【山上路夫×村井邦彦 対談】日本のポップスを更新した巨匠コンビ、半世紀以上にわたる交流を振り返る

“日本人の日常の生活”を鮮やかに描き出す作詞術

左から山上路夫、村井邦彦(2023年秋 撮影)

ーー山上さんが考える村井さんの曲の特徴は何でしょうか。

山上:うーん、言葉にするのは難しいんだよな。それまでの日本にはなかった曲でしたね。非常にヨーロッパ的、あるいはアメリカ的……。どちらかというとヨーロッパ的だったな。それで日本のポップスのひとつの大きな流れをクニは作ったんですよ。

ーーそのあたり、村井さん自身はどうお考えですか。

村井:僕の音楽の根本になっているのは、子供の頃から聴いていたジャズが一番で、それに加えてヨーロッパの音楽なんですね。その2つ、ジャズとヨーロッパの音楽を混ぜ合わせて、ものすごく良い音楽を作ってきたのがミシェル・ルグランという巨匠なんです。幸い、僕は若い頃からミシェルと仲良くしていた。とにかく、すごさのケタが違うんですよ。あの人と真剣勝負したらとてもかなわないから、僕としては自分流でやるしかない。それでも自分では意識していないのにミシェルと同じようなフレーズとか、知らず知らずのうちに出てきちゃう。

山上:クラシックとジャズか。流れとしては似ているね、ミシェル・ルグランに。まさにクニもそういう感じだからね。

村井:ガミさんが「こういう人がいいな」と思うのは、どんな人なんですか。僕にとってのミシェルみたいな存在は?

山上:いっぱいいるんだよね。最初はリルケ、立原道造、それから川端康成、三島由紀夫にも行ったけど、太宰(治)には行かなかったんだよね。どこか合わない。

村井:ガミさんっぽくないもんね。

山上:太宰治はグジグジ言っている。何か違うんだよね。

村井:詩人というより、小説家が多いんですね。

山上:そうですね。小説家の方が多いかも。詩はそんなに読まないんですよ。三好達治ぐらいかな。北原白秋もあまり読んでいないし、島崎藤村も読んでいない。現代詩になっちゃうと分からないしね。

ーー山上さんのお父さま(東辰三)は、戦後のヒット曲「港が見える丘」を作詞、作曲していらっしゃいます。父上の影響はどのくらいあったのでしょうか。

山上:親父の影響はあったのかもしれないけど、50歳で死んでしまいましたからね。僕が13とか14歳の頃ですよ。何かしらはあったのでしょうけど、作品に直接の影響はなかったと思いますね。

ーーお父さまは作詞と作曲の両方を手がけましたが、山上さんは作詞家になられました。

山上:作詞家は作曲家から曲をもらったら、その曲を生かしながら、今度は自分がその曲をどうやって良い作品に仕上げるかを考えるんですよ。先に歌い手が決まっていたりすると、歌い手さんのことも考えなくちゃならない。作詞家というのはプロデューサーみたいなものなんですよ。そういう制約がなくて、自由に書けたのは、やっぱりアルファミュージックを始めた時、クニと一緒に「好きな歌を作ろうよ」と言って作った曲ですね。

ーー村井さんはそのあたり、どうお考えですか。

村井:ガミさんと一緒だと「仕事をしている」という感じがしないんだよね。メロディが浮かぶと、ガミさんに「詞を書いてください」と送ったり、反対にガミさんから詞を送ってくれて、それに曲をつけたりする。そうやって、ずっと今まで2人で書き続けてきたの。大きなヒットにはなっていないけど、日本歌曲集とか、良い作品がたくさんあると思っているんですけどね。

山上:今は歌い手さんがあまりいなくなっちゃって。シンガーソングライターが中心になった時代だから、歌い手さんが育っていないという現実があります。そこが僕たちにとっては問題なんだよね。

村井:ガミさんと組んだ最新の作品があるんですよ。タイトルは「きらめき」。これは僕と吉田(俊宏)さんが一緒に書いた小説『モンパルナス1934』を映画化するという想定で、すでにテーマ音楽を2曲書いたんですよね。一方の曲はオーケストラ曲で、ブダペストのオーケストラに演奏してもらいました。もう1曲はピアノ曲で「愛のテーマ」なんですけど、これに昨年(2023年)ガミさんが「きらめき」というタイトルの詞をつけてくれた。〈あの波は永遠を唄っているけれど 私たち限りある命を生きている〉というくだりがあるんですよ。すごく良くてね。早速、デモテープを作ってニッポン放送の檜原(麻希)さんという社長に送ったら、乗ってくれて「村井さん、あの方とデュエットしたら?」と言われてさ。今のガミさんとのミーティングの後に、檜原さんと僕と、そのデュエット相手の3人で打ち合わせするの。今の時点では名前を出せないらしいんだけど、性別くらいいいよね。女性です。僕はここで名前を出したって構わないと思うんだけどさ。もどかしいね(笑)。

山上:この曲はね、作るのにすごく悩んだんですよ。苦吟していたら、クニから音源が届いた。クニが自分でメロディを鼻歌で歌ったデモテープでね。それを聴いてから書けるようになりましたね。だからクニの歌には合っていると思います。

村井:ありがとう(笑)!

山上:クニは酔っ払っている時の歌がうまかったね。

村井:ガミさんの詞を見て、僕は涙が出ましたよ。

ーー「きらめき」は『モンパルナス1934』の中でも、1971年冬のカンヌを舞台にした「エピソード1」をイメージして書かれているのですね。

山上:ええ、海の感じがあるから、まず海を舞台にしないといけないなと。

ーー『モンパルナス1934』を通読されてみて、いかがでしたか?

山上:非常にいろいろな要素が盛り込まれていて、あれは勉強になりましたね。近代日本の歴史みたいな感じが入っているし、フランスとのつながりもね。吉田さんの文章も良かった。映画になるといいね。

村井:あのまま映画にすると、お金がかかりすぎるというので困っているんですけどね。

山上:それはそうだね。

村井:今、英訳してヒロ(村井の長男で映画監督のヒロ・ムライ)に読んでもらおうと思っているんです。AIの翻訳機で、あっと言う間に翻訳できちゃうんだよね。ただし、日本語は構造的に西洋の言語と違うから、主語が抜けちゃうんだよね。AIには、これは誰が言っているのか分からないんだね。だから、そのあたりを含めて、誰かにちゃんとした英語に直してもらいたい。

山上:日本語は主語がなくても、最初から終わりまで1つの文章が書けるからね。

村井:うん、楽しみ。今は「きらめき」が一番の楽しみです。今日もこの後、さっき話したデュエット相手の女性と2人でちゃんと歌ってみようと思って。ZOOM越しのデュエットだけど。

山上:それも楽しみだね。

村井:ガミさんと僕で、過去15年くらいの間に作った曲がいろいろあるけれど、それをちゃんと録音して作品として残したいですね。まず「きらめき」だけ単独にシングル盤みたいな形で出す手もあるし、いくつか選択肢があるかもしれませんね。いずれにせよ、僕はまだまだガミさんと一緒にやる気でいるから、もっと書こうね。

山上:うん。

ーー山上さんと村井さんはずっと日本歌曲集を書いてきましたね。『山上路夫ソングブック』にも収録されている「つばめが来る頃」(歌唱は森麻季)もその一つですね。

村井:そうですね。ガミさんと書いた「夕暮れの観覧車」はいい曲だと思うな。「子猫のサンポ」という曲もあったな。あれもすごく日本的で。

山上:日本の情景とか、日常生活とか、そういうものを書いていますね。特に「コーヒーのしみ」という曲は、全く今の日常ですよね。

村井:そうそう、それから「人を待つことの歓びについて」。

山上:あれはしゃれているんですよね。

村井:やっぱり、もう一回ちゃんと録音しよう。どこかでお金を集めてこよう(笑)。

山上:いい歌だよね。

ーー『モンパルナス1934』のテーマの一つに国際文化交流がありました。主人公の川添浩史さんが志したのが国際文化交流で、その思いが村井さんに受け継がれ、巡り巡ってイエロー・マジック・オーケストラ(YMO)の海外進出につながっていきます。その意味で、山上さんと村井さんがアルファを旗揚げしたことが、ひとつの原点になっていますね。当時からそういう思いがあったのでしょうか。

山上:うーん、そこは難しいね。

村井:ガミさんの歌は、日本人の日常の生活、あるいはガミさんの日常を歌っているんだよね。だから、そんなに特殊なことを歌っているわけじゃないし、ささやかな出来事なんだけど、その中に実はいろいろな感動があるわけですよ。その意味で、最近見た映画『PERFECT DAYS』(ヴィム・ヴェンダース監督)を思い出すなあ。役所広司さん演じるトイレ掃除をする人の日常を描いている映画なんだけど、海外の人たちにすごく受けているんですよ。日本人の生活とか、日本人の性格とか、日本文化の良いところがうまく描かれている。心優しくて、まじめで、清潔好きで……。そういう日本人らしさが全編にわたって淡々と描写されている。ガミさんの書いている詞もそこに通じるところがありますね。そのまま海外に持っていって、日本語で歌われても通じるんじゃないかな。実際に「翼をください」はSpotifyなどを通じて海外で聴かれているみたいですよ。AIによって、言語の壁は取り除かれつつある気がしますね。

山上:僕が書いている日常生活は、もしかすると海外の人にも分かるかもしれないね。そんな感じは、今まではなかったけれど、今はそんな気もする。クニの曲もそうだし。

ーーアルファができてから55年になるわけですが……。

山上:アルファを立ち上げた最初の頃に近づいてきたかなという感じですね。だから今書くといいんじゃないかな。

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