SEEDAがラップシーンに与えた衝撃とは何だったのかーー日本語ラップバブル期~『花と雨』誕生まで振り返る
SCARSと、SEEDAがDJ ISSOとリリースした彼らの仲間たちの音源を詰めたMixCD『Concrete Green』シリーズが日本語ラップの新たな時代を築かんという時、BACHLOGIC全曲プロデュースでSEEDAの『花と雨』(2006年)はリリースされた。このアルバムでのSEEDAはSCARS『THE ALBUM』からさらに進化していた。聴き取りやすさは増しつつもフロウが豊かになり、リリックの表現対象がハスリングの先の世界まで広まっていたのだ。SCARSでのSEEDAの声はOnyxのスティッキー・フィンガーズのように喉を潰した迫力のあるものだったが、1曲目の「Adrenalin」から明らかに聞き取りやすく改善されていた。印象的なスキットを含めて「不定職者」や「Sai Bai Man feat.OKI from GEEK」など、シリアスになりがちなハスラーの日常をテクニカルな暗喩で人を煙に巻くようなラップも斬新だった。アルバムは中盤「We Don’t Care feat.Gangsta Taka」や「Just Another Day」でハードなラップをするのだが、捨て駒でしかなかった惨めな現実を垣間見せもする。終盤、ストリートビジネスを繰り広げてきた街を見つめ直すSEEDAは、幼少期の思い出を振り返り、最後に姉の死を乗り越えてゆくクライマックスを迎える。エンドロールのように過去の回想と仲間への謝辞のライムし、『花と雨』は終わる。このようにSEEDAは自身が広めたハスラーラップを、様々な面を持った一人の男のドラマへと拡大させることに成功させたのだった。
SEEDA及びSCARSのヒットを受け、それまではビートメイカーとほぼ同義語であったプロデューサーという立場が、制作の現場において確立されたことも後に大きな影響を残した。初期の頃からSEEDAの曲に携わったI-DeAも、プロダクションにおいて劇中同様に厳しく指揮していたことは語り草だ。サイプレス上野は『bounce』の連載「LEGEND オブ 日本語ラップ伝説」で彼らの登場までは制作はラッパー主導が一般的だったと振り返っている(参照)。また、本作中のアドリブやリズミカルなフロウ、嘲笑するようなワードプレイの後に引き締まったフックを繋げる緩急のある展開は、翌年活躍するNORIKIYOにも通じる。数年後に登場するPUNPEE率いるPSGの『David』でもその影響は色濃く、特に弟のS.L.A.C.K.(現:5lack)はBACHLOGICのラップに強い影響を受けたことは間違いなく、PSGの「2012 feat.BACHLOGIC」に彼のバースがないのは、あまりに2人のラップが似ているからと筆者は睨んでいる。
他にも挙げたらキリが無い程に、ハスリングラップの名盤とされる『花と雨』が残した影響は、ハスリングラップに留まらない。映画ではこの作品が出来上がるまでのSEEDAの半生を基にしている。この名作が出来上がるまでのSEEDAはどのような青年で、姉との約束はどのようなものだったのか。アルバム『花と雨』からは読み取れない場面を、映画のシーンは補完させてくれるものだったはずだ。
■斎井直史
学生時代、卒論を口実に音楽業界の色んな方々に迫った結果、OTOTOYに辿り着いてお手伝いを数ヶ月。そこで記事の書き方を教わり、卒業後も寄稿を続け、「斎井直史のパンチライン・オブ・ザ・マンス」を連載中。趣味で英語通訳と下手クソDJ。読みやすい文を目指してます。