これらは丁寧な取材なくしては描きえなかったことである。いわゆる「清武の乱」の内幕を掘り下げた章などは、読売新聞の内紛などまったく興味のない筆者ですら息を呑むほどに面白かった。

日経はデジタルシフトに成功し、読売が出遅れたのはなぜか

 本書が投げかける問いとして興味深いものに、なぜ日経新聞は紙とほとんど購読料の変わらない有料電子版に成功し、紙の部数減を補うことに成功しえたのか? 対して、なぜ最大手である読売新聞はデジタル課金に出遅れたのか? というものがある。

 ほとんどの新聞社が新聞の発売よりもあとに自社サイトにニュースを掲載していた2000年代初頭から、読売新聞社は事件発生とほぼ同時に「ヨミウリ・オンライン」を更新するという先進性があった(だからこそYahoo!は読売のニュースを喉から手が出るほど欲しがった)。

 しかし、著者の前作『勝負の分かれ目』で描写されたように、日経はQUICKに掲載する電子メディア上の情報と紙の新聞では後者を重視し、紙の新聞を初出にすることにこだわった結果、時事通信に東京三菱銀行合併のスクープについて速報性で負ける、といった後進性を露呈していた。インターネットが普及して以降も、日経はウェブに無料で出す情報を渋っていた。

 つまり必ずしも昔から読売はウェブの普及に対して後進的に振る舞ってきたわけではなく、日経のデジタル戦略が一貫して先取の精神に満ち、巧みだったとも言えない。ここがおもしろい。

 ところが読売は「無料が当たり前」というかつてのネットの常識に呑まれたことと社内の勢力争い、そして巨大すぎる直営の新聞販売店の存在があいまって、有料課金への移行に出遅れる。一方、インターネット以前から、コンピュータ相場報道会社「QUICK」(株式会社市況情報センター)や企業向けデータベースサービス「日経テレコン」でデジタルデータ、電子上のニュースを有料で販売してきた蓄積のあった日経は、一周まわって日経新聞デジタル版を成功させる。

 この対比は見事であり、この20年どころか40年以上におよぶニュースメディアの興亡を追ってきた著者ならではの視点に唸らされる。

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