稲垣吾郎がラジオを通して伝えた被災地復興の姿ーーアイドルが担う“架け橋”の重要性について考える

 稲垣吾郎が、パーソナリティを務めるラジオ『編集長 稲垣吾郎』(文化放送)3月11日放送回では、今年も東日本大震災の復興を取り上げた。あの大災害から9年。あのとき、何が起こったのか。私たちはそこから何を学んで、何を次の世代に伝えていく必要があるのか。痛ましい記憶を思い出すのは辛いことだが、その悲しみを語り継いでいくことで、未来が少しでも明るくなってほしい。そんなふうに活動を続けている人たちがいることを教えてくれた。

 『編集長 稲垣吾郎』では今年、岩手県釜石市で昨年3月にオープンした『うすのまい・トモス』に注目。『うのすまい・トモス』は三陸鉄道リアス線『鵜住居駅』下車1分のところにあり、「東日本大震災の記憶や教訓を将来に伝えるとともに、生きることの大切さや素晴らしさを感じられ、憩い親しめる場」を目指して建設されたもの。

 震災伝承と防災学習のための施設「いのちをつなぐ未来館」、東日本大震災の犠牲者を慰霊、追悼するとともに、震災の教訓を後世に伝える施設「釜石祈りのパーク」、地域の魅力発信やにぎわいを創出し、観光交流を推進する「鵜の郷交流館」の3施設から構成されており、全国の子どもたち、海外からの観光客などが訪れる場所になったという。

 今回、番組ではこの「いのちをつなぐ未来館」にて語り部として活動を続けている方と電話をつなぎ、震災を振り返るきっかけを作った。釜石地区には、震災直後に訪れたという稲垣。ヘリコプターから見た当時の状況を思い出しながら「(景色は)だいぶ変わってきてるってことですよね?」と問いかける。

 現在は、全体的にかさ上げされていること。かつて学校があったところは釜石鵜住居復興スタジアムが建設され、学校は山を切り崩してさらに高い場所になったと聞くと、「だいぶやっぱりみなさんの力で復興して」と、感慨深いものがある様子だった。

 先日、岩手日報のインタビューで「『出張ビストロ』のために同市に向かう途中、まだ船が建物に乗り上がっているような光景を目にしました。(被災した地域の様子は)ショッキングでしたが、それ以上に地元の皆さんからパワーや勇気、優しさをもらったことが忘れられません」と語っていた稲垣。

 支援を呼びかけてきた番組が終わっても、被災地の復興が気がかりだったこと。「それは多分5人とも気になっていたと思うんです。それをファンのみなさんが引き継いで、今も呼び掛けてくれていることも知っています」と続けていた。(参照:岩手日報『心つなぐ懸け橋に パラ五輪親善大使・稲垣吾郎さん』

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