ボーカルが作詞をしないバンドから考える、“バンドのボーカルと歌詞”の関係性について

 King Gnuもそういう資質を持ったバンドである。曲を書いているのはギターボーカルである常田大希であり、いわゆるボーカルが「自作自演」をするタイプのバンドだが、普通のバンドとは少し構成が違う。このバンドにはもう一人ボーカルがいて、ツインボーカルという体裁を取っているのだ。これにより、歌う人間が単にメッセージを込める、というところからは少し離れ、他のバンドにはない歌詞世界を生み出すことに成功している。また、作詞とボーカルはイコールではない、ということを強く打ち出したのは、初期のチャットモンチーだ。このバンドはボーカルが作曲を行なっていながら、作詞は別の人間が行う稀有なバンドだった(曲にも寄るが)。これは、「作詞」が得意な人間が作詞を行い、より良い言葉を届けたいという意識があったからこそ生まれた分業だと思う。そして、この分業を行っていたからこそ、チャットモンチーの歌は、歌詞が印象的なものが多い。

 歌詞は人格と結びつきやすく、メッセージと結びつきやすく、バンドのカラーそのものとも結びつきやすいため、バンドの心臓となるボーカルが歌詞を書く傾向にある。けれど、作詞が重要だからこそ、バンドの表現領域の一部として分業しているバンドが、バンドの世界観もカラーもしっかり打ち出せているように思う。ならば、仮にバンドメンバーの中で作詞が得意な人間がいないのであれば、映像を作る場合に外注するのと同じように、グッズを作る場合も外注するのと同じように、作詞においても「その道のプロ」に外注することだってアリなのではないか。むしろ、そのようにして、その道のプロが書いた歌詞を、ボーカルという「歌うこと」のプロが解釈し直して表現する方が、結果的にバンドの作家性やカラーを強く打ち出せる可能性がある。少なくとも、そういう発想が、選択肢としてもあっても良いのではないかと筆者は考える。

■ロッキン・ライフの中の人
大阪生まれ大阪育ち。ペンネームにあるのは自身が運営するブログ名から。人情派音楽アカウントと標榜しながら、音楽メディアやTwitterなどで音楽テキストを載せてます。

関連記事