今井美樹は8年ぶりのアルバムになぜ『smile』と名付けたのか? “あの頃”との向き合い方、原点への立ち返り

 今井美樹が約8年ぶり、通算21枚目となるアルバムをリリースした。その名は『smile』。布袋寅泰はもちろん、岩里祐穂、川江美奈子、そしてさだまさしといったメンバーが楽曲を提供している。

 このアルバムの起点には、2023年と2024年に行ったツアー『Our Songs!!』があったという。インタビューでも「オリジナル(アルバム)を出すことには正直あまり前向きにはなれていなかった」と話してくれたが、そんな気持ちから、彼女はどのようにして『smile』を完成に導くことができたのか――。今井美樹が「ありがとう」を伝えたいと思った存在について、“あの頃”と“その後”と“現在”との向き合い方、この40年という時間を生きた自身の感覚のあり方……いろんなことをじっくり聞かせてもらった。その話の過程には、今作が『smile』と名付けられたことの理由があちこちに散りばめられていた。長い長い道のり(彼女は「牛歩みたいな感じだった」と笑っていた)をどのように歩いてきたのか、その足跡をたどるようなインタビューになった。(編集部)

「40年経った」と言われてもあまりピンとこないんです

――今井さんは今年歌手デビュー40周年イヤーなんですね。僕が初めて今井さんの曲に触れたのが「野生の風」(1987年)だったので、そこから数えても39年。そんなにも時間が経ったんだと、あらためて驚きました。

今井美樹(以下、今井):そうなんですよ。今の時代の人からしたら、40年前って何もかもが古いと感じるかもしれないし、今のものとは全然違う感覚を受けるんだろうけど、私にとってはあの頃からあるベースとなるものが今も息づいていて、そのうえでいろんなことが変化しているだけなので、「40年経った」と言われてもあまりピンとこないんですよ。

――たしかに、僕も10代、20代の頃に受けた刺激が、今も自分のなかで大きな基準になっていますし。

今井:自分のなかに大量に入ってきたいろんな刺激が、きっとあの頃の私を活性させてくれていて、それが自分の細胞の一部になっていたんだな、って。それが今も自分の土台になっていると思うんです。だから、その後もたくさんの新しいものと出会っているけど、自分の心が震えるものっていうのは、「そうそう、私はこれが好きだった!」と原点を思い出させてくれるものばかりで。そういう思いを、“あの頃”に共有していた人たちともうひとまわりユニオンしたいなというのが、ここ数年の気持ちなんです。

――その思いは今回のアルバム『smile』を聴いて、強く伝わりました。

今井:ああ、そうですか! よかった。

――この40年間、ご自身が意図せずとも変化をしていったタイミングはあったかと思いますが、今のベースになる“今井美樹サウンド”や楽曲がひとつ完成した、今に繋がるものが見えた作品となると、今井さんのなかではいつ頃になりますか?

今井:「これが私です」「こういうことがやっとできるようになりました」と強く実感できたのは、『A PLACE IN THE SUN』(1994年)でしたね。あのアルバムは、デビューからずっと今井美樹を作り上げてくれたクリエイターたちに加え、坂本龍一さんや布袋(寅泰)さんというちょっとソリッドな温度感が加わることで、かつての自分が大事にしていた良質で体温の伝わる音楽が、その体を巡るような気持ちよさに加え、さらに匂い立つものだったり、もっとシャープなサウンドすごく絶妙なバランスでミックスされたものに変化したと思うんです。しかも、初めてのニューヨークレコーディングで、GOH HOTODAさんのミックスだったんですね。彼の腕前やニューヨークのスタジオという初めての現場のエネルギーなのか、今までずっと自分のなかで一枚膜が張られていたように「もうちょっとこうしたいのに、なんかうまくいかないな」ともどかしく感じていた自分の声が、「そうそう! こういう声のテイストで歌いたかったの!」って、自分から出ている声、自分が出しているつもりの声で録音されていた。そういうストレスがなくなったことが自分にとっても自信に繋がったし、同時に今までのチームで大切に守ってきたものと、新しいトライアルがうまく繋がった瞬間でもあって。そこからどんどん新しいチャレンジをしていったり、布袋さんプロデュースに移行したりもするんですけど、一度自分のなかで「私はこれです!」っていうものが見つけられたのは、間違いなく『A PLACE IN THE SUN』のタイミングだったと確信しています。

――なるほど。

今井:先ほど「40年経ったと言われてもあまりピンとこない」とお話ししましたけど、もし同じことだけにずっとこだわり続けていたら、逆に月日の長さを感じていたかもしれない。土台こそ変わらないものの、常に何かトライアルをしたり、結果的に変わらざるを得なかったり、いろんな意味でその時その時と一生懸命向き合ってきたので、それなりのスピード感があったんだと思うんですよね。だから、ずっと走ってきたような気がして。一つひとつをきちっと置いていくというよりは、途中から背中をガーッと何かに押されるように前に進んだっていう。特に、自分のことだけで物事が進まなくなった時……たとえば、結婚をして、あるいは娘が生まれてからは、それまでとは一日の過ごし方も変わりますし、当然いろんなことが変わってきますよね。正直に言えば、40年のうちの後半の20年ちょっとは、実はあんまりよく覚えていないっていうのが正しいのかもしれない(笑)。いや、もちろんちゃんと覚えてはいるんですけど、なんだか川の流れにワーッと乗って、たどり着いたら今ここでしたという感覚がありますね。

「私、このままフェードアウトするんじゃないか」とも思っていました

――極論ですが、自分のことだけを考えていればよかった独身時代と比べたら、結婚して家庭という守るものができたことで生活が激変しますし、それに合わせて働き方も変化せざるを得ませんものね。

今井:うーん、そうですね。娘は今23歳なんですけど、最初の10年は当たり前に手がかかるパンパンな毎日でした。子どもの頃だけでなく、家族として変化していくわけですから。その頃はまだ日本にいましたが、私自身の生活も大きく変化したと同時に、世のなかや日本の音楽シーンも大きく変わったタイミングでもあって。手触りや手応えがそれまでとちょっと違うと感じ始めるなかで、「自分がどうしたらいいのか」というふうに迷い始める直前だったんです。その後ロンドンに移るわけですが、最初の頃はYouTubeも海外から見られる日本のコンテンツが限定されていたり、今みたいにサブスクも日本のものを聴くことができなかった。私自身も母親業でアップアップだったので、日本のものがすっぽり抜けてしまいました。音楽も自分がずっと好きだったものをただただ聴いている、という。なので、40年のうちの後半20年という長い時間と、あまり自分のことにはこだわっていなかったというか。言うなれば浦島太郎状態だったわけです(笑)。

――これは、世の親御さんはみんな経験していることですものね。

今井:ええ。子どもがいる暮らしが当たり前になってきて、少しずつやりくりできるようになり、いざ音楽に戻っていこうとした時に、それまでの生活を経て、自分が何を作っていいのかわからなくなってしまっていたんですよ。毎回、自分の引き出しに何が入っているのか、隅の隅まで探す感じでした。今回8年ぶりのオリジナルアルバムとなってしまったけれど、中途半端に作ろうとせず、ここまで待ってよかったなとは思います。

――とはいえ、ライブ活動は積極的に行っていましたよね。

今井:はい。正直、オリジナルアルバムをどうしても出さなきゃいけないというふうには、あまり思っていなかったんです。だって、今まで作ってきた曲のなかには、まだライブでやっていないものもありますし、今だからこそ歌いたい、届けるべき曲もたくさんあるわけで。私のことを待ってくださっている方々に対して、まだまだ(音楽の)いろんなお料理の仕方を披露したかったんですね。だから、無理して新しいものを出さなくても充実したライブが表現できると思っていました。そういう意味でも、オリジナルを出すことには正直あまり前向きにはなれていなかったわけです。

――なるほど。その変化を促した、最大のきっかけは何だったんですか?

今井:2023年と2024年に『Our Songs!!』と題したコンサートツアーを開催したことがとても大きくて。ちょっと遡りますが、ロンドンに移る前のツアーが25周年だったかな。その後ロンドンに移りアルバムを3枚制作して、そのアルバムツアーもやりましたが、そのたびに感じていたのは、お客さんも私と同じように歳を重ねて、大忙しの世代の方も多くいらっしゃるし、やっぱり皆さんにとっても、よく聴いてくださっていた“あの頃”の曲が喜ばれるんですよね。わかります。私だって、ファンだとしたらそうなりますし。だから、この10年くらいのライブでは、懐かしい曲たちもその時々のライブにいちばん相応しいアレンジに変えてやることが新たなモチベーションになっていました。ロンドン制作の3枚のアルバム曲とともに、かつての楽曲も新鮮なサウンドとして届けてきたつもりです。ただ、そのあとにコロナ禍があったり、自分自身がなかなかツアーに出られるタイミングではなかったりして、いろんな事情が重なって、物理的にステージに立つというところから離れてしまったんですよね。ウクライナの戦争も起こったり、世界が劇的に緊張感に覆われる状況になっていくなか、私自身も50代終わりに向けて体調面にもいろいろ不安要素が重なってきて、ステージ立つことがまったくイメージできなくなってしまった。何を歌っていけばいいのかわからなくなり、「PIECE OF MY WISH」でさえ今はもう歌えないと思ってしまいました。だから、「私、このままフェードアウトするんじゃないか」とも思っていました。このままロンドンにいて歌うことを再開しないまま、「終わります」とも告げずに、“何もやらない人”になっていくような感覚になっていたんです。

――ましてや、音楽でやりたいことも明確ではなかったわけですし。

今井:そうなんですよね。いろんなことがうまく前に進まないなか、そういう感情が覆いかぶさって、立ち止まったまま一歩も動けなくなっていたんです。でも、日本にはそれでも私のことを待っていてくれる人たちがたくさんいる。その人たちに感謝を伝えずには終われない。どうしても「ありがとう」を言いたい。だから、私がみんなのところに行って「ありがとう」と伝えて、ちゃんとピリオドを打とうと思ったわけです。そのためにも全国をまわるライブがやりたいんだ、とスタッフに伝えて。もうこれが最後になるかもしれない、だからどうしてもこちらから行きたいんだ、と。

“あの頃”と“その後”に向き合う――ツアー『Our Songs!!』がヒントに

――それが2023年10月から12月にかけて行われたホールツアー『今井美樹 CONCERT TOUR 2023 “Our Songs!!”』だった、と。

今井:そうなんです。そんな覚悟でツアーの準備に入ったのに、準備していたらセットリストがすごくよくて(笑)。だって、最後になる覚悟だったから出し惜しみしない。同じように頑張って人生を歩き続けている皆さんが大好きだっただろうな……と思われる曲を惜しみなく。そして、今の自分だからどうしても歌いたい曲たち、そんな選曲していたら、すごく楽しみになって。12本のツアーだったんですけど、蓋を開けてみたら、お客さんが皆さん本当に楽しんでくださっていて感動。あとね、意外だったのが男性のお客さんがすごく増えていたんです。それまでは女性が多い印象だったけど、いい年齢の大人たちがみんな本当に驚くほど元気で楽しんで、解放されていくのがわかりました。

――きっと今井さん同様に、子育てが少し落ち着いてきたお客さんも少なくないでしょうし、そういった皆さんが日常の煩わしさを忘れて、まさに“あの頃”を共有している。そんな光景なんでしょうね。

今井:そうなんでしょうね。ニコニコだったり、涙してくれたり、まっすぐの眼差しだったり。大人になってから、眉間に皺を寄せるような集中の仕方じゃなくて、こんなふうに解放されて集中すること、こんなに何かに没頭することが、最近ほかにあった? って感じですよね。「音楽にはこんなに素敵な力があるんだ!」とあらためて実感したことで、「もうこれで終わりでもいい」と思ってやったつもりだったのに、現実が私を後押ししてくれて、「次もまたやりたい!」と思って、翌年も同じタイトルのツアーを行ったわけです。

――そうだったんですね。

今井:2年目は前年のビギナーズラックを越えなきゃいけないので、緊張感はあったんですけど、私たちのあいだには常に同窓会みたいな空気が流れていて。中途半端な年齢で再会するんじゃなくて、みんないろんな経験をしてきたうえで、いろいろなことを話さなくても理解できて、お互いに励まし合ったり、笑い合ったり、泣いたりしながら、ハグして「楽しかったね! また来年ね!」と言ってまた別れる、みたいな。本当にそんな感じだったんですよ。私の音楽だったり、私たちが愛した音楽が自分自身をそうさせてくれたけど、私たちには私たちの“その後の生き方”があるわけで。そのなかでいろんなことがあったからこそ“あの頃”という光に包まれたような思い出に励まされているんだとしたら、今の私がこれから先の私たちへ向けての音楽もやっぱり作るべきだなと思った。何を歌ったらいいかわからないという気持ちはあったけど、だったら「何を歌ったらいいかわからない」という感情をそのまま歌にしてもいいのかなと思ったし、立ち止まって動けないんだったらそれを表現すればいいんだ、って。今まで蓋をしていたところを開けて、自分たちそれぞれの現状を知った瞬間にガスが抜けることもあるじゃないですか。そういうことも含めて、今の私たちをお互いに共有する。私が作った作品だけど、最初から自分のなかにはずっと“私たち”という思いが根底にはあって。非常に個人的なストーリーがきっかけにはなっているけど、「私たちそれぞれのどこかに引っ掛かるような形にしてほしい」と、各々のプロフェッショナルに委ねて託した。それが今回のアルバム『smile』なんです。

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