「3月9日」という人生の“戻れる場所”――レミオロメン再始動と、かつての少年たちが綴る15年目の記憶
15年前、1本の動画がYouTubeに上げられた。
それは、岡山県・作陽学園高等学校の音楽デザイン系の生徒が運営するチャンネルで公開された、生徒たちによるバンドライブの映像(※1)。体育館のステージに立つ若者たちが自分たちの校歌をロックバージョンで演奏すると、続いてステージに立った3ピースの若者たちは、レミオロメンの「3月9日」を訥々と演奏した。真摯に楽曲に向き合うような、そしてまさに青春の最中にいる彼ら自身を表現するようなこの動画はじわじわと拡散を続け、現在に至るまで再生回数が伸び続けている。1000万回再生に届く日も遠くはないだろう。いち高校生の、学内イベントによる体育館ライブの映像としてはこの視聴回数は驚くべき数字だ。
世代を超えて愛される「3月9日」の普遍性
レミオロメンの「3月9日」はよく知られているように、もともとはメンバーの友人の結婚を祝う曲として作られたものだった。楽曲リリースは2004年3月9日。大切な日、その門出を静かに祝福するこの楽曲は、タイトルの“日付”も相まって、いつしか若者たちの旅立ち、卒業のシーズンに寄り添う曲として、世代を超えて聴き継がれ、歌い継がれるものとなっていった。
前述の作陽の生徒たちが制服姿で「3月9日」を披露した時も、リリースからはすでに7年近くが経過していたが、彼らの演奏は、まるで現在の自分自身に語りかけるような静かなエモーションを携えていて、その動画が大きく拡散していく様は、それこそこの楽曲の普遍性を体現するものだった。同世代の高校生だけでなく、かつてを思い返す大人世代も、この曲に、そして若者たちの演奏に、自分の青春時代を重ねて見たのだと思う。
時は流れる。体育館のステージで歌っていた彼らも順に高校を卒業し、それぞれの道を歩き始める。同時期、2012年にはレミオロメンが活動休止。それでも「3月9日」は毎年3月期を迎えるたび、恒例のようにチャートインを繰り返し、旅立ちの春を目前に控えるこの季節には、人々の心に寄り添う歌として真っ先に想起される一曲となっていた。
それと同時に、作陽高校の彼らの動画も風化することはなく、時を経ても再生回数は静かに伸び続けてきた。それはどこか、アルバムをめくってかつての青く熱い時代を愛おしく思い出すような、そんな行為にも似ていたはずだ。忘れがたい青い日々、卒業や旅立ちを前にした、まだ何者でもなかった自分。その自分自身の姿をあの動画に、そして「3月9日」という歌に重ねてきたのではないだろうか。
遡れば、「3月9日」をリリースした2004年3月9日に、レミオロメンの3人は母校である山梨県の御坂中学校を訪れ、『3年生を送る会』でこの楽曲を披露している。その夜には同体育館でフリーライブも行われ、凱旋ライブさながら街の人たちが体育館に駆けつけ、床が揺れるほどの熱気に沸いたという。そのエピソードは、作陽高校の彼らの「3月9日」動画ともオーバーラップする。どちらも、まだ見ぬ世界へと歩み出す若者たちの、ひとつの足跡を刻みつけた貴重な日の記憶である。
例年、この季節のひとつの“現象”とも言える、毎年の「3月9日」のチャート上昇は、2026年の今年は例年以上に各種上位にランクインする盛り上がりを見せている。2025年末にレミオロメンが14年ぶりに活動を再開し、明けて、まさしく2026年3月9日からは15年ぶりとなる全国ツアーをスタートさせたというのも大きな要因だろう。多くの人が待ち望んでいた活動再開。そして、それと機を同じくするように、あの日、作陽高校の体育館で「3月9日」を演奏したかつての少年たち3人も、恩師の呼びかけで15年ぶりの再会を果たしていた。その時のドキュメンタリーがニュースとなり、その動画は公開から2週間で100万回再生を突破(※2)。レミオロメンの再始動にときめくと同時に、あの日の高校生バンドにもあらためて思いを馳せた人がどれだけ多かったか――それを窺わせる動きだ。