菅原圭、『黄泉のツガイ』と共鳴する自身の物語を語る 切実な祈りの歌「孔雀」で見せる羽ばたき
菅原圭の新曲「孔雀」は、『黄泉のツガイ』(TOKYO MXほか)第2クールエンディングテーマだ。同アニメのオープニングテーマを担当する音田雅則による書き下ろし楽曲である。離れ離れになった双子の妹・アサの目線で、ただ一点の願いを歌う「孔雀」が教えてくれるのは、運命に翻弄されても、自分の意志で踊ることの大切さ。抒情的なメロディに乗せて紡がれる歌声は、切実な祈りであり、同時に与えられた運命のなかで能動的に生きることへの覚悟の表明として響く。アサの祈りと菅原圭の祈りが重なった瞬間に生まれるその響きこそが、この楽曲の強さである。そして、それと同時に菅原圭とは感情を表現するのに長けたアーティストなのだとあらためて感じさせてくれる。
ここから菅原圭はもっともっと羽ばたいていく――。そんな予感をもたらしてくれる、文字通り渾身の一曲「孔雀」について、『黄泉のツガイ』について、そして自身の運命について、じっくり話を聞かせてもらった。(編集部)
物語がどうかよい方向に進むように、ユルとアサの頑張りが報われる世界であるように
――『黄泉のツガイ』のエンディング曲「孔雀」は、新たな菅原圭の歌の魅力を感じる楽曲となりました。そもそも菅原さんは『黄泉のツガイ』の原作ファンだったそうで。
菅原圭(以下、菅原):そうなんです。荒川弘先生の漫画は幼い頃から単行本で購入して読んでいて、『黄泉のツガイ』もそうで、そのエンディングテーマを任されるというのはすごく嬉しかったです。
――『黄泉のツガイ』のどういう部分に魅力を感じていました?
菅原:まず兄妹ものであるというところにも惹かれたし、双子の兄妹が生まれて、離れて暮らさざるを得なくて、そこに生まれる葛藤や痛みにも強く惹かれて。読んでいくうちに見えてくる兄・ユルの「なぜ自分はこの村に置いて行かれたんだろう」という想いとか、妹・アサの「兄様にずっと会いたかった」「無事でいてくれて嬉しい」という純粋な気持ちに触れて、離れて過ごしてきたふたりの価値観がすれ違うところもありながら、それでもなお家族として思い合って生きているところは、やはりグッときますね。あと、オシラサマをはじめ、左右様や陰陽ちゃん、キャッチーなうさちゃんとカメちゃんも、「ああなるほど、それも相反するものがひとつになった“ツガイ”なのか」と、新たなキャラクターが出てくるたびに気付かされるのも興味深くて。アサちゃんとユルくんの“解”と“封”の力もそうだし。ユルとアサ、それぞれ置かれているハードな状況があるけれど、ふたりにハッピーエンドを迎えてほしいという一心で読み進めています。新刊が出るたびに、「この先どうなっていくんだろう?」という思いが募るばかりです(笑)。
――エンディングテーマ「孔雀」の歌唱オファーをもらった時は、すごく嬉しかったのでは?
菅原:最初はスタッフさんから「こういう話があるけれど、菅原圭の名前を出してみてもいいだろうか」という提案があって、もちろん「ぜひ!」という感じで。でも、私は私で、その話が正式に決まるまで仕事に身が入らなくなってしまって(笑)。「あのお話どうなりました?」と何度も聞いてました。スタッフさんたちも、すごく困ったと思います。だから、決まった時はもう嬉しくて、泣きました。
――楽曲を書き下ろした音田雅則さんとは以前から面識はあったんですか?
菅原:いえ、それまでは親交がなくて。話が決まってから音田さんのこれまでの楽曲を全部聴かせていただいて、それを踏まえて「孔雀」と、音田さんが歌うオープニング曲「back shot」のデモを聴いて、音田さんがこれほどアニメに寄り添った曲を書くなんて、すごくチャレンジングなことなのではないかと思いました。デモの音源の段階から聴かせてもらってゾクゾクしたし、聴いた瞬間から「この曲はめっちゃいい!」という確信がありました。
――「孔雀」は、抒情的なメロディと、痛みや憤りを感じさせながらアサの切実な願いを表現する菅原さんの歌唱がアニメ作品にすごく共鳴していると感じました。この曲を受け取ったとき、まずどう感じましたか?
菅原:アサちゃん目線の楽曲なんだろうなと感じつつ、でも解釈していくうえで、私自身が読者目線で祈っているように思えるところもあったんです。宿命を背負って生まれてきた双子のユルとアサ、そしてそのふたりを利用しようという世界もあって、それさえなければ、あるいはあの村に生まれさえしなければ穏やかに生きていけたかもしれないのに。そう思うと、物語がどうかよい方向に進むように、この子たちの頑張りが報われる世界であるようにと、そう願ってしまう自分の心理とも重なる部分もあると感じたんです。特に〈あなただけは/生きててほしい〉と、祈るような歌詞には、視聴者(読者)である自分自身の思いも込めてしまいましたね。
音田雅則「back shot」カバーとの向き合い方「私は私のやり方で踊るしかない」
――今回は、菅原さんが歌う楽曲として書き下ろされた「孔雀」を音田さん自身がセルフカバーしたり、逆に音田さんの歌う「back shot」を菅原さんがシングルのカップリング曲としてカバーしたりと、それも“ツガイ”のような構造になっています。実際、「孔雀」は音田さん歌唱のものと菅原さん歌唱のものはアレンジを含め、随分と肌ざわりの違うものとなりました。
菅原:音田さんが歌う「孔雀」と私が歌う「孔雀」はアレンジが違うんですよね。今回は、これまでも多くご一緒してきたNaoki ItaiさんとHayato Yamamotoさんに編曲をお願いしたんですが、私以上に歌詞やメロディを取り巻くサウンドがどういうものであるべきかという解像度が本当に高くて、あらためておふたりにリスペクトを感じました。音田さんが歌う「孔雀」は、まるでたゆたうようなリズムの取り方で、まさに音田節と言える魅力に満ちていて。でも、私は音田さんにはなれないので、音田さんの書いた楽曲に敬意を払いつつ、「私は私のやり方で踊るしかない」「歌うしかない」と思ってレコーディングしました。その作業は本当に楽しかったし、携わるすべての人が丁寧に仕事をしているのが伝わってきて、そういう現場に関わらせていただいたことが、とても嬉しかったです。
――菅原さんはコメントで「引き摺り出される」感覚だったと言っていましたよね。
菅原:本当に引き摺り出されました。自分にはないリズムだったり、自分にはない歌詞、メロディラインを受け取って、「この組み合わせって許されるんだ!」とか「この歌がこういう展開になるんだ!」というハラハラドキドキがすごくありました。自分が作る曲だったら、歌詞の意味も解釈も100%の正解が自分のなかにあるわけで。「孔雀」は音田さんのなかにはもちろん100%の解釈があるはずだけれど、受け取った私の解釈は、音田さんと100%合致するわけじゃないと思うんです。そういうところが音田さんの「孔雀」と私の「孔雀」の違いになっていて。音田さんのセルフカバーの完成形を聴いて、「ああ、音田さんのなかでの正解はそうだったんだ」と答え合わせをするのも楽しかったです。
――解釈や表現の仕方をめぐって、レコーディング前に音田さんから何かオーダーがあったりとかは?
菅原:曲に込められたテーマやメッセージはテキストで頂きましたが、レコーディングに関しては基本的にすべて委ねていただきました。
――菅原さんは「孔雀」の歌唱ではアサの目線を意識しているとおっしゃっていましたが、自身の感情とリンクする部分などはありましたか?
菅原:すべてがそのまま自分に重なるということではないですが、共感する部分もありました。個人的なことですけど、私には少し年の離れた兄と姉がいて、3人兄妹の末っ子なんですね。でも、幼い頃に両親は離婚していて、私は母方に、兄と姉は父のほうに引き取られて。だから兄妹喧嘩もしたことがないんです。大人になった現在は仲良くしているし、特に姉とはよく会うようになりました。それぞれの環境でそれぞれに育ってきたけれど、私は兄と姉の幸せを願っているし、「ただ健やかに生きていてほしい」と思う気持ちはどこかアサちゃんの気持ちと重なるところもあって。もちろん、そうした境遇のなかで傷つくこともあったけれど、それが人生だと思うし、本当に「ただ健やかに」とすごく思うんですよね。アサちゃんやユルくんが置かれている世界だって、言わば避けようのない災害のようなもので、誰も悪くない。自分の置かれた環境はそれほど過酷なものではなかったけれど、「ただ健やかに」と願うような気持ちは私のなかにもあって。幼少期を一緒に過ごせなかった兄妹という部分で、どこか共鳴するところがありましたね。
――〈踊れクジャクのままで〉というサビの歌唱は、菅原さんの歌唱にも強い感情がこもっているように響きました。
菅原:アサちゃんやユルくんは運命に翻弄されているけれど、私自身も生きていて「運命に踊らされているな」と思う時があるんです。でも、そのなかでどう自分らしく踊るのかが重要で。操り人形のように踊らされるのではなく、ここで踊るからには私は自分の意思で踊るというか、「一筋縄では踊らんぞ!」みたいな気持ちをここに込めました。与えられた運命は変えることができないけれど、そのなかで「どう生きてやろうか?」という。だから、「踊る」ということは「生きる」ということだなとすごく思いました。そこに覚悟がある。頭を働かせて考えることをやめない――そういう決意表明のような気持ちで歌ったと思います。
――その気持ちは、菅原さんのシンガーソングライターとしての活動にも通ずるものですよね。
菅原:意識はしていますね。自分の活動の仕方は自分で選ぶようにしていますし。私はタフな人間でも要領のいい人間でもないので、難しい時もありますが、たとえば「これを手にするのであれば、手放さなければいけないものもある」ということは覚悟しなければいけないと思っています。その選択や決断はちゃんと自分でしたいんです。もし失敗をしたとしても、自分で責任を取りたい。私が私の責任を取りたい。誰かに責任を負わせるような人生はイヤだと思っている……という感じです。