レジーのJ-POP鳥瞰図 第2回
チャットモンチーからShiggy Jr.に受け継がれたものとは? ガールズロックの系譜をたどる
拡散するガールズロックの系譜
チャットモンチーのメジャーデビューは2005年、「シャングリラ」でブレイクを果たしてロックバンドとして、もしくは可愛いポップアイコンとして大きな人気を得たのは2006年。当時の彼女たちの年齢は20代前半。その頃の受容のされ方は「可愛らしい女の子ボーカルで、ポップだけど本格的なバンドサウンド」というようなものだった。
チャットモンチーが獲得したこの立ち位置は、90年代以降のJ-POPの隆盛において「ガールズロック」という概念のもとで着実に耕されてきた場所である。最も偉大な先人は、90年代半ばからゼロ年代初頭にかけてヒット曲を連発したJUDY AND MARY。「本格的なのに難解ではないバンドサウンド」「覚えやすい=歌いやすいキャッチーなメロディ」「フロントマンの稀有なキャラクター」という三拍子そろったこのバンドは、性別を問わず「かっこいい!」「かわいい!」という両方の感情の受け皿となった。特に、年頃の女の子にとってはYUKIのことを「ああいうふうになりたい」という憧れの対象とすることもできる。幅広い層からの支持を集めた彼らは、文字通りの国民的バンドとして音楽シーンに君臨した。
90年代後半以降から今に至るまでのJ-POPには、「ジュディマリが作ったこのポジションを巡るいろいろな人たちの争い」という側面がある。ジュディマリの活動期間中には、Hysteric BlueやWhiteberryといったフォロワーが現れた。2001年にデビューしたZONEは早々に「secret base ~君がくれたもの~」をヒットさせている。そして、彼女たちに代表されるいくつかのバンドが定着しきれずに迎えた2005年という年は、前述のとおりチャットモンチーのメジャーデビュー年であると同時にYUKIが「JOY」をリリースした年でもある。ダンサブルなポップスに振り切った「JOY」で新たなアイデンティティを獲得したYUKIは、この曲でいよいよ「ジュディマリのボーカルだった人」という看板を下ろすことができた。つまり、「ガールズロック」の主役はこの年にジュディマリからチャットモンチーに継承されたのである。
チャットモンチーが登場したゼロ年代後半から現在までを振り返ると、この「ガールズロック」の系譜は純粋なロックバンドとは異なる文脈で広がりを見せている。「けいおん!」のブームにせよ、AKB48「ヘビーローテーション」の大ヒットにせよ、ジュディマリを源流としたJ-POPの中の大きな流れに位置付けることができる。そして2015年、チャットモンチーは『共鳴』で「可愛くてポップなロックバンド」というカテゴリーとは異なる場所に歩を進めた。
空席となったガールズロックど真ん中のポジション。もちろん女性ボーカルを主体としたロックバンドは今でもたくさんいるが、どのバンドも「本格感と可愛らしさを併せ持ちながら、大きな間口へ届ける」というアプローチとは微妙にギャップがある。そもそも、今の時代に「幅広い層から支持を得る」こと自体が難しいという部分もあるかもしれない。ポテンシャルの大きい場所でありながら、おいそれとは近づきづらい立ち位置。そんなスペースに、果敢に飛び込もうとするバンドが現れた。それが、Shiggy Jr.である。