Mrs. GREEN APPLE「風と町」と大森元貴「催し」が同日解禁された意味 対照的な2曲に通ずる人生賛歌としての眼差し
大森元貴「催し」:わからない人生を“楽しもう”というメッセージ
一方、『news zero』のテーマ曲となっている「催し」。こちらは「風と町」とは打って変わって、ギターやベースがけたたましく鳴り響くエキサイティングなロックチューンで、グランジロックのような鋭さやエグみを感じさせる楽曲である。これまでソロではエレクトロニカやポストロックのような構築的なサウンドを作り上げることが多かった彼が、ここに来て自身の名義でこうしたサウンドを鳴らすこと自体がとても新鮮だ。
3月30日、初の楽曲オンエアに先立って、代読された大森からのメッセージにはこんな言葉があった。
「わからない。なにがわからないのかわからない。そんな世の中だと思ってます。知りたい、理解したい、愛したい。そんな優しい歩み寄りが、報われる世の中であってほしいと日々願っております。小さな幸せも、大きなうねりも、すべてが催し物であり、楽しむも、悲しむも、嘆くも、自由だと思いますが、ひとまず。取り急ぎ。僕は僕の人生を深く楽しみたい。そんな風に思います」
このメッセージに「風と町」も通じる大森の人生観を感じるのは筆者だけだろうか。実際、「催し」の歌詞には、混沌とした世界の中で愛も信じるものもわからなくなってしまう混乱と困惑が描かれている。〈倍になって 不安だって/捨てる場所なんか「もう無くなっちゃった」って/ぶつけたいこの愛情は/歪な芸術に昇華されまして/優越に浸った瞬間に/足元を掬われちゃったりして/信じたこの先に 何があるのか〉――畳みかけられるように繰り出される言葉には、諦めと怒りが入り混じったような複雑な感情が宿っている。このささくれだった感情を表現するには、激しく鋭いサウンドが必要だったということだろう。
大森がメッセージで語っているように、あるいは歌詞の中でも歌われている通り、この世界は“わからない”。もはやなにがわからないのかもわからないほどに。それこそ『風、薫る』のりんや直美が生きた明治時代のように、世界がどこに向かうのか、どうなっていくのか、誰にも“わからない”時代を我々は今も生きている。その大前提を大森は決して手放さない。しかし同時にそうした世界であるということをしっかりと認識した上で、それでも〈たのしいかな 明日の催し〉と明日も生きていく意味、あるいは意思を、しっかりとそこに刻んでみせるのだ。
人間らしく悲しんだり、喜んだり、怒ったり、泣いたりしながら重ねていく日々、つまり人生そのものを「催し」として楽しもうというメッセージ。これは「風と町」を“人生賛歌”と定義した大森の言葉とも重なるものだ。彼の“讃歌”が人生のポジティブな側面だけにフォーカスするものではなかったのと同じように、ここで言う「催し」も、ハッピーでジョイフルなだけのものではない。しかしそれすらも、いや、だからこそそれも含めて「とにかく楽しもう」と大森は言う。『news zero』の中ではこれから、悲喜こもごもの様々な出来事が伝えられていくことだろう。跳び上がりたくなるほど嬉しいことも、塞ぎ込んでしまうくらいに憂鬱なことも、そのすべてが人間の営みであり、人生の集積であり、そして楽しむべき「催し」であるということを、この楽曲は視聴者に語りかける。そこに「催し」がこの場所で鳴り響く意義がある。
これからしばらくの間、我々は「風と町」と共に1日を始め、「催し」と共に1日を終える。そんな日々の中を生きていくことになる。その日々は、これまでと同じように決して楽なものではなく、複雑に入り組んだものであり続けるだろう。そこに優しく、そして力強く、迷ったり戸惑ったりしながら進む人生を肯定してくれる曲たちがあることは、とても幸福なことだと思う。
※1、2:https://realsound.jp/2026/02/post-2302303.html