“シティポップ以前”の音楽に共通する湿っぽい感じが好き タブレット純が昭和歌謡を聴き続ける理由

マヒナスターズが自分の人生を決定づけた

ーー他のジャンルの音楽を聴くことは全くなかったんでしょうか。

タブレット純:他に逸れたことはほぼないし、洋楽とかには全くいかなかったです。強いていうなら、小学生の時にロシア民謡を少し聴いたかな。僕は友達が少なかったんですが、小学6年生の時に転校してきた加藤くんと仲良くなって、彼の家にあったロシア民謡のレコードを借りたんです。それからロシア民謡ではダークダックスというマヒナスターズと同時代のコーラスグループを好きになりました。ちなみに僕は加藤くんにお返しとしてマヒナスターズのカセットテープを貸したんです。そのあと、加藤くんと一緒に両国へ相撲を観に行ったんですが、値段が想像よりずっと高いし、そもそも当日券が売ってないしで結局入れず、両国前で3時間ぐらい大号泣しました(笑)。帰りのバス代もなくて真冬の寒い中1時間ぐらいかけて歩いて帰ったんですけど、気を紛らわすために僕がマヒナスターズの歌を歌ったら、加藤くんが一言一句間違えずにコーラスを入れてくれたんです。そのとき「加藤くん、僕が貸したテープちゃんと聴いてくれてたんだ」って感動しましたね。

――良いエピソードですね。

タブレット純:そのロシア民謡もいまだに好きなんですよね。昭和30年代の日本では、歌集をお客さんに配ってみんなで一緒に歌う歌声喫茶がすごく流行ったんですが、そこで歌われていたのがロシア民謡や抒情歌でした。カラオケが流行り出してからほとんどのお店がなくなってしまいましたが、新宿に「歌声喫茶ともしび」というお店が残っていたので、27歳の頃そこで正社員として働きはじめたんです。そしてマヒナスターズに入ることになって、急に人生が動き出しました。そういう意味では、小学校の時に好きになった歌が全てその後の人生に繋がったとも言えますね。

ーーマヒナスターズにはどんな経緯で加入されたんですか?

タブレット純:当時マヒナスターズのボーカル陣が全員抜けてしまって、新生マヒナスターズを作るために新しいメンバーを募っていたんです。僕は最初その候補にもいなかったんですけど、さらに1人いなくなったから「なんか若いのに変な奴がいるらしい」と僕の存在を知ったリーダーの和田弘さんが呼んでくれて、和田さんの前で歌ってみたら即加入が決まったんです。それで「明日来れるか」と言われて、1週間後にレコーディングですからね。本当にあっという間でした。元々全くの素人だったし引っ込み思案な性格だから、この急展開じゃなければ入ってなかったと思うんですよ。憧れのマヒナスターズだったから決断したんです。そこから色々ありましたが、ちょうど今年で20年経ちました。今自分が人前に出る仕事をしているのはマヒナスターズに入ったことがきっかけなので、そう考えるとやっぱりマヒナスターズが自分の人生を決定づけたんだなと。

――ちなみに歌声喫茶で働く前は何をされてたんですか?

タブレット純:それまではちょっと特殊な小さい古本屋で働いていました。でもそこが社会から隔絶されたような空間だったので、初めて世の中に出よう、自分を変えようと思ったのが歌声喫茶だったかもしれない。マヒナスターズでは「北上夜曲」という曲が一番好きな歌なんですが、その曲は歌声喫茶で広まった歌なんです。だから「北上夜曲」は自分の運命の曲なのかもしれないな。

ーーマヒナスターズに加入される前まで、歌を習ったことはなかったんですか?

タブレット純:ないに等しいですね。24歳頃にシャンソンをちょっと習ったことがあるくらい。マヒナスターズとデュエット盤を出している戸川昌子さんが「青い部屋」というシャンソンを歌うお店を渋谷でやっていたので、20歳くらいのとき通っていたんです。そしたら戸川先生が「あんたそんな古本屋でバイトしてるんだったら歌でも歌ってみなさいよ。シャンソンは歌が上手い下手じゃなくて、その人の人生を語るものだから」って言ってくれて。当時の自分はコンプレックスを色々抱えていたんですが、美輪明宏さんの影響かシャンソン歌手には同性愛者が多いという認識だったので、「じゃあ僕も」と習い始めました。初めて人前で歌ったのも、一度だけ出たシャンソンの発表会でしたね。

ーーここまでお話を聞いていて、昭和30〜40年代の曲をずっと好んで聴かれていることがよく分かりました。その年代の曲とその後の曲は何が違うのでしょう。

タブレット純:ちょうど僕が生まれた昭和49年頃が、音楽のムーブメントの境目だった気がします。昭和50年以降からニューミュージックや、今ブームになっているシティポップが出てきて、ユーミンさん(荒井由実/現:松任谷由実)や、山下達郎さんが所属していたシュガー・ベイブが流行りましたよね。それで湿っぽい音楽から、洗練された洋楽チックな音楽がどんどん若者を中心に受け入れられていきました。今聴くとかっこいいのはわかるんですけど、僕はやっぱり湿っぽい感じが好きだったんですよね。シティポップなどは、聴く音楽というより流す音楽だと思うんです。BGMやDJがかける、踊るための音楽というか。もちろん、それが悪いというわけでは全くないんですけど。それに対して、歌謡曲や演歌はドラマを感じて自分の中で展開させて消化させていくというものだと思っています。だから音の扱い方が全く違うんじゃないかなと。今のJ-POPも僕はやっぱり聴き流しちゃいます。いい音楽が街中に流れていたら、思わずふと立ち止まって聴いてしまうみたいな感覚はもうなくなってしまったかなと。逆に今の若い方がどういう風に音楽を聴いているのか教えてもらいたいです。

ーーなぜそういった変化が生まれたのだと思いますか?

タブレット純:娯楽が多様化しすぎているので、音楽をじっくり聴く感じでもないのかなと。ゲームとか、他に楽しいツールがいっぱいあるじゃないですか。昔の人はもっと音楽を健気に聴いていた気がするんですよね。カラオケがない時代だったからか、今より歌の上手い人も少なかったし、歌い手が自分たち庶民とは違う憧れのスターだった部分も大きいのかもしれません。この間、蓄音機記念館みたいなところに行ったんですけど、大正から昭和の時代は、裕福な人しか買えなかった大きな蓄音機の前に家族で正座して音楽を聴いていたんですよね。テレビだって、僕が子供の頃は見たい番組を見るにはその時間にテレビの前に座ってなきゃいけなかったし、一家に一台しかないから、親が見たい番組があったらもう終わりでした。でも今は配信などでいくらでも見られますよね。そういう意味では、テレビの歌番組も含め、音楽の貴重さや価値のあり方が変わっちゃったんだろうな、と。

ーーでは最後にタブレット純さんの今後の展望を教えてください。

タブレット純:肩書きとしてはお笑い芸人ですが、テレビのお笑い番組よりも寄席に出ているので、「寄席芸人」として頑張っていきたいですね。音楽に関しては、今はどちらかといえば演歌畑にいますが、シンガーソングライター的な感じで自分の言葉で歌を作って歌いたいので、死ぬまでにはちゃんとしたアルバムを一枚は作りたいなと。それが今の自分の願いですね。

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