くじら「この道を正解にできてよかった」 自分を見つめ直した半年間、新曲「25-26」で踏み出す新章の決意
“深夜”の孤独に寄り添う、新曲「25-26」の核
――その先で、この「25-26」という曲が生まれていったわけですね。
くじら:そう。くじらのコンセプトというか、もともとこういう自分が存在している。「じゃあ、くじらとして発信するってどういうことだろう」みたいなことを考えて……。今までの自分のコンセプトは「自分がやりたいことをやる」というものだったんで、やりたいことがなくなっちゃったらコンセプト自体が霧散しているような状態だったんですよね。じゃあそうじゃないコンセプトってなんだろうっと考えたときに、自分が作った中で一番ヒットした曲である「春を告げる」(yama)の歌詞で〈深夜東京の6畳半〉っていうのが出てきて。どちらかというと、その「6畳半」にフォーカスしようみたいな話もあったんですけど、よく考えたら“深夜”にフォーカスしたほうが、自分の心的にもいいなって思って。
どうしてかというと、いつもこの時間に曲ができるんですよ。昼間、人と喋ってるときに「上手く伝えられなかったな」とか「上手く返せなかったな」とか、「どうしてあの人はあんなこと言ったんだろう」みたいなことをシャワーを浴びながら考えて、寝る前に考えて、眠れなくなって、みたいな。深夜のひとりの時間に自分の中のストレスで渦巻いている言葉をギュンと昇華すると詩になる人間なんだなということがわかったので、そうやって深夜にひとりで悶々としてる人たちに「あなたはひとりじゃないよ」ということを言えたら、これは無限に書けるなって思ったんです。それで、この曲の歌詞を書いていきました。
――くじらさんが今まで作ってきた曲を振り返っても、“夜の風景”っていうのはたくさん書いてきましたよね。それがくじらだと改めて認識したということですね。
くじら:一番しっくりきたのは、「INNER CHILD」という曲を書いたあたりで、きっとまたどこかので“夜の曲”を書くタイミングがくるんだろうなって思っていたんです。というのも「ねむるまち」や「アルカホリック・ランデヴー」から始まって、「ねむるまち」っていう曲がいわゆる夜の曲で。『生活を愛せるようになるまで』で朝がドンってきて。『野菜室』はお昼の話で、「INNER CHILD」は帰り道の夕方の話なんです。じゃあ次は“夜の話”じゃんって。自分の心のままに生きてたらそういうタームがくるんだろうなと思ったら、本当にきたので「行くぜ」って感じでした。
――それこそ「ウイスキー頂戴」も夜でしたよね。
くじら:そうですね。「ウイスキー頂戴」の歌詞で、〈何もかも足りてない〉って言ってるんです。いろいろ足りてないなと思ってたときだったので、この足りない部分を、強制的な休みの中で映画とか本をめちゃくちゃ読むことで補っていく作業ができた。それは結果的には良かったなと思います。
――病気のことは大変でしたけど、そういう期間があったことで、くじらという表現者にとってのエッセンシャルな部分に気づくことができたというのは、精神衛生としてもめちゃくちゃ良かったんでしょうね。
くじら:はい。自分が詩にしたい瞬間って、もうストレス解消なんですよね。自分がうわーって思ったことを、どこかで自分の中で解決するということ。今回、生きていて自分がストレスを感じる瞬間もわかったので、ピンポイントで書けるようになった感じがします。
――そこで、たとえばここ1、2年はタイアップもいろいろやってきたじゃないですか。タイアップだとまた別の切り口が入ってくるわけで、自分のストレス解消100%では作れないと思うんですけど、そういうものに対してはどういう感覚だったんですか?
くじら:「できます!」って感じです(笑)。やれることは全部やりたいと思ってて、それこそ「我がまま」とかは、アニメ『先輩はおとこのこ』っていう作品も自分の人生とドンピシャで重なった。だから、『生活を愛せるようになるまで』がそれまでマイナスの力で音楽を作っていたゴールで、プラスの力のゴールがたぶん「我がまま」だった。人生の全部のゴールが「我がまま」っていう曲に1回あって、じゃあここから先どうしましょうっていうタイミングだったので、コンセプトを固めてそれに合わせて曲をやっていきますよっていう。だから、これからはひとつコンセプトを持ったアーティストとしてやっていく状態になるとは思います。
――「25-26」はまさにくじらさん自身がそもそも持っているものや感じている世界観に対してすごく素直に書かれているなっていう感じがしたんですけど、書いてる間の気分としてはどういうものだったんですか?
くじら:「きたー!」って感じです。歌詞はバーッと完成して、あとは編曲をする作業だったので、これも楽しくできました。
――でも、この曲の出発点はくじらさん自身が感じている「同じような日々が続いていく」という感覚だと思うんですけど、サウンドはアッパーだし、〈満員電車〉などの言葉には社会性というか、世の中のいろいろな人が感じているものとの接点がある気がして。ただの独り言になっていない感じもするんですよね。
くじら:そうですね……めっちゃ大きい独り言って感じです。双方的なコミュニケーションで一番大事な問いかけの仕方って、「なぜそう思うのか」とか、ひとつの現象に対して「あなたはどう思うのか」といった答え方を限定しないような質問だと思うんですけど、自分の喋り方は「僕はこう感じています」、ドーン!っていう喋り方なので(笑)。それにかすってくれる人がいたらいいなって。
――だけど、この曲の最後は〈行方不明に2人でなろうよ〉〈イヤホンの向こうで会おうよ〉って言うわけじゃないですか。言葉通りに受け取れば、アーティストとリスナーの関係性のことを歌っているんだと思うんですけど、そこに対する希望や期待みたいなものがきっとくじらさんの中にあるんだろうなって。
くじら:たぶん、自分の中でもいろんなものが削ぎ落とされて、この日本語以外ありえないみたいな歌詞ができて……これ、角度がすごいあると思うんです。これに対してガーンって刺さる人は、自分が病気のとき陥っていた精神状態みたいに、視野がギューって絞られる状態にならざるを得ない生活状態の人だと思うし、そういうときに一番嬉しいのは、なんだかんだ言っても誰かに気にかけてもらえることだと思うので。だから「ここにいるよ」って感じです。「ライブやるときはおいで」って。
――それがこの曲の出口になっていますよね。自分で悶々と考えて、そのストレスを歌詞に昇華することで完結してないっていうか。その先にはそれを受け取ってくれる人がいるという風景も含めて歌詞にしているっていうのは、それこそプラスの力でやってきた何年間かがあったからなんだろうなと感じます。
くじら:めちゃくちゃそうです。ライブをやるのはめっちゃ好きなので、そこで見える“好きな瞬間”をどうしても想像してしまう。この曲は自分にとってひとつの金字塔みたいな曲になると思っていたので、最後はどこに着地するんだろうって想像したときに、自分は双方的なコミュニケーションというものを獲得している最中だし、人に対して興味が出てきたところでもあったので、一番最後は「来い」って感じで。
――そういう歌詞の中に〈アルカホリックにランデヴー〉という、「アルカホリック・ランデヴー」という曲名を彷彿とさせる言葉をあえて入れたのはどうしてなんですか?
くじら:やっぱり、これなんですよ。自分が現実から逃げるときに一番合うのは酒なんです。ダーッと飲んで全部忘れるのが一番いい。この半年もそういう状態だったので。だから「アルカホリック・ランデヴー」って曲を最初に出した自分、すごいなと思います。もうこれでしかない。自分のシグネイチャーじゃないですけど、「アルカホリック・ランデヴー」という言葉は自分の中でも大きい言葉だし、昔から聴いてくれる人も「おっ」って思ってくれる言葉だと思うから、そういうのがあったらいいなと思って。意味的にもはまってるし、音的にもはまってたので入れました。
――「アルカホリック・ランデヴー」っていう曲は、それこそくじらの原点みたいな曲じゃないですか。あれから何年も経った先で「結局ここなんだ」って回帰する感覚はめちゃくちゃ面白いですよね。
くじら:「やったー!」って感じです(笑)。だから、すっごく大きく一周したなって感じ。いろんなものを見て、いろんなことを感じて……それは音楽に限らず、ずっと行ってみたかった国とかにも行ったり、フィンランドでお仕事させてもらったりとか、自分がずっとやりたかったことができた先で出てきた言葉が、何もできない、上手くいかないっていう状態が結晶化した言葉と同じだというのはいいなと思いますし、「合ってた!」と思いました。「アルカホリック・ランデヴー」を書いたときの気持ちとしては「見つけた!」って感じだったんです。自分の言いたいこと、誰も言ってくれないことがこれだと思ってた。そこに帰ってこれたので、この道を正解にできてよかったと思います。
――「アルカホリック・ランデヴー」で歌われている、飲み会の帰り道の孤独の気持ち、虚無感みたいなものがくじらの始まりで。そこからおっしゃったようにいろいろな経験をした結果、自分自身を見つめて歌うことが〈生きてても死んでても変わらなそう 人生〉っていう、もうこれは業ですよね。
くじら:そうですね(笑)。
――その業を受け入れたんだなというか、「これが俺です。よろしく」みたいなイメージ。
くじら:本当そう。うちのおばあちゃんが亡くなったこととかも影響していると思うんですけど、〈生きてても死んでても変わらなそう〉っていう言葉は、本当はそんなことないと思うんです。絶対にそんなことないし、生きてるに越したことはないと思う。でも、お酒とかで現実から逃避したいときって、そんな正論はどうでもいいじゃないですか。そんなことはわかってるけど、「じゃあこの現状をどうしてくれるんですか」みたいな。そういう状態の言葉なんですよね。
――この曲の人物も、そう言いながらもちゃんと毎日満員電車に乗って社会生活を営んでいるわけですよね。その両面をこの曲はちゃんと歌っていて、だからこそリスナーとの接点みたいなものも大きく感じるんだろうなって気がするんです。本当に死にはしないというか、生きるためにそう言ってるというか。
くじら:その通りです。