上原ひろみはなぜ世界のトップ・プレイヤーであり続けるのか? 柳樂光隆が新作『SPARK』を分析

 また、作曲家としても彼女の能力はずば抜けている。例えば、『Spark』の<Spark>では9拍子を「4+5」「2+2+2+3」「3+3+3」など、様々な分け方で演奏してみたり、『Alive』の<Alive>では16分の27拍子という信じられないような変拍子をとても自然に楽曲の中で機能させていて、ひたすらに楽しい気分のまま誰にでも聴かせてしまう。この時点でも圧倒的なオリジナリティーにくらくらしてしまうが、彼女の楽曲にはそんな仕掛けがいたるところに用意されている。例えば、2011年の『Voice』から続いているトリオ・プロジェクトは、ベースのアンソニー・ジャクソン、ドラムのサイモン・フィリップスの3人のまま5年間続いている彼女のメインプロジェクトだ。サイモン・フィリップスは上原よりも二回りは年上で、もうすぐ還暦のベテランだが、彼を起用しているのにも理由がある。世界的なセッションドラマーであり、ジャズよりもロックやハードロック、プログレなどのシーンで活躍してきた彼が辿り着いた特殊なセッティングで生み出す複雑かつメロディアスなドラミングを彼女は作曲に取り込んでいる。サイモンのドラムに組み込まれているオクタバンと呼ばれる高音が鳴るタムタムドラムの音階でメロディーを書き、サイモンには時にリズムだけでなく、メロディーをもドラムで奏でさせる。つまり、全ての楽器がメロディーとリズムを担い、自在に役割を入れ替わることができるこのトリオならではの特性をそのまま楽曲に組み込んでいるため、どこまでもメロディアスでどこまでもリズミカルな上原ならではの楽曲が生まれているのだ。しかも、そんなサイモンのオクタバンの音色に合わせて、ピアノのペダルを踏んでミュートしたまま鍵盤を叩き、絶妙な音響効果を狙っていたりもする。更にテーマのメロディーを様々な形で聴かせたり、楽曲の中に忍び込ませサブリミナルのように刷り込ませてみたり、彼女の曲にはジャズという単語からは想像できないような仕掛けが至る所に張り巡らされている。しかも、そんなことを全く気付かせずにさらっと聴かせてしまう構成の巧みさやメロディーセンスも含め、こんな曲を書けるのは世界に上原しかいないだろう。

 最後にあげておきたいのが、上原の音楽のノンジャンル感と無国籍感だ。彼女の多くの曲には、わかりやすい“○○風”などの形容詞があてはめにくい。メロディーを聴いていても、国やジャンルで括りにくいサウンドになっているし、誰か別のアーティストの影響を匂わせるものもない。彼女が好きだというチック・コリアや、師でもあるアーマッド・ジャマルの影響さえあまり感じさせない。もちろん、そこには自身の出自でもある日本っぽさも存在しない。これは彼女の曲名を見ていてもよくわかる。特定の国やジャンルを思わせる言葉はほとんど使われていない。これは特にトリオプロジェクト以降に顕著で、感覚や行動、もしくは<labyrinth>や<wonderland>のようなファンタジックなものまで、その楽曲を特定のイメージにはめさせてしまうようなタイトルが用いられなくなったあたりに彼女の作曲に関する意図が見えている気がする。それ故に彼女のサウンドは世界中のどんな場所でも、どんな音楽が好きな人にも届く音楽になっているのではないかと思う。彼女の音楽にはユニバーサルな音楽を作る狙いがあり、それが成功しているのだ。

 そして、それはピアノのスタイルにも見えている。当初は、彼女が敬愛するオスカー・ピーターソンやエロル・ガーナ―を思い起こさせるような瞬間も多々あったし、スタンリー・クラークのバンドへの参加時はスタンリーが求める様々なスタイルを演奏しているが、自身の作品になるとそういった記号的な演奏を全くしない。世代的にはロバート・グラスパーとも同世代で、ブラッド・メルドーの影響をもろに受けた世代だが、そんな素振りも少しも見せない。かといって、ティピカルなモダンジャズを演じることもほとんどない。ここまで誰かのスタイルの延長や時代性で捉えることが難しいピアニストもなかなかいない。つまり、それは「上原ひろみ」という記号でしか表せない演奏になっているとも言えるだろう。実際に彼女はインタビューでも誰の影響を語ることはほとんどない。上原ひろみは上原ひろみのピアノを奏でているのだ。それはブラッド・メルドーやロバート・グラスパー、ジェイソン・モランなどが一聴して、本人だとわかる演奏をしているのと同じように、上原ひろみもまた自分だけのスタイルで音楽を奏でることができている稀有なピアニストなのだ。

 上原ひろみの音楽には上記のような様々な個性があるが、上原はトリオプロジェクト以降、それらを徐々にアップデートし、洗練させ、厚みを持たせてきた。一見、上原ひろみはずっと上原ひろみのままだと思われるが、彼女ほど明確に成長しているアーティストもなかなかいない。自身でも度々成長や進化への欲望を口にする。そんな成長が結実し、彼女にしか作りえない圧倒的なサウンドが完成したのが最新作『Spark』だったと思う。これは紛れもない彼女の最高傑作だ。しかし、この『Spark』ですら、彼女にとってはこの曲のプロトタイプで、ここからまた楽曲が日々、変化し、成長していくという。その強欲なまでの飽くなき向上心こそ、彼女がここまで世界で評価されている最大の理由ではないかとも思えてくる。

■柳樂光隆
79年、島根・出雲生まれ。ジャズとその周りにある音楽について書いている音楽評論家。「Jazz The New Chapter」監修者。CDジャーナル、JAZZJapan、intoxicate、ミュージック・マガジンなどに寄稿。カマシ・ワシントン『The Epic』、マイルス・デイビス&ロバート・グラスパー『Everything's Beautiful』、エスペランサ・スポルディング『Emily's D+Evolution』、テラス・マーティン『Velvet Portraits』ほか、ライナーノーツも多数執筆。

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