GANG PARADE THE LAST ROAD Vol.9:キャン・GP・マイカ「終われる未来を作れるなら」 作り上げた形、背負う2文字の覚悟

BiSHにもBiSにも「負けたくない!」というメラメラした気持ちがありました
――期間限定のレンタルトレードでサキさんがBiSに行って、アヤ・エイトプリンスさんがギャンパレに入った時期は、振り付けをたくさんやっていましたよね。
マイカ:その時代は、全部私ですね。メンバーから意見をもらって、みんなでスタジオに入って、ふざけながら作って、「これ、いいじゃん!」ってふりを決めていました。今でもみんながいい意味で好き勝手な意見を言ってくれるので、それを形にしています。トレードがあった頃は誰もやってないことをやりたくて、尖っていた時期でしたね。「BiSHはまだ側転をやってない」「組体操もやってない」というような考えでやっていたんです。
――「とろいくらうに食べたい」が、とても印象に残っています。
マイカ:アイナちゃん(アイナ・ジ・エンド)も「これ、ヤバいな」って言ってくれてました。すごく励みになりました(笑)。
――2024年の曲ですけど、「躍動」の振り付けは渡辺さんが褒めていましたよね。
マイカ:初めて褒めてもらいました。ライブ終わりに「『躍動』の振り、作ったの誰?」とローテンションで言われて、「ヤバい、怒られる」と思いながら「私です……」と言ったら、「いいじゃん」って。メンバーも一緒に喜んでくれました。
――振り付けに対する意欲が高まったきっかけ?
マイカ:渡辺さんに褒めてもらったのも、結構大きいかもしれないですね。あと、GO TO THE BEDSの時期も全曲振り付けしていたんですけど、あの時期は大変で。ものすごい数のライブをやりつつ、ありがたいことに曲もたくさん出させていただいていたので、1週間に1曲くらい考えるのがずっと続いていました。「もう無理かも」ってなったんですけど、ココ(・パーティン・ココ)を筆頭に「今、頑張ったほうがいいんじゃない?」と言ってくれて、「頑張ろう」と。
――サキさんは今、振付師として大活躍していますけど、そのスピリットを継承しているのがマイカさんだと思います。
マイカ:そう言っていただけて嬉しいです。サキちゃんとは1カ月に1回か2回、今でも会って、相談とかもしています。
――サキさんがトレードでBiSに行ったのは、今思えばマイカさんが振り付けを担う大きなきっかけだったわけですけど、当時はどのように受け止めていました?
マイカ:赤レンガ(2017年4月2日開催『WACK EXHiBiTiON』)で言われた時は、「ヤバい」って泣いたし、「振り付け、どうするの?」というのも頭をよぎりました。心配事だらけでしたね。
――サキさんのトレードは、やはり当時のギャンパレにとっても大きかったですか。
マイカ:そうだったと思います。親的な存在のサキちゃんがいないので、メンバーそれぞれが自分たちで考えるようになりました。みんなで役割を担って、みんなで這い上がって作り上げていく気持ちがすごくあった時期です。BiSHに対してもそうですけど、BiSにも「負けたくない!」というメラメラした気持ちがありました。いちばん尖っていた時期ですね。自信も持っていましたから。
――当時、向上心がすごく伝わってきていました。でも、メジャーデビューまでには時間がかかりましたよね。
マイカ:「メジャーデビュー、決まんないね」ってずっと言われていたんです。「タイミングを待つしかないかな」と思っていました。
――長く続いたインディーズ時代の終盤に加入したのが、月ノウサギさん、ハルナ・バッ・チーンさんでしたね。
マイカ:その変化もすごくよかったと思います。9人になったので「ビッグファミリーギャングちゃん」とか言っていました。WACKのなかでもいちばん人数が多かったですし、アイドル界のなかでも大人数のグループだったので、新しい見せ方もできるようになっていたと思います。
――名前が「キャン・マイカ」から「キャン・GP・マイカ」になったのは、月ノさん、ハルナさんの加入が決まった合宿でした。
マイカ:合宿に参加したWACKメンバーのなかで最下位で、その罰ゲームでした。変な名前になるのかなと思っていたんですけど、「GP」がついて。「おまえがギャンパレを引っ張っていけよ」という言葉を渡辺さんからいただいたので、気持ちが引き締まりました。いい改名だったなと思っています。
――9人体制になった2018年は、ライブ会場も大きくなっていきましたね。今日着ている衣装は『PARADE GOES ON TOUR』のファイナルだった中野サンプラザの時の衣装です。
マイカ:はい。初めての中野サンプラザの時の衣装です。中野サンプラザは、私がモーニング娘。さんとかのライブを観ていた聖地だったんですよ。念願が叶ったステージだったので、この衣装を選びました。
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――着々と活動の規模が大きくなり、メジャーデビューは、2019年4月17日。シングル『ブランニューパレード』をワーナーミュージックからリリースしました。
マイカ:すごく嬉しかったです。「ワーナーミュージックのロゴ、見たことある!」「オフィス、かっけえ!」ってなりました(笑)。
――(笑)。ナルハさんが加入して、初めての日比谷野音をやって、根本宗子さんの舞台にも出演したり、いろんなことがあったメジャー1年目でした。
マイカ:ツアーもやって、舞台もやらせていただいて、結構目まぐるしかったですね。ハワイにも行きました。
――ハワイは、「LOVE COMMUNICATION」のMVを撮った時ですね。
マイカ:はい。メジャー感が満載の毎日でしたね。
――濃密な2019年でしたけど、翌年の1月3日にサキさんの脱退が発表されました。予兆は感じていました?
マイカ:私は、予兆みたいなことはあまり感じてなかったかも。サキちゃんがやめるとなった時、引き留めはしなかったんですよね。一回くらい引き留めたらよかったなと、今となっては思います。でも、サキちゃんは長いことやっていたので、「次のステージへ」というのがあったんだろうな、って。すべてを任せちゃっていたので、大変だったんだろうなというのも思います。
――「なんで止めないんだ」と渡辺さんがおっしゃったと聞いています。
マイカ:引き留められるほどのものが、当時の私たちになかったというか。「全部やってくれちゃっていたしなあ……」みたいな気持ちが大きくて。あの時期はGO TO THE BEDSとPARADISESに分裂もしましたし、いろいろ体制が変わりましたね。
――分裂によってギャンパレの活動がなくなったことに関しては、どのように思っていました?
マイカ:そりゃあ、もう悲しかったです。いつ戻れるのかもわからなかったですし。期間限定のものかと思いきや、そうでもなかったので。
――コロナ禍が始まって、ライブの中止も続いた時期です。
マイカ:ライブも無観客だったり、声出しができなかったり。そういう状況でも一緒に楽しめるように、振り付けを何回も変えたりしていました。
――分裂期を経て、GANG PARADEの再始動が発表されたのは、2022年の元日。メンバーのみなさんは、新聞広告を見て知りました。
マイカ:すごく嬉しかったです。事務所に閉じ込められて(笑)。次の日がライブだったので、準備が大変でしたけど、大人数でいろいろ話し合ってやっていくのが懐かしかったです。
――再始動したその年の5月にアイナスターさん、カ能セイさんが加入、ナルハさんが休業から戻ってきて、13人になったんですよね。
マイカ:「まだ増えるのか」という感じではありましたけど(笑)。でも、「センター作れるからいいね」と思いました。13人まで増えると、逆に「何でも好きなことができる」と考えるようになって、振りを作るのが楽しくなりました。たとえば、人を持ち上げても、ほかにいろいろできる人がたくさんいるわけで。7人や9人だった頃の曲も、「13人でどういうふうにしたらいいかな?」とメンバーと一緒に考えて、楽しみながら作り変えていました。




















