Vaundy、米津玄師、ヨルシカ……他者への“模倣”と“オマージュ”の意義を考える

 すでに各所で語られているように、先日リリースされたVaundyの新アルバム『replica』は、2023年の日本のポップミュージックシーンを代表する作品のひとつだったと思う。この記事では、“複製品”、“模倣品”、“オマージュ”などの意味を持つアルバムタイトルに込められた真意に迫りながら、今作が持つ意義について紐解いていきたい。

 もしかしたら日本の音楽リスナーのなかには、“複製品”、“模倣品”というワードに対するネガティブなイメージを持つ人も多いかもしれない。おそらくそうしたイメージは、「それぞれの作品に宿るアーティストのオリジナリティこそが重要である」という考え方に起因するのだと思う。Vaundyは、そうした日本における音楽の受容のされ方を踏まえたうえで、意図的に今回のアルバムに『replica』というタイトルを冠している。もともと彼は、「オリジナルはレプリカの来歴から生まれる。」という言葉を原型にして大学の卒業制作と向き合い、今作はまさにその理念のもとに制作されたアルバムだ。

 筆者がこの言葉を聞いてまず思い出したのが、2017年にリリースされた米津玄師のアルバム『BOOTLEG』だった。このアルバムそのもののポップミュージックとしてのクオリティの高さは言うまでもなく、当時特に驚かされたのが、自らの作品に『BOOTLEG』=“海賊盤”と名づける批評性の高さだった。

 収録曲「Moonlight」における〈本物なんて一つもない でも心地いい〉という歌詞は、まさに『BOOTLEG』というタイトルと呼応するものであり、また彼は、「Nighthawks」は、BUMP OF CHICKENとRADWIMPSへのオマージュとして作った曲であると明言している。その他にも、「春雷」はPhoenixをはじめとしたフレンチポップへのオマージュ、「かいじゅうのマーチ」は、歌詞の内容と曲のテイストの関係性においてThe CureやThe Smithsをはじめとしたネオ・アコースティックのニュアンスを取り入れていることを、まるでマジックの種明かしをするかのように次々と『ROCKIN'ON JAPAN』2017年11月号のインタビューで明かしていた。同インタビューでは、「あなたたちからすれば偽物の、いろんなものをコラージュしてできた、がらくたの塊みたいな自分だけれど、これだけ美しいアルバムを作ることができるんだって、いま一度証明したかった」(※1)とも語っており、これは後述するVaundyの理念と深く共鳴するものである。

 また、『BOOTLEG』の制作エピソードから派生して、彼の創作論が語られたインタビューもある(※2)。

「音楽って、フォーマットじゃないですか。“型”のようなもので成立している部分があるのは事実で、そのなかでいかに自由に泳ぐかじゃないかと。自分がやりたい音楽って、基本的に普遍的なものなんですよ。普遍的なもの、多くの人間、コミュニティ、国や地域などいろんなものの根底に流れているものを普遍性だと言うのであれば、それは“懐かしさ”と言い換えられると思っていて。つまり、どこかで聴いたことがある、どこかで見たことがある、というようなものだと思うんですよね。(中略)そんななかで、最初にリスペクトがあり、その上でどうオマージュするかということをすごく考えながら作っていました」
(リアルサウンド:米津玄師が語る、音楽における“型”と”自由”の関係「自分は偽物、それが一番美しいと思ってる」より)

 あらためて『BOOTLEG』を聴いて感じるのは、米津がインタビューで語っているように、ポップミュージックとしての高い普遍性を誇る作品であるということだ(その普遍性の高さは、同作の大ヒットによっても裏づけられている)。また、それまでにリリースされた3枚のアルバムと比べると、タイアップ曲(アニメ主題歌に書き下ろした「ピースサイン」「orion」など)や他者とのコラボレーション曲(「fogbound( +池田エライザ )」「灰色と青( +菅田将暉 )」「打上花火」をはじめ、「爱丽丝」のアレンジには常田大希が参加している)が飛躍的に増えている。普遍を目指す、つまり“ポップを目指す”ということは、自分ひとりだけの世界の外へと踏み出すことであり、今から振り返ると『BOOTLEG』は、その後「Lemon」や「パプリカ」などの特大ヒットを契機として、さらに広い世界へと向かっていく米津にとってブレイクスルーのポイントとなった作品であると言えるだろう。

 “複製品”、“模倣品”、“オマージュ”という言葉をモチーフとした国内の音楽作品はほかにもあり、そのなかでも近年注目を集めたのが、2020年にリリースされたヨルシカのアルバム『盗作』である。同作は、“音楽を盗作する男”を主人公としたストーリーを紡ぎ出すコンセプトアルバムで、ベートーヴェンの「月光」をはじめ、各曲にさまざまなモチーフが巧妙に散りばめられている。n-bunaはオフィシャルインタビューで、同作の制作の裏側にある想いを語っていた(※3)。

「音楽のタブーとされているものって、一番大きなものが盗作だと思うんです。多くの人が作品に対して『オリジナリティがある』ということを、ひとつの大きなアイデンティティのように思っている。僕はそれが今の時代においては、すごく白々しいと思っているんです。そういうものに対してのカウンターパンチを、ヨルシカというものを巻き込んで放ちたかった。(中略)そもそもメロディに関していえば、ポップ・ミュージックという枠組みの中ではオリジナリティというものは存在しないと思っているんです。今の世の中に生まれているメロディは、音楽の歴史の中ではどこかで流れたメロディである。もはや全てのメロディは十二音の音階の中でパターン化されて出尽くしている。それでも僕は表現方法までは出尽くしていないと思っていて。メロディの動きだけじゃなく、歌詞や楽器や構成のような複合的な要素が組み合わさった中で、偶発的な美しさがそこに生まれると僕は思っているんです。それこそがいまだ芸術の神様が見つけ出していない、今の我々にしかできないオリジナリティとしての表現だと思います」

(ヨルシカ - アルバム「盗作」特設サイト:インタビューより)

 今再び『盗作』を聴いて感じるのは、コンセプトアルバムとしての圧倒的な強度である。その前にリリースされていた連作『だから僕は音楽を辞めた』『エルマ』からの流れを受けるように、同作においても、一枚のアルバム全体を通して、もしくはのちに発売されたEP『創作』とあわせて、聴く者を深淵な物語に引き込むストーリーテリングの手腕が冴え渡っていて、各曲の、またそれぞれの楽曲を構成する要素の積み重ねによってヨルシカ独自の重層的なオリジナリティが生まれている。n-bunaが語っているように、各曲のメロディや構成、歌詞、suisのボーカリゼーションをはじめとした複合的な要素の組み合わせで新たなオリジナリティを実現したこの作品は、すでに先人たちによってさまざまな音楽が出尽くした時代とも言える今のシーンにおいても新たな表現方法を打ち出すことは可能だということを見事に証明した作品だったのだ。

盗作(Album Trailer)

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