長渕剛、ファンと想いを共有しながら歌い上げた“生き様と希望” LINE LIVE史上最大規模で行われた配信ライブを振り返る

「あー、これは普通に赤信号なんだ。止まるっていうことが、どれだけ大事か。僕らにとっては大事な武器なんだなと思いました」

 新型コロナウイルス感染症影響下の状況について、長渕剛はそう答えた。“止まる”ことによって、子供の頃に見た、忘れかけていた原風景を思い出すことがあったという。当たり前の日常は奪われてしまったが、それによって気づくことも多くあったのは確かだ。

 雨予報の中、10万人の力で太陽を引き摺り出した『長渕剛 10万人オールナイト・ライヴ 2015 in 富士山麓』からちょうど5年目の日、2020年8月22日。自身初となるオンラインライブ、LINE LIVE-VIEWING『ALLE JAPAN』は、歌の持つ力によって大きな意味を残したライブとなった。新型コロナウイルス感染拡大、そして九州地方豪雨による被災など、いま日本中が未曾有の事態に陥る中、多くの人たちに激励の想いを込めて長渕は歌いに歌った。ライブ配信中のチャットには「もうすぐ桜島(『桜島 ALL NIGHT CONCERT』2004年8月21日)を越える」というコメントが溢れ、あの時のライブ動員数7万5千人を超える約8万人を動員。終演後もその反響は大きく、総動員数は『オールナイト・ライヴ 2015 in 富士山麓』に匹敵する約10万人というLINE LIVE史上最大の規模で大成功を収めた。

 午後9時18分。東日本大震災、新型コロナウイルス感染拡大に関するニュース映像、そして、太平洋戦争ーー。日本を取り巻く現況を表すオープニング映像が流れる。

「まやかしの希望なんてくそっくらえっ だから、僕が動く」

 その言葉が映し出され、長渕剛初のオンラインライブ『ALLE JAPAN』は開幕した。 

 真上から映し出される円形のステージが日の丸を模すと、ゆっくりと息を吸い込むように「ウォホホッ、」の野太い一声、「JAPANーーーーー!!」一気に襲いかかる音の洪水。カウントも合図もない、一糸乱れぬタイミングで解き放たれる「JAPAN」。5年前、富士の山麓で見たときとまったく同じだった。あのときは日本が誇る霊峰富士の下で、日米混合バンドがこの曲を演奏することに大きな意味があった。今回の1曲目も絶対に「JAPAN」だと思っていた。いや「JAPAN」でなければいけなかったはずだ。

 ステージの周りを360°取り囲む巨大ビジョンには日の丸がはためき、ゆっくりとアコースティックギターをストロークしながら、言葉のひとつひとつを噛みしめるように歌う。そんな長渕をバンドメンバーが囲み、阿吽の呼吸で音を奏でる。ichiro(Gt)、FIRE(Ba)、矢野一成(Dr)、河野圭(Key)、信頼の厚い、お馴染みのメンバーだ。

〈俺たち この先どこへ 流れて行くんだろう〉

 1991年、湾岸戦争の際に抱いていた想いを綴ったこの歌は、2020年の現在、まったく別のところから我々に問いかけてくる。

 サウンドホールの低音弦側がえぐれるほど弾きこまれた、真っ黒のTakamineのギター“チンピラ1号”に持ち替え、軽快なアコースティックギターの刻みで始まったのは「親知らず」。ベルリンの壁崩壊後のベルリンから生中継で出場した初の『NHK紅白歌合戦』(1990年)で歌うために作られた、当時の国際情勢の風刺を綴った歌である。〈聞いて欲しい唄が 3つばかりあるんだ〉と各国首脳を名指しで自分の家に招こうとする箇所は、その時代に合わせて歌われてきた。だから、もちろん2020年の最新バージョンで歌った。〈何ボ積んでも 何ボ積んでも 譲れねえものがある〉と、カメラを睨みつけるように歌った。

 〈ぴいぴいぴい……〉と懐かしいメロディに乗せて、スクリーンには髪の長かった頃の若い長渕の写真が映し出されていく。そんな「ろくなもんじゃねえ」はまだ華奢でチンピラに憧れていた長渕が、どこか斜に構えながら歌っていたわけだが、今こうして歳を重ね、いろんな意味で大きくなった長渕が歌うことで重厚な歌になった。先日TBS系音楽番組『CDTVライブ!ライブ!』で披露され、話題になったばかりだが、その時よりもオリジナルアレンジに近い形だ。フォークビートに絡むピアノがこの曲の哀愁を色濃く映し出す。

 「誰かがこの僕を」では先ほどまでとは打って変わって、美しいピアノの調べに乗せて〈またひとつ負けちまった〉〈心が疲れたんだ〉と誰もが持っている人間の弱さを己に問うように歌う。近年(2017年)書かれた歌であるが、時に言葉を荒げるほどの強い歌も、こうして苦悩する弱さを曝け出す歌も、どちらも長渕剛という人間そのままの姿である。言いたいこと、思っていることはすべて歌に込める、という実直すぎるアーティスト性は昔から現在に至るまでずっと変わっていない。

 悪性リンパ腫により、6カ月近くに渡る闘病生活から完全復帰した笠井信輔アナウンサーの進行で、約300名のファンの映像がリモートでビジョンに映し出される。そして、新型コロナウイルスや東日本大震災の影響による苦しみと闘う6名の話を聞きながら、それぞれに向けてエールを送り、歌った。12弦ギターで奏でられた「花菱にて」は美しく儚げなメロディを強い歌声で切々と歌い、「六月の鯉のぼり」では、震災によって色を失ってしまった石巻の風景の中で鮮やかな色を放ちながら優雅に泳ぐ様がビジョンに映し出される。震災から3カ月後、長渕が実際に東北を訪れた際に想いを込めた歌であると語り、優しくギターを爪弾きながらそっと歌われた。そして、〈やるなら今しかねえ〉と、しっかり自分にも言い聞かせるように歌った「西新宿の親父の唄」。66歳の飲み屋の親父の口癖を歌う長渕も、来たる9月7日には64歳を迎える。

 その昔、30代の頃の長渕が「昔、自分で書いた歌なのに今の自分に降りかかってくることがある」と言っていたことがあった。10年、20年、変わっていくものが多い中で、歌に教えられることがあるという。それは歌を書いた長渕本人でなくとも、長渕の歌を聴いてきた我々ファンも同じなのかもしれない。そう思える場面が、久しぶりに披露された歌にあった。

 家族のために頑張るトラック運転手の男性に対し、「30代の頃は期待に応えるために考えすぎたところもあって、幸せについて考えたことがなかった」「でも、子供を抱きしめたときに頑張ろうと思った」と自らを振り返りながら、胸に迫るように弾き語った「シリアス」。父親になった男の責任と、その隣り合わせにある孤独。楽曲が発表されてから30年が経とうとする今、この歌の持つ本当の意味を知った気がした。そして、コロナ禍の中で生まれてしまった社会の同調圧力に対し、「自分は自分、人の言うことを気にしない。そうすればいつか自分が求めている顔になれるんじゃないか」と語り、歌った「顔」。軽快に鳴らされるカーターファミリーピッキングに乗せて歌われた優しいメロディが印象的だが、周りから何を言われようとも信念を持ち、悔しさを胸にじっと耐える歌であり、長渕の歌の大きな原動力でもある“怒り”の原点にある、ちょうど40年前の古い歌である。〈今はだまって春を待とう〉の節が、やけに心に響いた。

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