「Cube」インタビュー

星野源「Cube」を語り尽くす 絶望や怒りと向き合いできた新たな居場所

 星野源が、新曲「Cube」を10月18日に配信リリースした。同曲は、謎の立方体に閉じ込められた男女6人の脱出劇を描いたカナダ発のスリラー映画の日本版リメイク作『CUBE 一度入ったら、最後』主題歌。先日公開されたMVは星野源のコンサートツアー等の振り付けなどでも馴染み深い演出振付家・MIKIKOがMVのディレクションを初担当。映画で主演を務める菅田将暉もゲスト出演している。

星野源 – Cube (Official Video)

 リアルサウンドでは前作『不思議/創造』のインタビューに続き、高橋芳朗氏を聞き手に取材。「これまでとは違う音楽の地平へ」と語っていた星野は、今作「Cube」でも「今まで行ったことのない居場所ができた」と新たな手応えを見せた。ビートを中心としたサウンドメイクに対する好奇心、これまでとは異なる歌詞の視点。「Cube」の誕生をきっかけにした今後の音楽制作の広がりにも期待が膨らむインタビューとなった。(編集部)

セオリー通り/セオリー以外っていうところから自由になりたい

――まずは映画『CUBE 一度入ったら、最後』の主題歌を手掛けることになった経緯を教えてください。

星野源(以下、星野):こういうジャンルの映画の主題歌をオファーしてもらったことで今まで足を踏み入れたことのない場所に行くきっかけをもらえるんじゃないかと思ったんです。それで最初にオリジナルのカナダ製作の『キューブ』を観て、続けて今回のリメイク版を観たんですけど、僕がオリジナルの方を観たときにいちばん感じたのは怒りで。怖さと共に、社会や人間に対する強い怒りみたいなものを感じたんです。それによって歌詞世界のビジョンが一気に見えてきて、自分がどういう曲を作ればいいのかわかったという感じです。

――そうした映画から受け取ったものを踏まえて、どういうビジョンをもって曲作りを進めていったのでしょう。

星野:作り始めたとき、まずイントロの16小節ぐらいのドラムパターンができたんです。そこから広げていった感じですね。だからビートから作っていきました。

――「不思議」のインタビューのときに話されていた制作環境の変化がイメージを具現化していくに当たって助けになったようなところはありますか?

星野:そうですね、今回も鍵盤とDAWを使って作ったので。まずビートからできたんですけど、最初に思ったのは「かなり狂騒的なビートができたな」と。でも、楽曲のイメージとしては生音だったんですよ。電子音ではなく、実際のドラムを叩いている音。それで最初は人間が叩けるレベルのドラミングに直そうと思ったんですけど、なんかそれではおもしろくないと思って。人間に叩けないことをやるからこそおもしろいんじゃないかって思い始めて。それでも生音の楽曲にはしたかったから、じゃあ、生ドラムに聞こえるように打ち込みつつ、しかもそのドラマーは千手観音みたいに、腕が6本あって足が4本ある人の設定にしようと。その設定で作っていった感じです(笑)。

――フフフフフ。

星野:で、オルガン奏者も手が4本ぐらいあるイメージですね(笑)。ドラミングの音がまずできたとき、1960年代後半から1970年代前半ぐらいのソウルバンド、もしくは田舎の教会のゴスペルの歌に合わせて演奏しているバンドがイメージとしてあって。ドラムとベースとオルガン、あとエレキギターがいるぐらいのミニマムな編成のバンドがプログレッシヴな演奏をかなり狂気的にやるっていう。そのイメージと僕が映画の世界観から受け取った憤りや怒りが一致していった感じですね。よし、これでいこうって。

ーーこれだけ過激にビートを打っていて、ほとんどアバンギャルドな領域に入っているにも関わらず、それでもものすごくグルーヴィな曲になっているバランス感覚がすごいなと。人肌のグルーヴがしっかり宿っているんですよね。

星野:ありがとうございます。

ーー音楽家としてのチャレンジングな姿勢、つまり前衛的な部分と、本能に強烈に訴えかけてくる原始的な部分。その見事な共存ぶりに圧倒されたのですが、星野さんが制作において留意したのはどんな点だったのでしょう?

星野:「創造」と「不思議」もそうだったんですけど、普通だったらこうやって整理するだろうっていうのがだいたいあるんですけど、それよりも自分の理性を優先するっていうことを近年ずっとやってきて。だから音楽理論的には「このコードからこのコードに行ったらダメ」とか転調するとかしないとか、そういうセオリーみたいなものがあるんですけど、そこから自由になりたいっていうのがずっとあったんです。それは壊すのとも違って、セオリーじゃないことをやっていきたいのでもなく、セオリー通り/セオリー以外っていうところから自由になりたいという。だから、ただ自分のやりたいようにやっていきたいと。そこを追求していくなかで、音楽的な理性や社会性みたいなものが働いてしまうときがあるんですけど、それを本当に自分が好きなものなのかどうかをちゃんと見極めながら進めていく。なので、これが単にセオリーから外れるためのアバンギャルドだとおもしろくなくて、自分がこっちに行った方が気持ちいいんだっていうイノセントな気持ちをちゃんと保ち続けることが大事なんですよね。アバンギャルドであることにナルシシズムを感じないようにしているので、アバンギャルドでありながらもグルーヴがあるとか人肌を感じるというのはすごく大事なポイントだと思っています。

――「創造」以降、星野さんのビートに対するさらなる好奇心の高まりも感じます。

星野:最初にやった楽器がドラムだっていうのもあるんですけど、やっぱりビートがすごく好きで。シンプルなビートを突き詰めるのも大好きだし、ビートの揺れを細かく作っていくのも大好きで。今回は割となにも考えずにイントロのドラミングができたんですよ。なんというか、ただやっていたらできたというか。こういうものを作ろうとしてイメージして作ったというよりは、なんかできちゃったみたいな。改めて自分でキーボードで叩き直そうと思ってもできないものもあるんですよ(笑)。

――本当に衝動的に生まれたビートなんですね。

星野:そういうイノセントみたいなものを消したくない、整理したくないという感じですね。たとえば「不思議」はかなり削ぎ落として整理する楽しさがあったと思うんですけど、今回は整理しない、でも飽和しているわけではないという。最初のイノセントな状態にあったビートを最後まで維持し続けるような、そういうチャレンジであり作業でした。新しいものを作りたいという気持ちでもなく、結果的に新しかったらいいという感じですね。

――今回オルガンを大々的にフィーチャーしたのにはどんな意図があったのでしょう? 先ほど曲のイメージとしてゴスペルバンドを挙げていましたが、改めて詳しく教えてもらえますか?

星野:さっきも話したようにまずドラミングができてからバンドのイメージがふわっと浮かんできて。それが教会のイメージだったんですよね。クワイア的な演奏ですね。でもパイプオルガンで荘厳な感じというよりは小さな教会で電子オルガンみたいなものを持ち寄って、ドラムとベースで演奏しているようなイメージ。しかもそれが独自のむちゃくちゃな演奏である、そういうイメージで作っていきました。なにか他の楽器も入れようと思っていたんですけど、もう十分だなって。ピアノを入れてみようとか、いろいろやってはみたけれどトゥーマッチになっちゃったのでやめました。だからむしろオルガンを手が多い、腕そのものが多い人に演奏してもらおうと。別に腕が6本あってもいい、足が4本あってもいい、そういう気持ちで作っていったのはすごく楽しかったですね。

関連記事