あいみょんが実現する、令和らしいスターの在り方 史上最大規模の全国ツアー公演を見て
4月16日よりスタートしたあいみょんにとって史上最大規模の全国ツアー『AIMYON TOUR 2022 “ま・あ・る”』が、8月31日、大阪城ホール公演をもってファイナルを迎えた。
昨年は弾き語りで全国ツアーをまわっていたが、今年は八橋義幸(Gt)、qurosawa(Gt)、山本健太(Key)、井嶋啓介(Ba)、伊吹文裕(Dr)、朝倉真司(Per)を携えたバンド編成で開催(本稿で取り扱う7月24日の神奈川・ぴあアリーナMM公演は朝倉が欠席。ステージ上に朝倉の楽器を普段通りセッティングし、本人の代わりに人形が置かれていた)。あいみょんの楽曲は、アコギ1本と彼女の声のみで豊かな表現が完成してしまうほど歌のメロディや言葉に強度があるものばかりだが、その上で、どの曲にも緻密なアレンジが施されていることを示すバンドツアーだった。
本ツアーでは、これまでリリースした4枚のアルバムより満遍なく楽曲が演奏され、さらにシングルのカップリング曲やインディーズ時代の楽曲も織り交ぜた貴重なセットリストで、あいみょんのシンガーソングライターとしての歴史が見えるものでもあった。そこで浮かび上がってきたのは、あいみょんはメジャーデビュー前から芸術の核を大事にしながら作品を創ってきた芸術家であり、その上で、令和らしいリスナーとのコミュニケーションを成し遂げている存在であるということ。だからこそ、あいみょんは数々のレジェンド的シンガーソングライターたち、そして大衆からも愛されるスターとして時代に歓迎されているのだ。
「芸術の核」とか何か――その莫大なテーマを端的に語るために、あいみょんが10代の頃から尊敬し影響を受けていることも公言する岡本太郎の思想を拝借したい。『太陽の塔』『明日の神話』など数々の作品を残してきた岡本は、1940年代後半(本人は当時30代)に「対極主義」を提唱し、その精神性を生涯貫いてきた。「対極主義」とは、合理主義としての抽象絵画と非合理主義としてのシュルレアリスムなど、対立する二極を「折衷」「妥協」させるのではなく、対立を強調させたまま共存させようとする理念。『アヴァンギャルド芸術』(美術出版社、1950年)では、「技術的にいえば、無機的な要素と有機的な要素、抽象・具象、静・動、反発・吸引、愛・憎、美・醜等の対極が調和をとらず、引き裂かれた形で、猛烈な不協和音を発しながら一つの画面に共存する」とも説明している。
あいみょんは、このツアーを「マシマロ」でスタートさせた。女性の胸を“マシマロ”と喩え、それを“チョコレート”で汚したいと表現する楽曲だ。エロティックなイメージもつきまとう体の部位を、クリーンさや安全性が大事な食べ物に変換する。しかも男女の交わりの描写をシャッフルビートが弾ける、清涼飲料水のCMにでも使われそうなほど爽やかでキュートな世界観に乗せる。それを親子で来ている人も多く、幅広い年齢層がいる自分のアリーナライブの1曲目にあててくるという大胆さもあいみょんらしい。この日終盤に演奏された、あいみょんを一躍有名にした「君はロックを聴かない」も、そんなタイトルの中でも音楽愛を歌って、さらにCDをリリースしている(しかもジャケットはアナログレコードを割った写真)ことでも話題となった。
こうしてあいみょんは、対立するものを共存させることで見た者をドキっとさせる作品を生み出してきた。さらにいえば、対極にある要素をかけあわせることで人間の感情の本質を浮かび上がらせることも彼女は得意とする。「この曲は絶対にこのツアーで歌いたいなと思った」と演奏したインディーズ時代の人気曲「○○ちゃん」では、〈覚えすぎたタバコも 何度もやめようとは思ってる もてないし〉と、タバコをやめたほうがいいことはわかっているけれどやめられない矛盾を表現し、その上にさらにもうひとつ矛盾を乗せるかのように〈私のどこがダメですか?〉と深い欲を歌う。この日デビュー時の衝撃と変わらない鳥肌が立った「生きていたんだよな」では、血を綺麗だと表現し、ひとつだけではない涙の理由を描き、死を叫ぶことで生を際立たせる。