Cö shu Nie「自分を受け入れて戦う覚悟を決める」 ロックの血肉から生まれた“愛のアルバム”を語る
「何かを乗り越えるために無視してきた感情に、ちゃんと向き合いたい」
ーーそもそも自己愛をアルバムのテーマにした理由は何だったんでしょう?
中村:このテーマを書いてこなかったことが不思議なくらい、自分には大切なテーマです。自分が感じる一つひとつの感情、さらには息をすることにすら罪悪感を覚えたり、そうやって自分を拒否して胸が苦しくなったり……そういうことに対して、自責の念を持ちすぎてしまうこともあって……。けど、ただ「自分が悪い」って言うより、そこに向き合って解いていくアルバムにしたかったんです。その場その場での感情を抑制することができたとして、そういう感情が芽生えた場面は脳に残るから、苦しかったこと一つひとつに対して「ちゃんと泣けたかな?」、楽しかったことに「全力で“やった!”と言えたかな?」と思ったところから始まりました。
これまでも、そういうことが根っこにある曲は書いてきてはいたんです。例えば「迷路」という初期の曲があって、眠れない夜を越えていく話だったんですけど、その“迷路”から抜け出すところをもっと丁寧に書きたいなって。何かを乗り越えるために無視してきた感情に今ちゃんと向き合って、もっと強くなりたいなと思ったんですよね。アルバムの1曲目が「Labyrinth」なのも「迷路」から来ていて。「迷路」はポエトリーリーディングから始まるんですけど、今回のアルバムはポエトリーで終わるという構成になっています。
ーー興味深いです。前作『Flos Ex Machina』に収録されたバージョンでは、「迷路」の歌詞が新たに変わったじゃないですか。未来に向かって開けた「迷路 〜本編〜」になっていて、それって“願い”にも近いのかなと思ってたんですけど、そこに辿り着くまでにどうしたらいいのかを表現したのが、今作ではないかと思いました。
中村:そうですね。もともとの構想では絵本も作りたくて。迷路の入り口から物語がスタートして、一つひとつの罪悪感、自分を受け入れられない理由と向き合っていく。でも、そういう自分の性格って遺伝子的なもの、環境によるものでもあったりするから、なかったことにはできないじゃないですか。だから、そういう自分を受け入れて戦っていく覚悟を決めるような作品にしたかったんです。
もともと私は感情を言葉にするのが苦手で、これを言ったら人を傷つけるんじゃないか、誰かが悲しむんじゃないか、すごくダサいと思われるんじゃないか……とか、歌詞を書いてるとそういうことと向き合う瞬間が多かったんです。それを作品ごとに1枚1枚脱いでいっているような、そんな感覚はありますね。“言葉にして届く”という信頼ができてきたのかもしれない。それはリスナーとの信頼関係もあるし、そもそも自分が“書き切れた”と思えるかどうかが重要だなって。
ーー今作では、どんなところで変わることができた手応えがありますか。
中村:インディーズの時って結構抽象的な歌詞を書いていて、それ自体が私にとってクオリアだし、伝えるべきことは全て詰めていたんですよ。でも「asphyxia」を書いた時に、自分の過去と向き合うためにいろんな場所に行ったりして、「こんなことを言葉にしていいんやろうか」って思いながら書いた言葉がいっぱいあったんですよね。〈あなたがくれた痛みが/愛かもしれないとひとりで期待していた〉とか、コミュニケーションで言ったら押しつけがましいじゃないですか。けど音楽にしてるから、メロディまでつけてこんな大きな声で、一方的に言える。当時は言葉にして、みんなに聴いてもらうことに対して、おずおずと書いていたんですよね。それから思うとかなり言葉が素直になった気がします。
ーー個人的に言葉のチョイスがストレートだなと思ったのが、〈伽藍洞〉(「Deal With the Monster」〉、〈欠陥品〉(「Where I Belong」)、〈失敗作〉(「I am a doll」)といった強い単語が立て続けに出てくるところで。違う言い回しだけど、本質的には同じことを重ねている気がしました。
中村:そうだと思います。テーマによって書き方が違うだけで、根底は同じなんですよね。自分を認められない気持ちがその3曲は特にあります。
ーーそれぐらい書けるようになったということなのか、あるいはそれぐらい曝け出さなきゃ伝わらないと思ったのか。どういう感覚ですか。
中村:うーん……どっちもあると思います。もともと強い言葉を見ると「ウッ……」となってしまうくらい苦手なので。ただ、自分がどれだけ曝け出せるかで、曲の重みとか存在価値が変わってくるなと思って。メッセージがあるのに隠すのはよくないから、伝わるように書きたいというのはすごくあります。
「書くべきだけど書いてきていないことが、どんどん見つかる」
ーー松本さんは中村さんの変化をどう見ていますか。
松本:今までは聴く人のことを大事にしている歌詞だったんですよ。誰も傷つけないように、“痛い思いをさせない”表現の仕方というか。ただ今回は、はっきり言い切るところが変化なんじゃないかなって。むしろ強い言葉を使うからこそ、より優しい表現になっていて、そこがすごいなと思いました。
中村:リスナーの方からも“愛のこもったアルバム”と言ってもらえて、ちゃんと書き切れたんだなという感じがしましたね。
ーー自己愛と隣人愛ってセパレートされがちだと思うんですけど、そこがちゃんと一致したから書けた歌詞なのかもしれないですよね。
中村:隣人愛自体は深くあったと思うんですよね。でも、友達に対して「これができないから、あなたは最低だ」とは言わないけど、自分には言うじゃないですか。顔のパーツのこととかも同じで、やたらと自分へのジャッジが厳しい人が多いんですよね。そんなの幸せではないから、今の自分を受け止めてどうしていくか。それを考えるスタートラインに立つのが自己愛。“愛”という言葉が強すぎて最初は受け止め切れない人もいるかもしれないけど、自分を受け入れること自体がもう愛だから、ここは大きな“愛”として、そうやって共に自分をリスペクトして生きていけたらなって。
「死のうと思ってたけど、Cö shu Nieを聴いて応援したくて、生きようと思いました」と言ってくださる方もいるけれど、いつもライブでもお話しするのは、生まれたからには生きることを最初のルールとして置いておかないと、選択肢が多すぎて、寂しい選択をしてしまうことだってあるじゃないですか。だからまずはルールを決めて、どうやって生きていくかを私から提案している感じですね。そう伝えるからには一緒に考えていきたいので。
ーージャッジが厳しすぎて、つい自分を責めてしまうことはあるあるだと思いますけど、それが良くないって気づくのは結構難しい気がしていて。
中村:難しいですよね。
ーーそこにふと気づけたのはなぜだったのでしょう?
中村:いろいろありますが、作品を書くうちに自分自身が浄化されて、気づいたところもあるかもしれないです。私はもともと自分にすごく厳しかったけど、何かに追われて自分に完璧を求めるのって、自分を受け入れてないってことだから。もちろん、頑張ることって大事だし、努力し続けたりいろんなことに挑戦するのはおもしろいから、それを否定することでは全くなくて。もっと根源にある、「生まれてきたからには存在していい」という純粋な感覚が、家庭環境とか学校とかによってどんどんプレスされていって、自分を見失ったりすることがあると思うんですよね。「自分はどうあるべきか」みたいなのはもっと先の話で、まず根源に自分を認める心がないとどこかで崩壊するんです。だからまず立ち返ってみようと。
ーーなるほど。
中村:振り返ると、そういう自分が書くべきだけど書いてきていないことって、いっぱいあるんですよね。戦うことについてずっと書いてきて、それがアニメソングになっていたりもするけど、本当に“自分自身の曲”だと思っているので。私が私自身として書くべきことーーもしかしたら過去に他の作家が書いてきたかもしれないけど、私が私の言葉でちゃんと書くべきだなって思うことが、またどんどん見つかっている感じです。人って、自分ができることには気づかないって言うじゃないですか。あまりにもすんなりとできたから、誰でもできるだろうと思って、やってきてないこと。けど、それが私だけの表現になるってことがわかったから、そういうものをもっと形にしていきたいですね。