コロナ禍でクラブシーンはどう変化した? 音楽ジャンル、客層……当事者の視点からDJ Kotsuが語る
新型コロナウイルスの流行により外出の自粛が要請された頃、ライブハウスやクラブなどの場所からフェスといったイベントまで、音楽を聴ける現場はほとんどが営業や運営をストップした。当初は休業補償がないまま営業自粛を要請されたため、文化施設が休業するための助成金交付を求める署名運動「#SaveOurSpace」が立ち上がった。
コロナ禍にクラブシーンの状況が世間の目に触れたのはこの休業補償の問題と、国内外で発生したクラスターのニュースくらいだったと思う。実際にクラブという場所で遊び、働いてきた人たちにどのような思いがあったのか、多くの人は知らないだろう。
結果的に休業補償は行われたが、それでも繁華街にあるクラブがその場所を守り続けるのは難しかった。実際に、渋谷で比較的大きなclubasiaを経営する株式会社カルチャー・オブ・エイジアは、2020年5月という早い時期に系列店のVUENOS、Glad、LOUNGE NEOを営業縮小によって閉店。17年間と長いあいだ営業してきたクラブの閉店は多くのクラバーたちに衝撃を与え、これから遊び場がどんどんなくなっていくのではないかという不安を誰しもが感じていた。
また、いくつものクラブがクラウドファンディングやイベントの有料配信などの対策を試みたが、それでも先行きは明るいとは到底いえなかった。休業しながらクラブで働く人の生活を守ることは難しい。クラブに行って資金面に貢献したいが、感染リスクがある。クラブに関わる多くの人がシーンを守るために模索し、葛藤を抱えた。
こうしたコロナ禍での状況を踏まえ、本稿ではハウスミュージックコレクティブ・CYKのメンバーであり、東京や京都をはじめ全国さまざまなクラブに出演しながらコロナ前後のクラブを見つめてきたDJのKotsuを招き、ハウスシーンを中心に当時のクラブの様子と自身やシーンの変化を語ってもらった。(inkyo)
コロナ禍で流行したハードテクノからディープハウスやアマテクノへ
――コロナ禍でもイベントが完全になくなることはありませんでしたが、私自身も1人のクラバーとして複雑に思ったり、クラブで一緒に遊んでいた人たちとの意見の違いに苦しんだりと難しい状況でした。
Kotsu:自分もかなり複雑な気持ちではありました。でも、この状況にこそ生まれるカルチャーがあるとも思っていて。ダンスミュージックは抵抗の音楽でもあるし、踊ることは身体性を伴います。どうにか音楽を鳴らして、みんなで会って、「生き長らえよう」という気持ちを持てるコミュニティを作れるのも魅力だから、信じてやるしかないというか。行かない判断や、パーティーを続けることへの批判があったのはごもっとも。でも、クラブを守らなきゃいけないし、当時は非常に判断が難しかったです。
――ロシアがウクライナ侵攻を始めた頃に爆撃を受けたウクライナの街で若者が集まり、瓦礫を片付けながらテクノのパーティーをする場所を作っていた状況と、「踊っている場合じゃないけど、今こそ踊らなければ」という気持ちの点では共通している気がします。
Kotsu:一方で、その気持ちが加熱して排他的になりすぎるとコロナ禍でパーティーへ行けなかった人の顔を忘れることになって、状況がよくなったときに合流できない危険性は感じていました。
――積もったストレスはこの頃のクラブでよくプレイされたハードテクノに表れていたと思います。低く激しいキックの音が怒りの表れに聞こえました。
Kotsu:最近は揺り戻しのような流れもあって、ハードテクノやレイヴのようなBPMの速い音楽に対して食傷気味になってきている人たちがディープハウスを発見したり、世界的に流行したアマピアノ(南アフリカで生まれたハウスの派生ジャンル)のスローで長く踊れる点が受け入れられたりしていると思います。
――Kotsuさんは2020年9月に拠点を東京から京都へ移しましたよね。両者にはどのような違いがありますか?
Kotsu:東京は週末に必ずダンスミュージックのパーティーがあるけど、地方だとパーティーのない週もあるんです。たとえば、僕が広島のクラブに出演したときは山口県や島根県、四国からも観に来る人がいて、その人たちのためにDJするんだと思うと背筋が伸びます。
――Kotsuさんにとって京都でのホームのようなクラブのWest Harlemはどういう場所ですか?
Kotsu:週末のパーティーだけではなく、毎日のようにDJがいます。再入場もできるので人が入れ替わり立ち替わりする、部室のような場所ですね。音楽が好きな人もそうでない人も飲みに来るので、街に根差しているなと思います。週末になるとジャンルを問わず、とにかくみんながHarlemに集まって「今日のパーティーはこんな感じなんだ」とポジティブに反応しているので、肩の力を抜いて遊べる雰囲気があります。
――Harlemを拠点にほかのクラブや飲食店で遊んだり、偶発性があったりと東京とは違うよさがありますね。
Kotsu:偶発性が生まれやすいのは地方や小さな街のいいところです。京都のDJは東京でDJをすることも多く、東京で起きていることを持ち帰ってくるので、最先端の場所とのタイムラグがないところも気に入っています。
大きなクラブやライブハウスがなくなった2022年
ーー2022年には徐々にクラブの営業が再開していきました。ただ、東京では海外アーティストをゲストに呼べるような大きいクラブが次々と閉店した年でもあって、例えば「ageHa」としてクラブイベントを開催してきた新木場STUDIO COASTは定期借地契約の満了により閉館、渋谷・道玄坂のSOUND MUSEUM VISIONとContactは、周辺地区の再開発により入居ビルの取り壊しが決定し閉店しました。一方で小規模のDJバーや、ライブハウスとクラブが複合した下北沢のSPREADなど中規模のベニューも新たに登場しています。VISIONはオールジャンル、Contactはハウスやテクノ中心のクラブで、ここでのパーティーが好きというクラバーも多かったですよね。
Kotsu:今も代官山UNITや渋谷O-EASTなどのライブハウスでは規模の大きいクラブイベントを行っていますが、平日でもイベントを行うクラブやDJバーとは違って、その場所にクラブのお客さんがついているというわけではありませんね。
――新宿の東急歌舞伎町タワー内にできたZEROTOKYO(Zepp Shinjuku)は規模が大きいですが、開催されているイベントのジャンルがEDM寄りだったり、ラッパーのライブがメインだったりすることも多いので、Contactの客層とは異なる印象があります。
Kotsu:ZEROTOKYO はVISIONに近いと思いますが、確かに“Contactロス”のような流れは感じますね。
――私も“Contactロス”を感じていて。ジャンルの好みはもちろん、フロアがいくつもある大きなクラブはフェスに近い気楽な雰囲気で過ごしやすかったのに、感染リスクを避けているあいだに帰る場所がなくなってしまったような気持ちがあって、なかなかクラブに復帰できていません。
Kotsu: CYKとしても、コロナ禍にクラブへ来なくなった人が戻って来やすい雰囲気を作りたいとは思っています。2022年の『Red Bull Tokyo Unlocked』というデイタイムでのイベントでCYKとしてブッキングを担当したときには、海外アーティストのほかにハウスシーンからSoichi TeradaさんのライブセットやokadadaさんやMOODMANさんなどのDJを、ライブアクトにパソコン音楽クラブやZOMBIE-CHANGなどを呼ぶことでシーンの横断を試みました。
――ライブもDJも見られるイベントは、それこそフェスのような楽しみやすさ、行きやすさがありますよね。
Kotsu:特にハウスミュージックはゆるさのうえでも成り立つ音楽だと思っていて。高尚なもの過ぎない良さがあるから、ゆるさのあるパーティーやフェスとの相性はいいはずなんです。京都のWestHarlemで感じたゆるさをどうやって東京に還元するかは、自分にとってもCYKにとっても良き課題感だと思っています。