ずっと真夜中でいいのに。が体現する“新しい普遍性” 伝統と革新が散りばめられた表現を著名人の言葉から紐解く

 言葉遊びがふんだんに散りばめられた歌詞もずとまよの大きな魅力のひとつだ。そこにも伝統と革新が取り入れられている。綾辻は具体例として、「秒針を噛む」の〈生活の偽造〉や、「暗く黒く」の〈未読にした 美学でよかった〉、「正しくなれない」の〈君だけが見る 夕焼け風鏡〉といった歌詞を挙げ、「詩的だが引っ掛かりのある、一見すると意味のわからない言葉が歌詞における最大の魅力。それと、エモーショナルなメロディやパフォーマンスとが絶妙なバランスを取っていて、全部わかってしまうとつまらない“賑やかなミステリー”に見える」と口にした。

ずっと真夜中でいいのに。『正しくなれない』MV(ZUTOMAYO - Can’t Be Right)

 おしらが指摘した「正式な歌詞とは別の意味で捉えられるような発音」。それは、ずとまよの歌詞に同音異義語が多用されていることと繋がる。「勘冴えて悔しいわ」には、〈いえい いえい いえい イエイ〉という歌詞の後に同じ音で〈遺影 遺詠 遺影 遺詠 遺影 遺詠 遺影 死体〉という歌詞がある。綾辻も、「曲を聴いた時点では、同音異義語が散りばめられているとはわからない。すごく遊んでいるけれど、ちゃんとした意味づけがある」と、言葉遊びを賞賛。

ずっと真夜中でいいのに。『勘冴えて悔しいわ』MV (ZUTOMAYO - Kansaete Kuyashiiwa)

 綾辻はACAねの言葉遊びに対して、「和歌の掛詞の時代まで、日本語における同音異義語を使った言葉遊びの歴史は遡るが、今はスマホやパソコンで変換すればどんどん候補が出てくる。現代的な需要と相まって、自由自在にいろいろな漢字を当てはめて同意語を散りばめている。一見軽やかに言葉と戯れているように見えるが、実は言葉とガチで格闘した上で、なんとか手なずけてねじ伏せてこの言葉を使っているのではないか。だからこそ、新しい曲を聴くたびに『次はどう攻めてくるんだろう』という楽しみがある」と考察した。

 宇野はずとまよの歌詞において、「特に今のポップミュージックの歌詞は“共感する/しない”がすごく重要なポイントになっているが、ずとまよの歌詞は共感性でリスナーと繋がっていないところがすごい。もちろんリスナーによって共感する部分はあると思うが、基本的にはダブルミーニングやトリプルミーニングであり、言葉遊びの中に込められた行間を読み取る歌詞表現になっている。その高度なやり方で人気を得るのは本来だったら難しいが、それができている」と分析。「ずとまよの歌詞は自分が読み取っているメッセージと10代が読み取っているメッセージがおそらく違う」と、歌詞における多面性にも言及した。

 綾辻が「『お勉強しといてよ』は歌詞だけを読むと前半は病んだ感性で書かれている。おそらく恋愛関係において非常に混乱している状況なのだと思うが、MVは80年代のSFのようなストーリー。そして、ライブではノリノリの楽曲として聴こえてくる。ひとつの曲を中心に、そこまでのギャップを生み出せるのがすごい」と話すように、ずとまよの高い中毒性を生み出す多層構造の一旦を担っているのがアニメーションを中心としたMVだ。そこにも歌詞の多面性は活かされている。

ずっと真夜中でいいのに。『お勉強しといてよ』MV(ZUTOMAYO - STUDY ME)

 「お勉強しといてよ」や「暗く黒く」のMVを手掛けたはなぶしは「『お勉強しといてよ』の歌詞を読んで、自分は人間関係の話だと想像したが、おそらく聴く人によって捉え方が違う。MVでは自分の中に浮かんだものをメタ的に表現した。『暗く黒く』はACAねから“鎖”というキーワードをもらい、それを別の何かで表現しようと思い、孤独を肯定する話にした」と話した。

 こむぎこ2000は、「綺羅キラー (feat. Mori Calliope)」のMVは女の子をふたり出してほしいとリクエストがあったので、ふたりの関係値を追う話にしたいと思った」と話し、はなぶしと同じく、MVでは歌詞の世界とはまた違うストーリーが展開されていることを明かした。

ずっと真夜中でいいのに。『綺羅キラー (feat. Mori Calliope)』MV (ZUTOMAYO – Kira Killer)

 ACAね自身、「信頼できるクリエイターと熱量高く作品が作れているのはずとまよの強み」だとコラボレーションへのこだわりを明かしているが、ずとまよのコラボレーションの極みであり、総合芸術としてのすごみが最大化するのがライブだ。

 アリーナクラスでのバンド編成の場合、ホーンやストリングスも擁した20人以上のメンバーによって行われ、宇野は「今や歌番組でもこれだけの人数の生演奏が行われることは珍しい。今は音源や歌の再現性をライブで目指すアーティストが多いが、ずとまよはライブで実際に観ないとわからないことがとにかく多い。そして、アレンジもライブを重ねるごとに変わっていくので、ライブバンドと言ってもいいと思う」と話した上で、「伝統的な歌謡曲も参照しながらも、楽器を0から開発するなど、前衛音楽でしかやらないようなことをやっている」とライブにおいても伝統と革新が同居していると指摘。

 おしらは、「ジェットコースターのような曲や、観覧車に乗っているような気持ちにさせてくれる曲もあれば、シューティングゲームをやっているような気持ちになる曲もあって。ずとまよのライブは、いろいろなアトラクションで楽しませてくれるサーカス」だと話した。

 『ROAD GAME「テクノプア」~叢雲のつるぎ~』のステージに置かれたブラウン管のテレビを通じ、コラボ曲「綺羅キラー (feat. Mori Calliope)」を歌い、ライブでもずとまよと初共演を果たしたMori Calliopeは、「ずとまよほど音楽や美術、パフォーマンスをステージセットと融合させることに力を入れているアーティストを知らない。私にとってずとまよは“体験”。そこに加われて嬉しかった」と興奮を露わにした。

 ACAねは自らのクリエイティブのスタイルを、「完成形を目指しているが未完成のクオリティのものを大事にしたい。完成したものをバールのようなものでぐちゃぐちゃに汚して、すっきり0にして、また3つくらい足したり、引いたりしながら、俯瞰して……っていうのを繰り返しているのがずとまよ」だと明かしている。

 サウンドや歌唱において伝統と革新が同居し、今の全世代に訴求し得る類いまれな普遍性を持ちつつ、膨大な仕掛けが散りばめられた歌詞によって強い中毒性を放ち、それをMVによって増大させる。そして、ずとまよのすべてのクリエイティビティを集結させたライブという場によって、また新しい芸術性と肉体性をも表現する。そこにはACAねによる、未完成を目指すからこその無限の伸びしろを秘めた破壊と再構築の作業が貫かれている。

 ずとまよのライブタイトルには、“LABO”や“FACTORY”や“GAME CENTER”といった言葉が冠されているが、ずとまよというのはまさに、信頼のおけるクリエイター、信頼のおけるリスナーとの実験室であり、工場であり、遊び場でもある。こむぎこ2000がずとまよを「起爆剤」、はなぶしが「戦友でありライバル」だと言い表しているように、一過性のアートではなく、ずとまよ自身が拡張を続ける中で、幅広い世代に影響を与え、新たなアートを生み出す存在となり得ているのだ。その最新形を体験できる機会が、3月11日にABEMA PPVで独占配信される『ROAD GAME「テクノプア」~叢雲のつるぎ~ 解』である。

※ライブ写真は『ROAD GAME「テクノプア」~叢雲のつるぎ~』の模様。

■番組情報1
『What is ZUTOMAYO? -ずっと真夜中でいいのに。とは何なのか?-』
視聴URL
https://abe.ma/41WNq8O

■番組情報2
ABEMA PPV
『ずっと真夜中でいいのに。 ROAD GAME「テクノプア」~叢雲のつるぎ~ 解』

1月15日に国立代々木競技場第一体育館で行われたずっと真夜中でいいのに。単独公演『ROAD GAME「テクノプア」~叢雲のつるぎ~』を『ROAD GAME「テクノプア」~叢雲のつるぎ~ 解』と題し、配信限定の特別版としてABEMA PPV独占配信。

配信日:2023年3月11日(土)配信開始19:30、開演20:00、リピート配信24:00
販売期間:3月11日(土)24:00まで
※見逃し配信や追っかけ再生はございません。

配信チケット
https://abe.ma/3YC2Lt2

ずっと真夜中でいいのに。公式オフィシャルサイト

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