『PLANETS』インタビュー

『題名のない音楽会』出演直前! ジェフ・ミルズが語る、クラシックとテクノの新しい関係

Jeff Mills: The Planets at Amsterdam's Concertgebouw.「Robeco SummerNights 2016(2016.8.30)(c) De Fotomeisjes

「エレクトロニック・ミュージックとクラシックの融合という前例を作りたかった」

ーーなるほど。今回の取材は現在制作中という新作『Planets』の内容についてお聞きするのが目的なんですが、そこに行くまでにいくつかお訊きしたいことがあります。そもそもの出発点として、なぜクラシックのオーケストラとやりたいと思うようになったのか、そこからお聞かせ願えますか。

ジェフ:音楽家としてジャンルを問わずチャレンジしていきたい。とりわけクラシックは音楽的にも高いレベルにありますからね、子供のころから映画音楽やクラシックに慣れ親しんできて、DJや音楽制作を始める以前から、クラシックに対する尊敬の念はあったんです。それは、デトロイト・テクノのアーティストの間では共通した感覚だと思います。

ーーそれはどういう意味でしょうか?

ジェフ:自分たちが若いころに影響を受けるソースはある程度限られていました。テレビや映画が特に大きい。映画のサントラは今と違ってクラシック系が多かった。ジョン・ウィリアムス(『スターウォーズ』など数多くの映画音楽を手がけたことで知られるクラシックの作曲家・指揮者)のような音楽を聴いて育ったという経験が大きかったのです。デトロイトという狭いコミュニティの中で生きていると、影響を受けたものも似通ってくる。同年代でもありますしね。その中のひとつにクラシック音楽があったし、SF映画も別な影響としてすごく大きかった。聴いてきた回数で言ったら、もしかしたらクラフトワークよりもジョン・ウィリアムスの方が多いかもしれないですね(笑)。

ーーじゃあ『スターウォーズ』を見て、自分もこんな音楽を作りたい、と。

ジェフ:単に「見た」というより「勉強」したんです(笑)。何度も何度も映画を見てサントラ盤を聞き込んで、クレジットも細かく見て…というようなことを10代前半のころにやってました(ジェフは1963年生まれ、『スターウォーズ』第一作は1977年公開)。そういう子供の頃の影響で、潜在的にクラシックへの興味と意識が芽生えたと思うし、当時のデトロイトの学校では子供の頃から楽器を習う機会も多かった。自分も小学校2年生から高校まで音楽のコースでさまざまな楽器を習ったり楽譜を読んだりしていました。

ーー楽器は何をやっていたんですか。

ジェフ:トランペットとパーカッションです。

ーーなるほど。あなたはその後エレクトロニック・ミュージックのDJとして音楽キャリアをスタートしたわけですが、実際にクラシックのオーケストラと共演することになったきっかけはなんだったんでしょう。

ジェフ:ある時点で「ダンス」ということだけに特化するのではなく、エレクトロニック・ミュージックにはもっといろんな可能性があるんじゃないかと考えるようになったんです。そこで、テクノの論理的な要素はクラシックに通じるものとして使えるんじゃないかと思い当たり、エレクトロニック・ミュージックとクラシックの融合という前例を自分が作ってみたいと思いました。

ーーそれはご自分が関わってきたテクノのようなエレクトロニック・ミュージックに、ある種の行き詰まりを感じていたということでしょうか。

ジェフ:ある一方向に偏りすぎているのではないか、と感じていました。

ーー「ダンス」ということですか。

ジェフ:そうです。テクノ=ダンスフロア、という固定概念だけでなく、いろんな可能性がある。クラシックだけでなく映画のサウンドトラックや実験音楽など、いろんな可能性を提示できるんじゃないか、そうすることで、私とおなじように感じているエレクトロニック・ミュージックのクリエイターにも賛同してもらえるんじゃないか。その前例を私が作れれば、と思ったんです。

ーーしかしあなたはプロの一流のダンス・ミュージックのDJだし、失敗したときのリスクも大きい。その逡巡はありませんでしたか。

ジェフ:実際に最初のコンサートをやった時は、必ずしもすべてがポジティブなフィードバックだったわけではありませんでした。自分がある程度有名で影響力のあるDJであるがゆえに、この試みでテクノやエレクトロニック・ミュージックの方向性が変わってしまうんじゃないかと危惧した人たちもいました。なかでもDJたちは特にネガティブに捉えているようでした。

ーークラシックとポップ・ミュージックの融合を図った人たちはあなたが初めてというわけではなく、過去にたくさん例がありますが、成功例はさほど多くありません。古くはチャーリー・パーカーが『Charlie Parker With Strings』(1950年)というアルバムでストリングス・オーケストラと共演していますが、コマーシャリズムに屈した大失敗作と酷評され、現在でも賛否両論の作品です。そうした過去の失敗例に何を学び、今回の試みにどう生かされましたか。

ジェフ:私が考えていたのは、2つのジャンルを融合するとか、落としどころを探って妥協するとか、どちらかがどちらかに寄せるとか、そういうジャンルにこだわる考え方ではありません。ひとつの強固なコンセプトがあり、そこに向かって全員が演奏することです。たとえばそれが「Planets(惑星)」だったら、エレクトロニック・ミュージックをプレイする私と、生楽器を演奏するオーケストラの人たちが一体になって「Planets」というコンセプトに向かってプレイするということが大切だと思います。アレンジャーと相談しながらスコアを書いていくわけですが、きちんとそのコンセプトをアレンジャーに説明することが大事です。そのさい、なるべくオーケストラのメンバー全員が常に演奏しているようなアレンジにしたいとお願いしました。要は演奏中、ヒマにしている人がいないように。そうすることで、より強い一体感が得られるのではないかと思いました。エレクトロニック・ミュージックとオーケストラの共演は私以降にもいくつかありますが、トラックを流して、その上にオーケストラ演奏をかぶせる例が多い。私はそうではなく自分もオーケストラの一員として参加し、指揮者の指揮のもとにいちミュージシャンとして共にプレイしたいと思っています。つまり自分とクラシックのミュージシャンが対峙するのではなく、同じオーケストラのメンバーとして演奏するのです。

ーーじゃあ実際にプレイするときは、ジェフさんも指揮者の指示に従ってやっているわけですか。

ジェフ:両方です。指揮者の指示に従ってやるんですが、時々は他のミュージシャンのプレイを聴きつつ、即興を入れたりします。私の場合は楽譜がないので、ほかのミュージシャンよりは自由に演奏しているかもしれません。

ーーなぜ楽譜を見ないんですか。

ジェフ:自分のパートが楽譜になっていない…というよりは楽譜にできないので、全部覚えて演奏します。

ーー初演では批判的な意見もあったという話ですが、そういった声はどのように払拭していったんでしょうか。

ジェフ:何度もコンサートをやり、成功の実例を重ねるにつれ、そうした声はなくなっていきました。もちろんこうした音楽が好きじゃないという人はいると思いますが、ビジネス面から言えば成功はしている。それは間違いない事実です。なので私だけではなく、いろんなDJが同様のことをやり始めている。

ーーそうした傾向についてはどう捉えているんですか。

ジェフ:いい傾向だと思います。そうして一般化すればするほど、またそこから先に進むことができると思うので。

ーー2つのジャンルを融合するのではなく、ひとつのコンセプトに向かって両者が一体化することを考えている、ということですが、逆の言い方をすると、そうした共通の強固なコンセプトがない限り、クラシックとエレクトロニック・ミュージックの融合は困難であるということでしょうか。

ジェフ:音楽的にどちらかが「主」になってどちらかが「従」になってしまうようなやり方、つまりトラックの上にオーケストラの音が乗ったり、逆にオーケストラの上にエレクトロニックな音を付け加える、という意味での融合ではなく、両者のバランスをとって、どちらかに偏ったものにはしたくない、ということです。そういったことをアレンジャーとのスコア作りの段階で入念に説明します。クラシック・オーケストラにエレクトロニックがアクセント程度に乗るとか、その逆のようなものにはしたくない、というニュアンスを説明し、理解してもらってからスコアを作ってもらうのです。たとえば私は演奏するときに、キーボードは持っていきません。キーボードの音はだいたいほかの楽器で表現できるんです。なのでリズム・マシーンなど、生のパーカッションでは再生できない音を演奏するようにしています。ほかの音はオーケストラの人たちに任せるのです。

ーーふむ。つまり大きな固まりがあって、その中のひとつの要素として自分が機能するように考える。

ジェフ:そうです。その通り。

ーーさきほどあなたは、クラシックは音楽的に高いレベルにあるとおっしゃってましたね。クラシックとの融合を図って失敗した過去の音楽家の中には、クラシックへの憧れやある種の劣等感があったのかもしれません。

ジェフ:そういった劣等感は全然ないですね。というのは、エレクトロニック・ミュージックをやってる自分たちはクラシックと同様、あるいはそれ以上にシリアスに音楽に取り組んでいるという自信があるからです。たとえば自分たちはゼロから自分の音楽を作り上げていく。でもクラシックの場合、予め先人達が作った楽譜通りに弾いている。指揮者みたいにインストラクトしてくれる人もいなくて、全部自分の判断でやっていかなきゃいけない。DJという側面で言うと、聴く人が何を求めているかという状況判断を素早く下した上で音楽を提供しなきゃいけない。ただ楽譜をそのまま弾くよりも、いろんな経験やクリエイティブなジャッジを経て、あくまでも自分の感覚や感情を大切にしながら、自分たちの音楽を作り上げているという自信があるのです。さきほどチャーリー・パーカーの例が出ましたが、彼の失敗は、プログラマーでもDJでもなくミュージシャンだということです。ミュージシャン対ミュージシャンという図式で考えてしまい、クラシックのミュージシャンたちに勝とうとしてしまったのではないでしょうか。音楽全体の仕上がりというものを考えず、自分のことばかり考えてしまった結果、失敗したのではないでしょうか。

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