神聖かまってちゃんによる渾身のちばぎん脱退ライブ 会場で目撃した、時を越える美しい物語
ちばぎんの脱退発表は、2019年5月21日にツイキャスで行われた。私も偶然リアルタイムで見ていたのだが、脱退理由は、結婚した今ふたりの子どもの父となるためには、神聖かまってちゃんの活動では経済的に厳しいという極めて現実的なものだった。バンドは解散しないとのことだったが、ちばぎんのいない神聖かまってちゃんを想像することは難しかった。
脱退は2020年。まだまだ先だと思っていたが、すぐに最後の日である2020年1月13日を迎えてしまった。『メランコリー×メランコリー』ツアー最終公演、会場はソールドアウトのZepp DiverCity(TOKYO)である。
私が神聖かまってちゃんを初めて見たのが10年前というのも気が遠くなる。2010年5月13日に、いまはなき原宿アストロホールで開催された七尾旅人とのツーマンライブだった。当時の神聖かまってちゃんは、ニューウェイヴ的だったとも言えるが、要は衝動が先走るかのように技術面は後回しだった。
あれから10年。みさこのヘヴィなドラムと、ちばぎんの太く蠢くベースは、生々しいリズムセクションに生まれ変わっていた。初期からの楽曲「ぺんてる」が、すっかりラウドに変貌していたように。
神聖かまってちゃんのステージでは、激しい昂揚感を求めるの子の言動を、他のメンバーが受け取めるのが常で、この日もそれは変わらなかった。ちばぎんのラストライブでのまともな第一声は、「今日会場で買うとポスターが付くみたいですよ」というCDの宣伝だったのだ。ただ、いつもと違ったのは、アンコールで他のメンバーとファンの感情が溢れだしたことだ。
ファンから湧き起こった「ちばぎん」コールを受けての最初のアンコールでは、「ロックンロールは鳴り止まないっ」も演奏された。ロックンロールとの出会いをストレートに表現したこの楽曲が、この日は青春の終わりのように鳴り響いた。私たちがロックンロールに対して期待するある種のモラトリアムを内包しているようだと感じたのだ。
ところが、神聖かまってちゃんは最後の最後、モラトリアムどころか「23才の夏休み」で幼稚園時代にまで逆行してしまった。そこには物語が美しく回収される感覚もあった。神聖かまってちゃんによる渾身のちばぎん脱退ライブだ。
の子はライブを戦場に例えて、「ちばぎんは明日からPTSDになる」とMCで言っていた。それは決して大げさでもないだろう。終わりなき日常を生きることになるちばぎんはどうなるのだろうか。それ以上に、ちばぎんを失った神聖かまってちゃんはどうなるのか。この狂気と親しみやすさをあわせもつ特異なバンドの行く末を、今まったく想像できずにいる。ライブを見終わってから数時間、まだ気持ちが落ち着かないままなのだ。
■宗像明将
1972年生まれ。「MUSIC MAGAZINE」「レコード・コレクターズ」などで、はっぴいえんど以降の日本のロックやポップス、ビーチ・ボーイズの流れをくむ欧米のロックやポップス、ワールドミュージックや民俗音楽について執筆する音楽評論家。近年は時流に押され、趣味の範囲にしておきたかったアイドルに関しての原稿執筆も多い。Twitter