『民王』はなぜ中毒性が高い? おバカとシュール、2重構造の“笑い”

 数々のドラマ賞を受賞するなど好評価を集めたとは言え、連ドラ終了からわずか半年後にスペシャル版が放送されるのは異例。しかも2週連続で“その後”を描く『民王スペシャル~新たなる陰謀~』と、“その前”を描く『民王スピンオフ~恋する総裁選~』を放送するのだから、意気込みだけでなく自信が透けて見える。

 ただ、『民王』はヒットを連発する池井戸潤の原作ドラマでありながら、連ドラスタート時の前評判は必ずしも高くなかった。その理由は、2013年末に『夫のカノジョ』(TBS系)が歴代最低視聴率を記録するなど、年に必ず2~3本は作られる“入れ替わりモノ”が視聴者からオワコン扱いされていたから。

 しかし、フタを開けてみれば、コワモテ総理大臣とおバカ大学生が入れ替わる最大限のギャップと、遠藤憲一&菅田将暉の振り切った演技で、すぐに爆笑と絶賛の嵐。各話終盤には、2人が演じる武藤泰山・武藤翔親子が「社会や政治へのモヤモヤやイライラをスカッと晴らしてくれる」、爽快なエンタメ作に仕上がっていた。

 『民王』最大の魅力は、徹底して詰め込まれた笑い。脳波ジャックや、遠藤の貧相な裸などの“バカバカしい笑い”を全面に出しつつ、秘書貝原のつぶやきや妙なダンスなどの“シュールな笑い”を挟んだ2重構造で畳みかけてくる。

 特筆すべきは、これほどボケておきながら、登場人物の中に明確なツッコミ役がいないこと。一見、「せっかくのボケが流れてしまいもったいない……」と思いがちだが、そんなことはない。むしろ、テレビ画面の向こうから視聴者が「ツッコまずにはいられない」ムードを醸し出して中毒性を生み出している。

 ツッコミ役がいないスタイルで、最も大変なのは俳優たち。演技力よりも脚本を読み解く力を求められ、ときにふだん使わない顔の筋肉を使った大げさなボケ、ときに何食わぬ顔で淡々とボケなければいけない。

 なかでも全編に渡ってボケ続ける遠藤憲一と菅田将暉は、『民王』で演じる役柄の幅を大いに広げた。ナイーブでキュートな遠藤、豪快で武骨な菅田。ともにこれまでのイメージとは異なる新鮮な演技を見て、「新境地を開いた」というイメージを持った人も多いのではないか。

 しかし、『民王』における2人の演技は、極めて限定的だ。もともと演技力に定評のある2人だが、武藤泰山と武藤翔を演じる際、それらをフルに発揮しているわけではない。つまり、演技力うんぬんではなく、「お互いに振り幅のある役を楽しみながら、演技のトーンを合わせている」だけのように見える。演技のテクニックうんぬんではなく、全力投球の姿勢が見事にシンクロしているからこそ、引きつけられるのではないか。

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