怪獣映画はここまで“進化”したーー真正面から“戦い”を描く『キングコング:髑髏島の巨神』の革新性

『キングコング:髑髏島の巨神』の革新性

 巨大な怪獣たちがうじゃうじゃと生息しバトルを繰り広げる、世にもおそろしい島が南洋にあった。『キングコング:髑髏島の巨神』は、1933年の伝説的怪獣映画『キング・コング』を基に、超巨大な猿が神として崇められる、恐怖の孤島に降り立ってしまった人間たちの決死の脱出を描く怪獣映画である。

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 本作を鑑賞しながら、そういえば私が幼少期、怪獣映画を大好きだったものの、唯一、気に入らないことがあったのを思い出した。怪獣と直接関係のない、恋愛や家族愛などの人間ドラマや主題歌を長々と歌い上げるなどの部分である。もちろん、そこには作り手の哲学や製作上の都合なども含まれていることを、大人になった今なら理解できるのだが、そういうことは子どもには関係ない。とにかく怪獣が暴れる光景以外のものは必要なかったのだ。『キングコング:髑髏島の巨神』は、そんな怪獣が暴れまくるシーンばかりで構成されている、まさに当時の夢を叶えてくれる怪獣映画だ。『ルーム』でアカデミー主演女優賞を受賞し、コングと交流する美女役を演じるブリー・ラーソン、そしてトム・ヒドルストン、ジョン・グッドマンなどの名優をキャスティングしながらも、ほとんど生き残るために逃げ惑ってばかりいるシーンを眺めながら、これが怪獣映画のあるべき姿ではないだろうかという感慨にひたってしまう。ここでは、そんなシーンばかりの本作がどれほど常軌を逸しているか、そして、怪獣バトルの裏に隠されている意外なテーマについて考察していきたい。

 アメリカで生まれた特撮映画『キング・コング』(1933)は、先史時代のような巨大生物がうようよ生息する髑髏(どくろ)島で、現地の住民に神と崇められている巨大な猿キング・コングが、見世物としてニューヨークへと連れてこられて騒動が起きるという物語だった。コングをビジネスに利用しようとする人間の傲慢さと欲望、またコングが美女の美しさに迷い、振り回されることで窮地に陥るという、人間社会にも通じる悲劇性が、作品に奥ゆきを与えている。『ロード・オブ・ザ・リング』のピーター・ジャクソン監督によるリメイク作『キング・コング』(2005)は、それらの要素を丹念に描き直した超大作だった。

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 本作は、『キング・コング』における定番となるニューヨーク編を扱わずに、髑髏島での戦いのみを描いているところが特徴的だ。それだけに、島の守護神キング・コングの威厳が最後まで失われず、かっこいい姿をたっぷりと拝めるのである。さらに、巨大なクモ、巨大なタコなどの様々な巨大生物が、コングや人間を襲う。特撮、CGを駆使するなど予算と手間をかけた、これら大迫力のシーンが、惜しげもなく次々に描かれていく。これがすごいことだと思えるのは、とくに巨費を投じる映画企画では、やはり怪獣以外の付加価値をくわえることで客層を広げ、また人間の俳優の葛藤をしっかりと描き、観客に感情移入させるという手法が常道だからである。アメリカでも本作は良い意味で「クレイジー」だと評価を受けているが、以前ならば「バランスの悪い作品」だと言われるおそれがあったはずである。本作を制作したレジェンダリー・ピクチャーズは、同じように怪獣や巨大ロボットにまつわる要素ばかりを描いた『パシフィック・リム』をすでに手掛けている。まさにプロレスのデスマッチのように、キング・コングの戦いが、たっぷりと時間をとって繰り広げられるというのは、こういった内容が許される社風があってこそだといえる。

 そのレジェンダリー・ピクチャーズが権利元と提携しながら進めているのが、「モンスターバース(MonsterVerse)」というゴジラやキングコングなどの怪獣たちが同時に存在する世界を、複数の映画作品で描くという企画だ。2014年に公開されたギャレス・エドワーズ監督の『GODZILLA ゴジラ』は、本作の世界とつながっているのである。今後、さらにいろいろな怪獣が登場しバトルするという、怪獣映画全盛期を思い起こさせる作品が順次公開されることが、すでに発表されている。今回の荒唐無稽な怪獣同士の戦いは、それをあらかじめ想定した内容でもあったはずだ。

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 本作の人間のキャラクターのなかで最も生き生きとしているのは、サミュエル・L・ジャクソンが演じる、叩き上げのアメリカ軍人であろう。彼は、体長31.6メートル、体重158トンの(おそらくは今後の企画のため、大幅に巨大なサイズに設定が変更された)コングと、なんと一対一で向かい合ってタイマン勝負を挑むのである。一面が炎に包まれたなかで彼らが対峙する構図は、さながら不良マンガの番長対決の様相を呈していて、手に汗握らざるを得ない。長年の間、様々な役を演じてきたサミュエル・L・ジャクソンだが、本作では怪獣と同等の存在になってしまっており、観る者の頭をクラクラとさせる。

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