市川哲史の「すべての音楽はリスナーのもの」第34回

『嵐が〈崖っぷち〉アイドルだった頃』完結編 卓越したセルフプロデュース力を読み解く

(C)タナカケンイチ

 『嵐が〈崖っぷち〉アイドルだった頃』と題した三部作を本コラムで書いたのは、今年の初め。「もう1本だけ完結篇を書きます」などと予告しておきながら、気がついたら半年も経っていた。すまん。

 私が特に頻繁に取材で逢っていたデビュー5周年前後の2004~06年の嵐は、いまでこそ〈ブレイク前夜〉と美化できるけれど、その当時で見れば既に〈崖っぷち〉という危険水域に差しかかっていた。だって後発のKAT-TUNには瞬殺で追い抜かれたし、事務所サイドの嵐に対する関心というか熱意も、私にはNEWSとどっこいどっこいに映ったものだ。

 だからあの頃の嵐にはもはや、なんとなくだが厭戦感が漂っていたような気がする。言い方はまことに失礼なのだけども――「このままV6みたいになっても、それはそれでいいんじゃないの?」的な。私も実はそう思っていた。

 ある意味のほほんとしていたのは、「辞めたい」を連発してたリーダーと動物相手の仕事に十二分満足の相葉ちゃん。そもそも大野が呼ばれてた〈リーダー〉とは単なるニックネームなのだから、その停滞感はハンパない。当時から私はヴォーカルもダンスも大野のスキルはジャニーズで一、二を争うと公言してたので、なんとももったいなかった。

 また、心に作った棚に嵐をひとまず置いた風情の二宮は二宮で、自作の舞台台本を書いたりと自分磨きに励んでいるフシがあった。

 それでも、何の他意もなくただひたすらジャニーズ・アイドルとしての成長を夢見る、〈100%天然の向上心〉松潤と、「このままフェイドアウトじゃ恰好悪いし、プライドが許せない」的な〈自尊心こそ最大の原動力〉櫻井の二人は、おのおの自分なりの意地は張ってたように思う。いまだから書くけれど、あのころの櫻井は単純明快な上昇志向の松潤をかなり意識していた。ライバル視、というやつだ。でも相手の松潤がなーんも気づいてないから成立しなかったとこがまた、嵐らしいと改めて思う。あはは。

 だってあの仲のよさはミラクル! だったのだ。備忘録を久々にめくろう。

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