小説『モンパルナス1934~キャンティ前史~』エピソード3 カンヌの夏ーマルセル 村井邦彦・吉田俊宏 作

エピソード3
カンヌの夏ーマルセル ♯4

 その昼、紫郎とマルセルは、ガブリエル、シモン、それにタローも連れて、カールトン・ホテルのプライベート・ビーチに出かけた。アパルトマンからすぐ前にある古い港に出て、左に曲がると10分も歩かないうちに着く。カンヌ屈指の高級ホテル、カールトンを買収したフランク・ゴールドスミス氏が主催する水泳大会が開かれるのだ。伊庭家の主人と親しいユダヤ人の大富豪というのが、そのゴールドスミス氏だった。
 カンヌ在住のフランス人チームとバカンスで長期滞在しているアメリカやイギリス、ドイツなどの外国チームの対抗リレーが大会のハイライトだ。マルセルの周到な根回しによって、紫郎もフランスチームの一員として特別に参加が許されていた。
 カールトンのプライベート・ビーチには、各国から富裕層が集まっている。ほとんどがヨーロッパかアメリカの白人だ。カンヌの海は南仏の日差しを受けてきらきらと光っているが、ご婦人方のジュエリーも負けじとゴージャスな輝きを放っていた。
「シローさん、頑張ってね。水泳は得意なんでしょう?」とエドモンドが言った。
「僕は走る方が得意だけど、泳ぎもまあまあ自信がありますよ。須磨の海で、威彦兄さんにずいぶん鍛えられましたからね。東京に出てきてからも大磯や葉山で何度も泳いだなあ」
 横からマルセルが「それは心強いですね。シロー、あなたにアンカーを任せます。フランスチームのみんなが賛成です。相手チームのアンカーはたぶんあの背の高いアメリカ人です。最近、毎日この海で泳いでいます。とても強い相手ですけど、シローならきっと勝ってくれますよね」と言った。
「ああ、任せてくれ」
 紫郎の海水パンツはフランス国旗のトリコロール柄。マルセルとおそろいだ。彼がチームの面々に「東京から来たシローです、よろしく」と挨拶して「アレ・フランス!」と叫ぶと、応援団から大歓声が上がった。大半が10代と20代の女性たちだ。
 フランスチームは準備万端になったが、外国チームが騒がしい。どうやらイギリス人とアメリカ人が組んで、ドイツ人を締め出そうとしているようだ。「ヒトラー」とか「ナチス」といった言葉が、怒声に混じって飛び交っている。紫郎は船員の前に仁王立ちになった富士子を思い出し、彼らに向かって飛び出していった。慌てて止めようとしたマルセルを目で制して、アメリカ人たちとドイツ人の間に割って入った。
「おい、おい、ちょっと待てよ。彼はナチスの親衛隊じゃないし、ましてやヒトラー本人でもなかろう。みんな仲良くやろうぜ」と紫郎は英語で言った。
「さっき聞いたぞ、おまえ、日本人らしいな。国際連盟を脱退してどうするつもりだ」と190センチはありそうなアメリカ人が紫郎を見下ろして叫ぶと、ビーチで見物している富裕層の老人の何人かが拍手を送った。
「ははは、僕はその日本を追い出されてきたんだ。これから水泳というスポーツをやるんだろう。スポーツに政治は関係ない。それに、ここは自由の国フランスじゃないか」
 紫郎がそう言い放つと、フランスチームの応援団からソプラノとアルトの大歓声が上がった。
「中国を侵略している日本野郎のくせに、何が自由の国フランスだ」
 紫郎につかみかかろうとしたアメリカ人の前に、彼より大きな筋骨隆々の黒人がぬっと現れ、ヘラクレスのように立ちはだかった。優に2メートルはありそうだ。
「ムッシュー、ここで暴力はいけません。侵略という言葉を使いましたね。それはあなたたち白人の専売特許だったのではありませんか。私の先祖はアフリカから連れてこられた。そういう話を今ここでしたいのですか。私は奴隷制度が生まれたのは、あなたのせいだとは言いません。それでもあなたは、この日本の方を責め、暴力を振るおうというのですか」
 黒人はよく響くバリトンで朗々と語り、イギリス風の英語で教師のように諭した。190センチの白人は引っ込むしかなかった。
 マルセルが飛んできて「シャルル、ありがとう。恩に着るよ」とフランス語で言った。シャルルと呼ばれた2メートルの黒人は打って変わって少年のような笑みを見せ、小型船に乗って海に出ていった。
 レースは海岸から40メートルほど沖にある浮き台がスタート地点で、選手たちは海岸と平行に100メートルほど西に向かって泳ぎ、フラッグのある地点でターンして浮き台に戻ってくることになっている。シャルルは折り返し地点に船を停泊させ、フラッグを持つ役を請け負ったようだ。

カールトン・ホテル前の浜辺 (Photo by Slim Aarons/Getty Images)

「彼はシャルル・デュソトワール。ソルボンヌ大学の法学部の学生です。素晴らしい秀才で、ラグビーの選手でもあります。とてもいい人。僕の友達です」とマルセルが紫郎に耳打ちした。世界は広い。すごい男がいるものだと紫郎は感心した。
 結局、ドイツ人は外国チームに加わり、ドイツ、イギリス、オーストラリア、アメリカの多国籍チームになった。フランスチームはマルセル、ジャン、アラン、シローの4人だ。
 第1泳者のマルセルが浮き台から勢いよく飛び込み、戦いの火ぶたが切って落とされた。彼はくるりと身をひるがえし、天を仰いで背泳ぎで進んでいる。速い、速い。早くも相手のドイツ人を身体ひとつ分ほどリードした。
 紫郎は波打ち際で声援を送るシモンの姿を見つけた。彼女はすっかり上気した顔で「アレ、マルセル! アレ、アレ」と叫んでいる。栗色の長い髪が潮風になびいている。なんだ、あんなに大きな声が出せるんだ。14歳はこうでなくちゃと紫郎はうれしくなった。
 フランスチームと外国チームは抜きつ抜かれつを繰り返し、いよいよアンカーの出番が回ってきた。第3泳者の小柄なアランがもうひとつスピードに乗れず、フランスチームは身体2つ分ほどリードされている。
「シロー、ボン・クラージュ!」
 シモンの同級生というから13歳か14歳だろうが、とてもそんな年齢とは思えない成熟した体つきのフランス人の女の子の一団が大声援を送ってくれる。彼女たちに比べると、シモンはずいぶん幼く見える
「ボンヌ・シャンス!」
 シモン組に負けじと、エドモンドの友達も声を合わせる。こちらはさらに成熟したレディーたちだ。
 紫郎が右手を上げ、海軍式敬礼のポーズをとると、シモン組とエドモンド組の両方から歓声が上がり、そろってフランス国歌「ラ・マルセイエーズ」を合唱し始めた。浮き台にいる外国チームの連中が露骨に不機嫌な顔をしている。それを察知したマルセルが紫郎に目で合図を送った。紫郎は「分かっている。心配するな」という顔をして、悠々と飛び込んでいった。
 先を泳ぐアメリカ人は長い手足をバシャバシャと激しく動かし、力ずくで前に進んでいく。ゆったりとしたフォームの紫郎と大男の差はなかなか縮まらない。
「ああ、シロー、何しているのよ。これじゃあ、追いつけないじゃない」とエドモンドが地団太を踏んでいる。
 黄色いフラッグを持つシャルル・デュソトワールが乗っている船の後ろを回って折り返すのがルールだ。アメリカ人は急にスピードが落ちてきた。紫郎との差は1メートルにまで詰まっている。紫郎は水面から顔を上げ、シャルルに「さっきはありがとう」と声をかけ、そこから一気に加速した。アメリカ人と並び、さらに抜きにかかる。
「畜生!」
 アメリカ人が紫郎の肩に手をかけて引き寄せ、長い左腕を首に巻きつけた。シャルルが慌てて止めに入ろうとするが、すでに2人は10メートル以上先を泳いでいる。アメリカ人が右手で顔面にパンチを食らわせようとした瞬間、紫郎は長い腕の束縛からするりと抜け出した。
「待て、この野郎」
 大男が絶叫し、紫郎の水着をつかんで力ずくで引き戻す。
「あ、あれ?」
 彼の手にはトリコロールの海水パンツだけが残され、紫郎ははるか先を泳いでいた。
 大差をつけて紫郎がゴールし、素っ裸で浮き台に上がって手を振ると、応援団は大歓声と大爆笑の渦につつまれた。マルセルが慌ててパナマ帽で紫郎の前を隠したが、笑いと歓声はおさまらない。
 チームメイトのジャンとアランが大きなバスタオルで紫郎の身体を包み、2人の肩の上に担ぎ上げる。そのまま浮き台の横につけたシャルルの船に乗り込んだ。「シロー、シロー、シロー」の大合唱の中、フランスチームを乗せた船が「カールトン」の看板のある桟橋に到着した。英雄たちの凱旋だ。シモンもエドモンドも大喜びで飛び跳ねていた。
 ゴールドスミス氏の代理人から贈られた優勝賞品はシャンパンだった。
「マルセル、このシャンパンは今夜のシモンの誕生パーティーで空けよう。君と僕の分を合わせて2本あるから、1本は彼にプレゼントしてくれないか」と紫郎が言った。
「彼?」
「シャルルだよ」
「それはいいですね。大賛成です。きっと喜びますよ」とマルセルが笑った。
「伊庭さんは今日戻ってくるんだよね」
 日本から持参した土産は、世話になる家の主人に渡そうと紫郎は考えていた。
「パパですか。夕方の汽車でカンヌに着くはずです。ベルリンに行ってヒトラーの様子を見てくると言っていました」
 伊庭簡一は住友の二代目総理事、伊庭貞剛(いばていごう)の次男だ。アメリカの名門校に留学したが、いったん日本に呼び戻されている。深尾の親父は「アメリカで遊びすぎたから貞剛さんが怒ったらしい」と言っていたが、真偽のほどは分からない。
 簡一の弟、四男の慎一も変わった経歴の持ち主で、住友家が支援していた洋画家、鹿子木孟郎(かのこぎたけしろう)のフランス留学に同伴して親の許しもなくパリに行き、絵の勉強をしている。この四男を日本に呼び戻すため、次男の簡一がパリに派遣されたのだが、呼び戻しにいった本人がパリでフランス人と結婚してしまったのである。
 紫郎は深尾の親父から伊庭家の事情を聞かされてはいたが、カンヌに来てから1日半の間に、伊庭簡一という人物への興味が何倍にも膨らんでいた。アメリカ、フランス、ドイツを飛び回り、ユダヤ人の大富豪と親しくなるなんて、日本では考えられない夢の世界だった。紫郎は自分の頭の中にある物差しのスケールが、一気に地球規模にまで拡大した気がした。国境を越えていなかければならない。国境は越えるためにある。身支度をしながら、紫郎はそんなことを考えていた。
「さあ、着替えはすみましたね。行きましょう。僕は駅までパパを迎えにいきます。シローはシモンたちと先に帰ってください」とマルセルが言った。
「待って、タローがいないのよ」とシモンが叫んだ。「プライベート・ビーチの出入り口は1か所だけでしょう。タローでも自由に通れないようになっているから、きっとまだビーチのどこかにいるんだわ」。神戸で生まれた彼女は、姉と同じくらい美しい日本語を話すのだと紫郎は感心した。
「来たわよ。ほら」とエドモンドが笑っている。
 タローがトコトコとビーチを駆けてきた。何かをくわえている。シモンの足元に来て止まった。いちばん仲良しの彼女に渡すつもりらしい。タローの戦利品はトリコロール柄の紫郎の海水パンツだった。

(※)文中の「地中海の感興」の引用は『精神の政治学』(ポール・ヴァレリー著、吉田健一訳、中公文庫)より
取材協力:末永航

村井邦彦(Photography by David McClelland)

■村井邦彦(むらい・くにひこ)
1967年ヴィッキーの「待ちくたびれた日曜日」で作曲家デビュー。1969年音楽出版社・アルファミュージックを設立。1977年にはアルファレコードを設立し、荒井由実、YMO、赤い鳥、ガロ、サーカス、吉田美奈子など、多くのアーティストをプロデュース。「翼をください」、「虹と雪のバラード」、「エメラルドの伝説」、「白いサンゴ礁」、「夜と朝のあいだに」、「つばめが来る頃」、「スカイレストラン」ほか、数多くの作曲を手がけた。2017年に作家活動50周年を迎えた。

吉田俊宏

■吉田俊宏(よしだ・としひろ)日本経済新聞社編集委員 
1963年長崎市生まれ。神奈川県平塚市育ち。早稲田大学卒業。86年日本経済新聞社入社。奈良支局長、文化部紙面担当部長などを経て、2012年から現職。長年にわたって文化部でポピュラー音楽を中心に取材。インタビューした相手はブライアン・ウィルソン、スティーヴィー・ワンダー、スティング、ライオネル・リッチー、ジャクソン・ブラウン、ジャネット・ジャクソン、ジュリエット・グレコ、ミシェル・ペトルチアーニ、渡辺貞夫、阿久悠、小田和正、矢沢永吉、高橋幸宏、松任谷由実ほか多数。クイーンのファンでCDのライナーノーツも執筆。

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