小説『モンパルナス1934~キャンティ前史~』エピソード3 カンヌの夏ーマルセル 村井邦彦・吉田俊宏 作
エピソード3
カンヌの夏ーマルセル ♯2
その夜、伊庭家の主人は不在だったが、伊庭夫人のガブリエル、長女エドモンド、長男マルセル、次女シモンと客人の紫郎の5人で食卓を囲み、冷えた白ワインで乾杯した。
「皆さん、しばらくお世話になります。シモンは今日が13歳の最後の日だね。おめでとうは明日言わせてもらうよ」と紫郎が言うと、またシモンが顔を赤くしてうつむいた。それを見て、みんなが笑った。
「シローサン、コレハ、シモンガツクッタ、サラダデス。アナタノタメニツクッタノデス」とガブリエルが追い打ちをかけると、シモンは両手で顔を覆ってテーブルに伏せてしまった。足元でタローが心配そうに彼女を見上げている。
「シモン、どうもありがとう。ゆで卵とブラックオリーブと……。この魚はマグロかな」
「ええ、マグロをさっと焼いています。ニース風サラダと呼ばれています。南仏ではマグロがたくさん獲れましたからね」とエドモンドがシモンの代わりに答えた。
「獲れましたというと、最近は?」
「ええ、少なくなってきたそうです。だからニース風サラダにアンチョビを入れる人も増えているようですよ。先日、レストランのサラダにもアンチョビが入っていて驚きました」
「シモンは正統派のニース風サラダを作ってくれたんだね。ありがとう。とてもおいしいよ」と紫郎が言うと、シモンが初めてうれしそうな顔をして、小さくうなずいて見せた。
「私がまだ小さい頃、神戸に行く前の冬のことですけど、家族でマルセイユより西の港町まで旅行したことがあるんです。マグロを山のように積んだ船を見ましたから、当時はまだたくさん獲れたのだと思います」とエドモンドが言った。
「そういえば最近読んだ雑誌にポール・ヴァレリーの講演が載っていました。そこで南仏のマグロの話をしているのです。パパがパリで買ってきた『コンフェレンシア』という雑誌です。シロー、後で読みますか」とマグロをフォークで突きながらマルセルが訊いた。
「ありがとう。読んでみたいな。ヴァレリーの『海辺の墓地』という詩集なら持っているんだけどね」と紫郎がグラスのシャルドネを飲み干して言った。
「ああ、シローはヴァレリーを読んでいるのですか。素晴らしい。そのお墓もセットの町にあります。地中海を見下ろすような位置にありますから、本当に海辺の墓地ですね」とマルセルが説明した。
「シローサン、コノワインハ、カンヌノワインデス」と早くも3杯目に口をつけた紫郎に夫人が言った。
「カンヌのワイン?」
「正確に言うと、サント=ノラ島で造っているワインです。ほら、あそこに見える島」とエドモンドが夕暮れで赤く染まった海の方を指さした。タローが窓に向かって飛ぶように走っていった。
「ああ、サント=ノラ島のワイン。カンヌに来る途中、汽車で知り合ったおじいさんに教えてもらいました。あの島のワインは絶品だと言っていたけど、本当においしいなあ」
「シロー、このワインは修道士が造っています。あの島全体をシトー修道会が所有していて、島の中にブドウ畑まであるのです。とても良いワインですから、島の外までなかなか出回りません。それを特別に譲ってもらっているのです」とマルセルが付け加えた。
長旅の疲れが出たのか、紫郎は酔いが回り、ワインが2本空いたころに「お先に失礼します」と言ってベッドにもぐりこんだのだが、いざ寝ようとするとなかなか寝つけない。マルセルから借りた『コンフェレンシア』誌の目次からヴァレリーの講演録を探した。タイトルは「地中海の感興」。パラパラとページをめくりながら彼の目に留まったのは、故郷の港町セットで暮らしていたヴァレリー少年が海に泳ぎに出た日の回想だった。知らない単語がいくつかあったが、東京から持ってきた仏和辞典を引かなくても大意は分かった。
数百匹のマグロが獲れた豊漁の日の翌朝、ヴァレリー少年が浅い海の底で目にしたのは、肉を取り除かれたマグロだった。解体され、大量に捨てられていたのだ。
「ふと足許を見たとき、私は平穏な、明るく透き通っている水の中に、凄惨に美しい混沌が蔵されているのに気がついて身慄いした。何か、胸が悪くなるような赤い色をしたもの、微妙な薔薇色をしたのや、深い、気味の悪い紫色をした塊が、そこに横たわっていた。……そして私はそれが、漁師が海に投げ込んだ昨夜の魚の臓物の全部であることを悟ったのだった」(※)
ヴァレリーの詩人らしい表現によって、紫郎の脳裏に不気味な光景が広がっていった。
紫郎は夢を見た。普段の夢はモノトーンなのに、その夜は鮮烈なカラーだった。コバルトブルーの海に赤黒い液体が入り混じっていく。美しい地中海でおぞましい殺戮が繰り返されていた。夢の中の紫郎は嫌悪感を抱くのだが、同時に強い好奇心からも逃れられない。彼はコバルトブルーの海に溶けていく赤黒い液体の行方を陶然と見つめていた。
目を覚ますと、まだ4時だった。ずいぶん汗をかいている。紫郎は「心が嫌悪するものを眼は愛好した」というヴァレリーの一節を思い出し、続きを読んだ。
「私は次に古人の詩が含んでいる酷(むごた)らしい、血腥(ちなまぐさ)い要素について考えた。ギリシアの詩人はいかなる残忍な場面を描くことをも厭わなかった。……(中略)神話も、叙事詩も、劇詩も、血に彩られている。しかし芸術は、私があの無残な光景に接したときの、透明な水の層のようなもので、それは我々に、いかなることも眺め得る眼を与えてくれるのである」(※)。
死と美は背中合わせなのだと紫郎は思った。美を見いだすためには死をのぞき込まなければならないが、美を見いだせば生きる力が与えられる。では、どうやって死の底から美を見つけ出すのか。それが芸術なのだ。眠りに落ちていきながら、紫郎はその考えを深く胸に刻んだ。