米津玄師はなぜ“鳥”を歌うのか? 牙と血によって手に入れた自前の翼、「烏」までの変遷を振り返る
自らの牙と血によって“自前の翼”を獲得した彼が、2026年、サッカーワールドカップという祝祭を前にして放った最新曲「烏」は、これまでの総決算でありながら、まったく新しい地平へと私たちを誘うものである。
サッカー日本代表のエンブレムには、日本神話で勝利へと導いたとされる太陽の化身、八咫烏が描かれている(中国古典の三足烏もモチーフ源となっている)。楽曲「烏」が、この勝利の象徴である八咫烏を前提としていることは疑いようがない。しかし、歌詞には〈子供のころに見ていた漫画の世界はいつも/誰かを守って救うことが何より大切だった/自分の幼さも知らず大口叩きまくって/滴った血の黒さをまだ憶えている〉と、理想と現実の狭間で傷つく人間の生々しい痛みが刻まれている。〈星の名前を知るたび僕らは大人になった/誰にも渡せない秘密が一つずつ増えていった〉という一節からは、成長に伴って増大する社会的責任や葛藤という重力が表現されている。
ここにあるのは、天高くから人類を導く超越的な神としての烏ではない。むしろ想起されるのは、童謡「夕焼小焼」における「一緒に帰りましょう」と家路を急ぐ子どもたちを見守るカラスや、「七つの子」に描かれるような慈愛に満ちた烏である。日常のなかで黒く汚れ、時に忌み嫌われながらも、人間の生活のすぐそばで生きる泥臭い鳥。米津玄師は、神話的な“勝利のシンボル”と、童謡的な“日常の隣人”という相反するふたつのイメージを、米津は「烏」という一曲のなかで鮮やかに交差させたのだ。
サッカーの試合において、ピッチで躍動し勝利を手にする者は強烈な光を浴びるが、勝者がいれば必ず敗者が存在する。また、観衆一人ひとりの現実に目を向ければ、誰もが日々の生活の中で泥にまみれ、挫折を味わい、〈滴った血の黒さ〉を抱えて生きている。巨大なスタジアムでの熱狂は一過性の祝祭に過ぎず、試合が終われば、人々はそれぞれの〈埃まみれ〉の〈路地裏〉という日常へと帰っていかなければならない。
米津が描いた「烏」は、遊び疲れて日が暮れたあと、あるいは試合に敗れて泥だらけになった後、スタジアムから去りゆく私たちの手を引き、「一緒に帰りましょう」と寄り添ってくれる存在である。空へ逃避していた「vivi」や「鳥にでもなりたい」の時代を経て、地べたを這う「Flamingo」の泥臭さを肯定し、「カナリヤ」の許容と「飛燕」の利他的な飛翔、そして「さよーならまたいつか!」の闘争を経てきたからこそ、彼は路地裏という空間の尊さを知っている。空間の反転は、巨大な構造のなかで見失われがちな“健やかなる個人”の孤独を掬い上げるための、計算し尽くされたカタルシスなのである。
そして、その“帰り道の許容”が担保されているからこそ、私たちは再び強くなることができる。今日、傷ついて埃まみれの路地裏を帰ったとしても、その孤独な回復の時間を経て、私たちは明日もう一度ピッチ(あるいは日常)に立つことができる。その時、私たち自身の内に宿る烏は、神話の八咫烏として覚醒し、重力に逆らって空へと向かう跳躍の力強い推進力となるのである。
かつて、言葉にならず“行方のない鳥”として虚空に消えた初期の姿から十数年。米津玄師の楽曲における“鳥”とは、重力を憎み空へ逃避する象徴から、地べたで泥にまみれる隣人となり、ついには個人の孤独に寄り添いながら、同時に集団の勝利をも祝福する巨大な包容力を獲得した。この真っ黒な「烏」が羽ばたく時、それはスタジアムの熱狂を超えて、傷だらけのまま重力と闘い続けるすべての“健やかなる個人”を肯定し、次なる夜明けへと導く確かな希望の光となるのである。
※1:https://reissuerecords.net/2026/04/28/karasu/
※2:https://natalie.mu/music/pp/yonezukenshi13