ヤングスキニー、全力で生き抜くロックな輝き 『不器用な私だから』から伝わるバンドの自我

 ヤングスキニーが新作EP『不器用な私だから』をリリースした。昨年リリースされた配信シングル曲「精神ロック」や、TBSドラマストリーム『瓜を破る~一線を越えた、その先には』のオープニングテーマとして書き下ろされた「恋は盲目」、戦慄かなのをフィーチャリングに迎えた「ベランダ feat. 戦慄かなの」などを収録した5曲入りの作品である。

 昨年の暮れに「精神ロック」を初めて聴いたときは震えた。バンドの呼吸や体温、楽器が鳴ったその瞬間の空気感までパッケージングされているのでは? と感じさせるほどの生々しいサウンド。その“音”は、曲を再生すれば今まさに目の前にヤングスキニーがいる――そんな感覚を覚えさせるほどの密度と切迫感を持っていた。そして、かやゆー(Vo/Gt)は、音楽と共に生きる上で湧き上がる苛立ちも、覚悟も、すべてを混ぜ合わせるようにして歌っていた。

〈芯を貫け/ロックだ うるせえ/馬鹿には届かねえ歌を/今日も明日も死ぬまで1人でかき鳴らしていく〉(「精神ロック」)

 歌詞にはかやゆー自身の内面と、彼が見た景色、彼がもらった言葉が、彼らしいリアルさで綴られているようだった。〈うるせえ〉――ぶっきらぼうに歌われるその言葉は、周囲から投げかけられる無粋で偏見まみれの言葉にも、あるいは自分自身の心の迷いにすらも向けられている叫びのように思えた。

 2020年、まさにコロナ禍真っ只中という困難な状況の中で、それでも「自分の生きる場所は自分で見出せ」と言わんばかりに、楽器を手にし、仲間を集め、ヤングスキニーは活動をはじめた。そして、ライブハウスもフェスもTikTokもYouTubeも主戦場にしながら、自らの生きる道を切り拓いてきた。そんな新時代のバンドマンが“ロック”という言葉を見つめている。ロックを“掲げている”のではない。“見つめている”。ロックの、その“答えのなさ”を見つめている。「俺のロックとお前のロックは違う」と痛烈に感じている。自由と不安が隣り合う現実を見つめている。己に向けられるどんな視線に対しても、「黙ってろ。俺の人生は俺のものだ」と言わんばかりの強さで突き進んでいくヤングスキニーというバンドの根底にある、まさに“精神”が、この「精神ロック」には表れていた。

ヤングスキニー - 精神ロック【Official Music Video】

 しかし、だからと言って「精神ロック」から感じられる直情的なエネルギーだけで猪突猛進しないところが、ヤングスキニーの柔軟さであり、クレバーさであり、リアルさなのだと思う。観念にとらわれ過ぎないある種のドライさは彼らの大きな武器である。“精神”を大切にしながらも、思考に閉じこもりはしない。むしろ彼らは“瞬間”に反応していく。EP『不器用な私だから』は、そんなヤングスキニーの多面的な魅力が様々な形で立ち上がってくる作品だ。例えば1曲目に収録されている「雪月花」はゆったりとしたリズムとバンドのアンサンブルから情感が滲み出る傑作バラード。EPのタイトルである〈不器用な私だから〉というフレーズも出てくる歌詞では、“匂い”をモチーフにしながら、すでに傍にはいない人のことを想うひとりの人間の胸の内が綴られていく。「精神ロック」がそうであったように、この「雪月花」で響く音も、バンドの体温を親密に感じさせる素晴らしいものだ。

ヤングスキニー - 雪月花【Official Music Video】

 続く2曲目は先行配信されていた「ベランダ feat. 戦慄かなの」。ライブでサポートキーボードも務める中野郁哉がバンドと共同で編曲にクレジットされているメロウな新機軸の1曲である。戦慄かなのというバンド外からの客演を迎えていることに加え、ギターロックとは距離を置いた浮遊感のあるポップサウンド(温かくもシャープに響くドラムの響きもいい)や、途中で登場するラップなど、ヤングスキニーとしては新鮮な手法が取り入れられており、貪欲に、無邪気に、新しい手法を取り込みながら表現を開拓していくバンドの音楽的好奇心が窺える。とにかく「やってみよう」と思えること――「精神ロック」のように歌詞に怒りのエネルギーが沸き上がる曲もあるが、こと音楽においては肯定的であり開かれたスタンスであることはヤングスキニーの素晴らしさである。女性ボーカルと男性ボーカルのデュエットとなると、女性目線と男性目線でパートを分けて対話をするように歌う形式も多いが、この「ベランダ」ではかやゆーと戦慄が同じ〈私〉という視点を歌っていて、そこが「自分であり他者でもある」というような不思議な立体感や融和感を生み出している。

ヤングスキニー - ベランダ feat. 戦慄かなの【Official Music Video】

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