『Luru Binaural Bridge ―越境する時空―』インタビュー
現実空間を拡張した新しい音楽の形=バイノーラルライブとは? LURU HALL支配人に聞く、これからの音響体験の可能性
「オープンソースだからこそ収益化のインフラ作りが重要」
ーーでは、バイノーラル配信ライブにはどういった課題があるのでしょうか。
田口:バイノーラル配信ライブには、先ほど話したように意図しない音も録音できるメリットがありますが、これは諸刃の剣のようなものなんです。例えば、普通のライブハウスだと飲食のための調理設備があって、それが原因で環境ノイズが出てしまいますが、LURU HALLの場合は、フードはケータリングを使ったり、ライブ中はドリンクサーバーの電源を落とすなどして、環境ノイズを抑えることで、ほぼホール内を無音にする対策をしているので、スタジオレコーディングができるレベルの静寂を得られることが強みです。ただ、このようにスタジオのようなライブ環境を整えるためには、どうしてもそれなりのコストがかかってしまいます。
また大前提として、客席でお客様が聴く音がほぼそのまま放送に乗るため、会場内で聴くお客様にいかに良い音を届けるかというピュアオーディオ的な課題にPAエンジニアと共に取り組んだり、アーティスト同士の物理的な距離感で聴感バランスを整えていくという、バイノーラルならではの運用ノウハウが必要です。
それと立体音響技術で各社が共通して悩んでいるのは、HRTF(頭部伝達関数)の問題です。耳の形は人によって違うので、音の聴こえ方も当然のことながら微妙に違います。そのため現在は、各社が様々な形で立体音響の最適化に取り組んでいますが、音の定位の正確さを追及するとなると、視聴するお客様側のHRTFに最適化するための専用アプリと再生環境を事前に準備してもらう必要があるなど、どうしても手間やコストが膨らんでしまいます。
ーー実際、そこまでの音の定位の正確さや立体音響であることというのは、配信ライブ視聴者から求められているのでしょうか?
田口:ただ立体で体験できるからといって、それだけでライブの魅力や感動が伝わるかといえばそうではないと思います。映画にしろアニメにしろ、視聴者がいきなり撮影現場に連れて行かれたとして、エンターテインメントとして感動できるわけではないですよね。クリエイターが美しいと思う構図を通して、作品を届けていくものなので。そのような理由からバイノーラル配信ライブでは、立体感を強調したり、ヘッドトラッキング可能な自由視点を提供するよりも、例えば写真家が美しいと思う構図を決めて撮影するのと同じように、どの定位が一番美しく聴こえるかをキュレーションしています。バイノーラル録音で使うダミーヘッドでは、ヘッドトラッキング(頭の向きを変えたりデバイスを動かしたりしても、適切にサウンドが聴こえること)のようなことはできませんが、バイノーラル配信ライブでは、その代わりにクリエイターが一番美しいと思っている視点の音を体験することができます。
ーー『Luru Binaural Bridge』に取り組むことで、ライブ市場や音楽業界にどのような影響を与えられるとお考えでしょうか。
田口:実は『Luru Binaural Bridge』では、収益を全て地元のアーティスト支援に充てることになっています。その理由は、LURU HALLの運営企業の社長が音楽好きというだけでなく、音楽を通した社会貢献事業をしたいという考えの持ち主だからで。基本的にイベントの収益を黒字化することにこだわるよりも、地域貢献と社会に対してポジティブな影響を与えることの方が重要だと考えているからです。なので、今回のプロジェクトは、多重バイノーラル録音という技術を活用することで、ライブ配信でもアコースティックな音楽イベントの良さを楽しめたり、ある程度の収益を見込めることを示しつつ、リアルライブの代替品ではなく、“これでしか聴けないリアルを超える音楽体験”を楽しめるというボジティブな付加価値を提示することを目的に企画しました。
それとバイノーラル録音の技術自体は、作り手にとっては誰でも使えるオープンソースのようなものだからこそ、しっかりと収益化していくためのインフラ作りが重要だと考えています。その意味ではバイノーラル録音自体はコツさえつかめば、比較的短い習熟期間で運用できる技術なので、『Luru Binaural Bridge』を知ったことをきっかけに真似してくれるライブハウスが増えたら嬉しいですね。
ーー先ほど話に出てきたように、現在は立体音響コンテンツが身近になりつつありますが、今後の立体音響技術の進化については、どうお考えでしょうか。
田口:おそらく今後、立体音響技術が進化していく過程では、現実空間ならではのアナログな音響テクスチャーをバイノーラルでキャプチャーして、その上に空間オーディオ技術で重ねていくような、“音の拡張現実”みたいな方向にシフトしていくと思います。結局、仮想空間で立体音響コンテンツを作っていく場合でも、普段どういう風に音を聴いているかという認識が育っていないと、どこに音を配置していいかわからなくなります。なので、まずはその空間認識に対する感覚を養って、的確にどういう演出をするかの基盤を作る。そして、例えば立ち入り制限のある自然保護区や、軍艦島や廃墟、駅や空港エントランス、首都圏外郭放水路など、現実にはライブや演奏をするのは困難だけれども、魅力的な空間自体を表現舞台として取り込み、その上に空間オーディオ技術がオーバーレイするように新しい音楽表現が花開いていくと面白いのでは、と想像しています。
ーー最後に、今後のバイノーラル配信ライブイベントの展望を教えてください。
田口:以前から自分には、音にリアルな“奥行き”を感じることで、アーティストと時空が繋がるような感覚があり、そこに音楽の魅力を感じていました。今後は、ピュアオーディオのレベルまで、アコースティックなバイノーラル配信のクオリティをさらに高めていくと共に、仮想空間の立体音響技術も取り入れながら、これまで以上に聴覚を通した時空認識の拡張と、メタ認知的な意味での人間意識の進化・覚醒をインスパイアするようなクリエイティブに取り組んでいきたいと考えています。
最後になりますが、12月17日から3日間にわたって開催されるイベントでは、音響エンジニアの内門幸司氏による特別なオープニング演出として、松武秀樹氏(Logic System)書き下ろしのアナログシンセサイザーサウンドによる立体的な空間演出が決定いたしました。こちらも、ぜひ楽しみにしていただけたらと思います。
『Luru Binaural Bridge ―越境する時空―』
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