精霊のような老婆に導かれし公営住宅の暮らしーー20代女性監督が撮った『桜の樹の下』の魅力

『桜の樹の下』のフレッシュな魅力

 満開だった桜は全国に吹き荒れる雨風ですっかり散ってしまうのだろう。思えば日本という国は、常にこの花びらとともに記憶を紡いでいくのを運命付けられているかのよう。人生の節目節目に桜が咲いて、そして散る。笑ったり泣いたりしながら、ふと気がつくとまたいつしかぐるりと時がめぐって桜の季節。当の私たちは定点観測的に桜を見つめているつもりでいるが、実はじっと見られているのは私たちの方かもしれない。

 そしてちょうどこの桜が咲き誇る(あるいは舞い散る)時期に一本の映画が公開を迎えた。それが『桜の樹の下』。山形国際ドキュメンタリー映画祭で上映され話題になった作品である。これがとても素晴らしく、観客の表情を知らず知らずのうちに笑顔にしてしまう魅力に満ちていた。おそらくスクリーンの側から見れば、客席が笑顔で満ちていく様子は桜前線の到来のようにも見えるはず。

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 まだ20代の女性監督がカメラを向ける先は、川崎市にある市営団地。工業都市としての発展を遂げてきた川崎市では日本全国から多くの出稼ぎ労働者を迎え、ベッドタウンとしての宅地開発が行われる一方で、舞台となる公営住宅は多くの単身者の暮らしを支えてきた。近年では住人のほとんどが高齢者となり、市の補助を受け入居している人も多いというーー。

 こうして説明文を読むと、福祉的な側面、社会的な側面が強い映画に思える。が、実際に本作がスクリーンに映し出されると、序盤から不思議の世界に迷い込んだかのように惹きつけられてやまない。というのも、この公営住宅の外観を撮影中のクルーに対して見ず知らずのおばあさんが近づいてきて、ぼそぼそとしゃべりかけるのである。だんだん耳が慣れると「よかったら寄っていきなさい」「お茶くらいしか出せないけれど、ゆっくりしていきなさい」と語りかけているのがわかってくる。

 このおばあさんの何と魅力的なことか。ちっちゃくて、丸っこく、終始浮かべている皺だらけの笑顔に誰もが引き込まれてしまう。懐かしい昭和のおばあちゃんといった印象だが、その一方でなにか得体の知れない芯の強さがあり、なおかつ一握りの孤独感を抱えているようにも思える。そもそも、これほどタイミングよくフラリと現れクルー及び観客の視点をいざなっていくことに、何かこの世のものならざる精霊的なものを感じずにいられない。

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 結果的にこのお誘いを受けて、カメラは次の瞬間、団地の一室にお邪魔している。この境界線を飛び越える作業こそ、あらゆるドキュメンタリーや劇映画が最も苦慮するところだが、本作はそこをいとも簡単に成し遂げているのだ。こうした導入部もあって我々は、高齢化が進み、入居者それぞれが孤独や障害や問題を抱えたここでの暮らしを刺すような視点で直視するのではなく、何か柔らかいフィルターで包み込んだような愛らしさや優しさでもって受け止めることが可能となる。部屋では一匹の鳥が巣箱から顔を出しピーピーと鳴いている。餌の時間がやってきたのだ。

 ここから映画は、先のおばあさんを含む4人の男女にカメラを向けてその暮らしや人生を紐解いていく。この市営団地に暮らす住民はおよそ350世帯。その中から抽出された4人はバックグラウンドも、抱えた事情も様々だ。彼ら全員が互いに顔見知りというわけではないし、劇映画のように全員のストーリーが巧妙に交錯していくわけでもない。

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