日本の子どもの読解力は本当に下がっている? 『AIに負けない子どもを育てる』の是非を問う

2010年代末の「日本の子どもは読解力がない」問題

 たしかにPISAの2015年調査で日本の読解力はOECD加盟 35カ国中では6位となり、 2012年調査で1位だったことからランキングが低下、また、平均スコアが下がってはいる。しかし2003年、2006年が12位だったことに比べれば、十分に上位グループにいると言える。

 PISAの結果を受けて国立教育政策研究所は「読解力の向上に向けた対応策について」(https://www.nier.go.jp/kokusai/pisa/pdf/2015/05_counter.pdf)を発表している。これを見ると、読書に関する施策はひとつもなく、語彙力強化やコンピュータを活用した指導への対応が並ぶだけだ。

 一方で施策として、数学者の新井紀子が所長を務める「国立情報学研究所・教育のための科学研究所」と連携して高校生を対象とするリーディングスキルテスト(RST)を実施する、とある。

 筆者にはこれでは目的(ゴール)と手段が噛み合っていないように見える。

 PISAの測る「読解力」と新井のRSTで測る「読解力」は一部重なるものの、何を測ろうとしているものなのかが大きく異なるからである。

 ここまで触れてこなかったが、PISA型読解力とは以下のようなものである。

 経済協力開発機構(OECD)のいう「読解力」は物語を読んで主人公の気持ちを答えるようなものではない。「目標を達成し、知識と可能性を発達させ、効果的に社会に参加するために、テキストを理解・利用・熟考し、取り組む能力」が定義だ。

 つまり、単に読んでわかるだけでなく、書き手の意図をくみ取った上で自分の知識と経験も活用して判断する力。日々の生活や実社会に出てから積極的に使える能力だ。「テキスト」にはグラフや図も含む。

 調査によって具体的に測ったのは、三つの側面だ。

(1)「情報へのアクセス・取り出し」。書かれたもの全体の中から、問いに答えるために使う部分や要素を見つけ、選び出し、集める力を指す。

(2)「統合・解釈」。設問例2の問1、問3のように、各文章の内容だけでなく、複数の文章群の関係を理解し、その違いや共通点まで理解できる能力だ。

(3)「熟考・評価」。設問例2の問2のように、書かれている内容にとどまらず、知識や経験と関連づけて判断し、説明する力をいう。(「朝日新聞」2010年12月8日東京朝刊「経験の活用、日本の宿題 OECD国際学習到達度調査」)

 根本彰は『教育改革のための学校図書館』(東京大学出版会、2019年)のなかで、以下のように整理している。

 PISAが言うリーディングリテラシー(これが行政用語として訳語が「読解力」となったことが混乱のもととなったため、根本は原語を用いている)とは、文章の内容を読み取ったあとでそれに対して自分の意見を述べたり、次の行動に結びつけたりする力を指す。

 従来の日本の国語力とは、他者に寄り添い、その表現意図を読み取る力のことだった。ところがリーディングリテラシーの前提は、著者の物語は絶対的な存在ではなく、読み方は多様なものがありえるし、読んでから採るべき行動も多様になる可能性がある。

 PISAでは日本の子どもたちが、自由記述欄の無答率が多いことが問題となった。それは日本では物語構造から逸脱する発想が許されていないためであり、他者の文章を元にして自分の考えを紡ぎ出すトレーニングが不足しているからである。

 二〇〇〇年代からの日本における読書と言語力に対する関心の高まりは、単に活字離れを食い止めることだけではなく、リテラシーそのものの定義の国際的変化を受けて読書の効用を再確認し、それをカリキュラムの基盤に置こうとしていることを意味している、と。(根本書、305ページ)

 さて一方、新井の著書で言われる「読解力」とは「文書の意味内容を理解する」「中学校の教科書の記述を正確に読み取ること」である。「行間を読む」といったものではなく、文章をリテラルに理解する能力のことである。

小説や、小林秀雄の評論文を読んで作者が訴えたいことや行間に隠されている本当の意味などを読み取ることという印象を持たれている方も多いと思いますが、私が疑問を抱いたのはそのような意味での読解力ではありません。辞書にあるとおり、文章の意味内容を理解するという、ごく当たり前の意味での読解力です。つまり、多くの大学生が数学基本調査の問題文が理解できていないのではないか、という疑問です。

新井紀子『AIに負けない子どもを育てる』

 新井がなぜこの能力を重視するか? 新井の『AI vs. 教科書が読めない子どもたち』や『AIに負けない子どもを育てる』のロジックはこうだ。

 今後AIを活用する社会が到来するにあたり、AIにはできないことを人間ができるようにならなければ、AIに労働力が代替されてしまう。

 たとえばAIは、図と文章を見て問題文に回答する、判断を下すといったことができない。だからそういう意味での読解力が必要になる。

 また、プログラミング能力も必須になるが、プログラミングをするにあたっても、文章を厳密にリテラルに解釈する能力や、誰が読んでも同じように解釈できるように表現する力が必要となる――ざっと言えばこういうものだ。

 読解力が劣る人を「自己責任」として放置すると、企業や社会全体の生産性が上がりません。その人々がAIに代替され低賃金の職を奪い合うようになったなら、格差が拡大し、人口減少がさらに進み、日本は持続可能ではなくなります。では、海外に逃げればよいかといえば、テクノロジーに対して人の読解力が追い付いていない状況は欧米ではさらに深刻です。OECDの調査でも、日本人は世界でもまれに見る「よく読める国民」であることがわかっています。

 あなたはきっとその優れた読解力で、現代の知識基盤社会の中で、力や富を得る機会に恵まれるに違いありません。(新井紀子『AIに負けない子どもを育てる』(東洋経済新報社、Kindle版より引用)

 新井の言う「読解力」は、旧来の国語教育で言う文学の鑑賞能力という意味でもなければ、活用を重視するPISA型読解力とも異なるものだ。

 そもそも「なぜその能力が必要なのか」という前提自体が異なる。

 だから国立教育政策研究所の「読解力の向上に向けた対応策について」が、PISAのスコアを問題にしながら、新井的な意味での読解力向上施策に取り組む、としているのは、どうにも気持ちが悪いわけである。

 新井はRSTで測る「読解力」は読書量と関係がない、としている。

 一方、OECDが32カ国の15歳の子どもの読解力と「夢中度」に関する調査を行い、2002年に公表した結果(OECD PISA database,2001)によると、読書の夢中度が高くなるほど読解力の点数は上がる。逆もしかりで、夢中度が低いと読解力の点は下がる。

 だからこそ、そしてPISAが今の社会の動向を踏まえて知識の活用を重視してきたからこそ、国はこれまで四度にわたり「子供の読書活動推進に関する基本計画」を策定し、90年代以来、調べ学習/総合的学習/探求型学習というかたちで小中高校教育におけるアウトプットの機会を従来よりも増やし、2020年から始まる新学習指導要領では「主体的・対話的で深い学び」を重視するとし、大学入試改革では記述式を増やす、としてきたわけである。

 つまり、新井の本がベストセラーになったからといって「本好きかどうかや読書量と読解力は関係ない」と結論付けるのはまったく早計である。

 ちなみに新井は「日本の子どもの読解力は下がっている(と感じる)」と言うが、RSTが始まったのはごく最近であり、新井の言う「読解力」が本当に過去と比べて下がったどうかはわからない。経年で比較できる過去のデータがないからである。

 また、今後RSTのスコアが上がったからといって、PISAおよび文科省が重視する知識の活用ができるようになるとも限らない。

 というより、人が「読解力」と言うとき、それは何を指し示しているのか、また、そこで言う「読書」で測られているのは量なのか熱中度なのか、といったことを注意深く見る必要がある。

■飯田一史
取材・調査・執筆業。出版社にてカルチャー誌、小説の編集者を経て独立。コンテンツビジネスや出版産業、ネット文化、最近は児童書市場や読書推進施策に関心がある。著作に『マンガ雑誌は死んだ。で、どうなるの? マンガアプリ以降のマンガビジネス大転換時代』『ウェブ小説の衝撃』など。出版業界紙「新文化」にて「子どもの本が売れる理由 知られざるFACT」(https://www.shinbunka.co.jp/rensai/kodomonohonlog.htm)、小説誌「小説すばる」にウェブ小説時評「書を捨てよ、ウェブへ出よう」連載中。グロービスMBA。

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