『ならば風と行け』リリースインタビュー

「役者であることをエクスキューズにしちゃいけない」中村雅俊が振り返る、42年の音楽人生

 中村雅俊が、9月14日に53枚目のシングル『ならば風と行け』をリリースする。同作の表題曲は、『東建コーポレーション』イメージソングとしてCMでオンエア中の壮大なミディアムバラード。作詞を松井五郎氏、作曲を都志見隆氏が手がけた人生の応援歌だ。今回リアルサウンドでは、聞き手に音楽評論家の小野島大氏を迎え、本人にインタビューを行なった。42年の歌手人生を振り返ってもらいつつ、現在も毎年実施しているコンサートツアーや役者・歌手の両立論まで、話は尽きなかった。(編集部)

「ツアーを42年間毎年続けられているのはひとつの自慢」

ーー前作「はじめての空」から、ちょうど1年ぶりの新曲ですね。

中村:そうですね。作家陣も前作と一緒なんですが(作詞:松井五郎、作曲:都志見隆)、けっこう仲良くさせてもらってるんです。そういう流れの中で、今回はどういうものをやるか。前作は軽やかなポップスの中にメッセージを盛り込もうという狙いだったんですけど、今回はしっとり落ち着いた感じで。松井さんも都志見さんも、あれはどう、これはどう、みたいにいろいろ提案してくれる人なんです。俺も自分から発信するというより、俺にこういう歌を歌わせたい、と言ってくれる方が嬉しかったんで。

ーー今回は中村さんから、楽曲の方向性や希望は出したんですか?

中村:今回はないですね。詞先だったんですけど、都志見さんが今までとはちょっと違う感じで作ってくれて。松井さんの詞の乗っかりも、メロディと合ってるなと思って。後半の方のメロディもインパクトもありますし、詞もうまい具合に乗ってると思います。

ーーここのところ都志見さんと組むことが多いですが、どんなところに魅力があるんでしょうか。

中村:なんでもできちゃう。フォークもロックも……あらゆるジャンルで作れる人。だから都志見さんの作品をみると、びっくりするぐらいバリエーションがあるんです。

ーーこれまで多くの作家と組まれてると思いますが、その中でも都志見さんは特別な存在であると。

中村:そうですね。今までいろんなアーティストの方が曲を書いてくれたんですけど、都志見さんはプライベートでも仲良くさせてもらってるんで、すごく親密なコミュニケーションができるんですね。他人行儀な仕事モードでやるのと違って、ビール飲んだりゴルフやったり、そういうプライベートの中でいろいろアイディアを出し合ったりしてる。

ーー都志見さんは中村さんの素顔というかプライベートな面をご存じだからこそ、出てくるものもある。

中村:そうですね。そういうのは多いと思いますよ。メロディ的にも。すごいいろんな引出しを持ってる方ですから。びっくりしますよね。

ーーその豊富な手腕を生かして、そのつど中村さんに対して新しい提案をしてくる。

中村:そうなんですよ。

ーー歌手としてこういうところにチャレンジしてみたら面白いよ、というような。それが中村さんにとっても、いい刺激になる。

中村:みたいな感じはありますね、ありがたいことに。自分はどういう曲を歌うのが合ってるのかなとか、中村らしさとか、自分の良さについても、客観的にわかっているようでわかってないところも多いんです。自分自身を知るという意味では、いい刺激になりますね。「こういうのはどうかなと思って作ってみたんで歌ってみてほしい」とか。そういうことも提案してくれる人ですね。

ーー今までの作品での、作家陣の顔ぶれ、本当に多彩で豪華ですね。大ベテランの大御所から、曽我部恵一のような人まで。

中村:そうですね。有名どころでは俺の大好きな(吉田)拓郎さんから始まって、小椋佳さんとか桑田(佳祐)君とか石井(竜也)君とかスターダストレビューとか、よく考えてみるとそうそうたる顔ぶれですよね。

ーーでも誰の曲を歌っても中村さんが歌うと中村さんの色に染まって、すぐにわかりますよね。

中村:そうですかね(笑)。ただ、中にはこんなこともあって。小田和正さんが作ってくれた曲(「小さな祈り」1998年)はね、小田さんが作ったんだな、とハッキリわかるような曲ですよ(笑)。小田さんから「曲作ったからちょっと事務所に来て」と言われて伺ったら、もう3時間缶詰ですよ、歌唱指導で(笑)。

ーーへえ。

中村:俺の声、小田さんと全然違うじゃない? だから2人でずっと、ここはこう、ここはあまり伸ばさないなんてずっとディレクションしてもらって。

ーーでも小田さんが作曲の依頼を受けられたということは、中村さんの歌にそれだけのポテンシャルを感じておられたということですよね。

中村:どうかなあ…途中でがっかりしてたんじゃないですか(笑)。もう20年近く前のことですが、すごくいい曲なんですよ。でも申し訳なかったのは、あまり売れなかった(笑)。こないだもウチのレコーディング・ディレクターと話してたんだけど、俺の曲って売れなかった中にも意外といい曲が多いよねって話で盛り上がりました。

ーー売れる売れないは必ずしも曲の善し悪しとは結び付かないですからね。でも専業のミュージシャンでもないのに、これだけ長いことコンスタントに曲を出し続けている人って珍しい気がします。

中村:そうですかねえ。レコードやCDを出し続けられていることもそうですが、コンサートツアーを42年間毎年続けられているのは自分にとってはひとつの自慢です。

ーーそれは今日ぜひお訊きしたかったことなんですが、デビューした1974年から毎年欠かさずコンサートツアーをやって、総本数は1400本以上を数える。ミュージシャン専業の方でも、それだけ長い間コンスタントにツアーやってる人って、滅多にいないと思うんですよ。

中村:うーん、そうですねえ。

ーーそれが中村さんの場合は俳優との兼業でやってらっしゃる。その多忙の中でツアーを続けていられる理由、やろうと思うモチベーションは?

中村:これは、モチベーションということも勿論ありますが、「やらさせてもらってる」という感覚が強いです。今年これからある20本のツアーは、自分にとって1476本目からのスタートになるんです。42年間で1500回って、1年にするとそれなりの本数をこなしてるんですけど、自分たちがいくらやりたいと思っても、各地のイベンターのみんなの協力と、何よりもお客さんが来てくれるっていう前提がないとコンサートは成立しませんから。

ーー求められるからこそ、できる。

中村:そうなんですよ。自分は元々役者なんで、役者なりに歌い手としてずっとパフォーマンスをやってきて、それを支えてくれた人たちが40年以上ずっといてくれたという事実ですよね。この歳になると、みなさん言うように、本当に「感謝」の気持ちが湧いてくる。役者をやっている時よりも、歌ってる時の方が「感謝」という気持ちはすごく強いですね。役者はやはり共同で作っている感があるので。視聴率が悪くても「ホン(脚本)が悪かったんだよ」とか(笑)。

ーー(笑)人のせいにできちゃう。

中村:まあ笑い話ですけどね。でもコンサートは「中村雅俊」の名前のもとでやってるんで。そういう意味では責任がありますよね。コンサートに来てくれるお客さんは、もともとは「味方」だと思うんですよ。中村雅俊が好きだとか関心がある人たちが来てくれる。それでもコンサートの内容が良くないと、次は来てくれませんから。そういう厳しい現実も知ってるんで、自分なりに全力で、中村雅俊らしくライブをやる、ということをずいぶん前から心がけてやってます。

ーー自分がこういうものを出したい、歌いたいというよりは、お客さんの期待に応えて楽しんでいただく、ということでしょうか。

中村:それも難しいところがあって、やっぱりニーズ通りばかりではつまらないんですよ。自分がやりたいものがあって、「どうだ!これいいだろう!」って気持ちでパフォーマンスすることも重要ですよね。

ーーバランスですね。

中村:ええ。コンサートって流れもあるし。いつも2時間半、20曲以上はやってるんですけど。

ーー長丁場ですね。

中村: 「MCは短くしてくれ」っていつもスタッフに言われるんですけど(笑)。元々ギターはちょこちょこやってたけど、ピアノ弾いたりサックス吹いたり、ハーモニカやったり、とできることは増えていきました。

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