ずっと真夜中でいいのに。が示したポップミュージックの大きな可能性 さいたまスーパーアリーナ2days開催の意味
そんな「ミラーチューン」を筆頭に、終盤に入ってから次から次へとずとまよ流の煌びやかなダンスチューンが繰り出されるにいたって、『ZUTOMAYO FACTORY「鷹は飢えても踊り忘れず」』というツアータイトルに込められたずとまよの「願い」に気付かされずにはいられなかった。コロナ禍を引きずる中、特にこのような大規模のライブにおいては、日本ではいまだに観客の発声が禁じられているわけだが、そんな環境にあっても「踊ること」、つまり音楽が持つフィジカルな楽しさを忘れてこなかったということ。そして、そのことを大観衆と共有することで、体験として証明してみせること。2022年の4月16日と17日のずとまよは、それをやり遂げてみせた。
「これからも、面倒くさいことを突き詰めていきたい」。day2の終盤のMCでのACAねのその言葉は、ずとまよの魔法のような音楽の核心に触れたものだ。ストリートで弾き語りをしていた時期から、「いつか立ちたい」と思ってきたさいたまスーパーアリーナのステージまで、たった5年(しかもその約半分はコロナ禍と重なる)という最短距離で駆け上がってきたようにも見えるずとまよは、楽曲制作においても、ミュージックビデオにおいても、そしてライブでの演出や演奏においても、常に面倒くさいことと面倒くさくないことがあったら、面倒くさいことばかりを選んできたバンドだ。しかし、その「面倒くさいことを突き詰める」ということこそ、音楽に限らず、あらゆるジャンルにおいて素晴らしい創作物を生み出すための秘訣なのではないか。
きっと、この2日間のさいたまスーパーアリーナを体験したオーディエンスの中には、そんな「面倒くさいことを突き詰めて」ばかりのずとまよの創作活動に刺激されて次の世代のクリエーションを担う人々もたくさん潜んでいたに違いない。ポップミュージックの歴史には、そういう空間を生み出すことができるアーティストと、刹那的なエンターテインメントとしてオーディエンスの人生や生活を通り過ぎていく(それはそれでポップミュージックの魅力だが)だけのアーティストがいる。ずとまよのライブがいつもどこか説明不足に思えるのは、そんなオーディエンスの能動性を信じているからなのだろう。