imase、Ado、紫 今……Z世代はなぜ凡人であることを歌うのか 葛藤の垣間見える楽曲から紐解く

 様々な分野において、1990年代半ばから2000年代以降に生まれた“Z世代”への熱視線が送られている近年。私はそんなZ世代のミュージシャンに通底しているイズムとして、“自分が凡才であることとの対峙”が挙げられると考えている。そこで本稿では、自身が“凡”であることと向き合いながら時代を象徴する楽曲を生み出したZ世代のアーティストを紹介し、彼らの音楽が多くの人の心を掴んでいる理由を考えていきたい。

 自身初のアジアツアー『imase 1st Asia Tour “Shiki”』の開催やホールツアー『imase Hall Tour 2024 “Shiki-Sai”』も控え、国内外を問わずポップアイコンとして存在感を放っているimaseは、2000年生まれ。そんな彼が満を持して5月にリリースした1stアルバムの名は『凡才』だ。「特別に歌が上手かったわけでも、楽器が弾けたわけでもない自分が、凡才なりに、どうしたらたくさんの方に聴いてもらえるのかを考えて作った曲が詰まったアルバムであること」(※1)にちなんで命名された同作は、タイトルナンバー「BONSAI」で幕を開ける。「初めて自分について歌った」(※2)という同曲では、〈見つかんねぇ 何者? 探してる/そうやって 5畳半の部屋に/うっかりと 音符が転がる〉の3行によって、自身のアイデンティティを小さな部屋で音楽を通じて模索するimaseの姿が鮮烈に描き出されていく。

【imase】BONSAI(MV)

 imaseがギターをスタートしたのは20歳の頃であり、決して早いとは言えない年齢である。にもかかわらず、彼は自身の武器であるファルセットと柔らかな発声、〈なんでもない日々に/変わらぬ暮らしがあればいいさ〉と歌う「ユートピア」に代表されるような生活に根差した価値観を描く歌詞、〈愛も懲りない/浴びるほどに離れられなくなるわ〉と独り言つ「I say bye」が体現しているような感情の機微を繊細に描く観察眼によって、スターダムを駆け上がっているのである。たとえテクニックで敵わなくとも自身と向き合いストロングポイントを強化することで天才たちと戦えることを証明しているimaseの背中は、私たちにもうひと頑張りする勇気を与えてくれるのだ。

【imase】ユートピア(MV)
【imase】I say bye(MV)

 imaseが雑誌『MEN'S NON-NO』(集英社)での連載「今から聴きたいネクストBUZZアーティスト」に選出し、4月にリリースされた「魔性の女A」が話題を呼んでいるシンガーソングライターが紫 今。2002年生まれの彼女が“凡才”と向き合った1曲が、2023年5月にリリースされ、バイラルヒットを記録した「凡人様」である。同作において“天才様”ではなく、“凡人様”という表現を用いた点に紫 今の“凡人”に対する態度が表出していると思う。同曲の制作において、紫 今は“凡人様”というキーワードを使用することを最初から決めており、インパクトのある歌詞やテーマ性を持ったフレーズとして同ワードを選択したという(※3)。〈凡人様 量産型/平凡だな 最高だなあ〉と自身が量産型であることを容認しながら、〈あっそう天才凡人どうでもいい/芸術文学音楽全部/自分が良いと思ったんならそれでいい/本当の彼は彼しか知らない〉とダークな雰囲気漂うラップパートにおいて強烈なメッセージを刻みつけるリリックには、「天才や凡才、権威や周囲の声に惑わされることなく、自身の好きなものを信じ続けろ」と叫ぶ紫 今の願いが込められているのではないだろうか。

紫 今 - 凡人様 (MUSIC VIDEO)

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